泉さん、それってどういう意味ですか?

 分からない、さっぱり分からない。
 ううん、泉さんの言ってることの意味はもちろん分かってる。
 自分のお店以外のコーヒーはあまり飲んでほしくない。

 オーナーとしてのプライド的なことかな?
 みんなにそういうこと言って、リピート客増やしてるのかな?
 ……そんな人には到底思えなかった。

「はぁーーー……」
「ため息大きすぎやろ! 卒論、ピンチ?」

 ゼミの狭い教室で、大きなため息を吐く僕に、同級生の牧詩織(まきしおり)が笑いながら声をかけた。
 牧とは学籍番号が近かったこともあって、一回生の頃から仲良くしている。
 
「それもあるけど……」
「あ、別がメインなんや。学食いこや。聞くわ」

 賑やかな食堂で、泉さんのことを全て話した。
 支離滅裂な僕の話を、牧は時々相槌を打ちながら、静かに聞いてくれた。
 
「……なるほどな」
「え? 牧、分かったの?」
「まぁ、何となく? 合ってるかは知らんで」
「すごいな……。僕、察し悪いのかな」
 泉さんにもそう思われているのかな、と少し落ち込んだ。
 
「それが桃田の可愛いとこやん」
 そんな僕の表情を見て、牧はカラッと笑ってそう言ってくれた。
 
「可愛い……それも言われたな……」
「え⁈  可愛いって言われたん? その人に?」
「うん、桃ちゃんって呼ばれてびっくりしてたら、『やっぱ、可愛いね』って」

 視線だけ斜め上に向けて頬杖をついた牧が、
「……やるなぁ。一回会ってみたいわ、泉さん」
 と、意味ありげに言った。
 
「時間あるなら、これから行く?」と僕が聞くと、牧の表情が輝いた。
「え! 行きたい! ……でも、一緒に行っていいんかな」
 と、不安そうな顔でぽつりと呟いた。
 ……何を遠慮することがあるんだろう?
 
「なんで? いいでしょ」
「……んー、まぁいいか! 行くわ!」

 僕たちは大学を出て、店まで二十分ほど歩いた。
 その間、卒論のことや、牧の彼氏のことなど、他愛もない話をしていた。食堂では散々、泉さんの話をしていたのに、この道中では話題に上らなかった。

 店の前に着くと、外から泉さんとこの前の女性店員がカウンター内にいるのが見えた。店内にはお客さんがたくさんいて、賑わっている様子だった。
 
 店内に入ると、二人は忙しそうに手を動かしながら、ちらっと顔を上げ、「いらっしゃいませ」と言った。
 僕に気付いた泉さんは、手を少し止めて、微笑みかけてくれた。
 ……しかし、その顔が一瞬だけ真顔になった、というか、曇った——?
 目線は僕の後ろの牧に向けられている。
 そして、すぐにまた作業を再開した。

 初めてのお客さんを相手にすると、あんな感じの表情になっちゃうのかなと思った。僕も初めて来たときは、とても愛想が良いとは思えなかったし——。
 
「今日もおすすめでいい?」と僕に聞いた泉さん。
「……あ、はい」
「かしこまりました。……お会計は別?」と牧を見てから、僕にそう聞いた。

「別です!」と、斜め後ろにいる牧が元気な声で答えた。

「はい。じゃあ、七百五十円になります」
 会計を済ませた僕は、先に席に座った。

 牧が注文する声が聞こえる。
「私も本日のおすすめで! ……あと、栗のパウンドケーキを一つお願いします」

 ……ケーキもあるんだ。全然見たことなかった。
 今度食べてみよう。

 注文を終え、僕の隣に腰掛けた牧が、
「……めっちゃイケメンやな」と僕に小声で耳打ちする。
「う、うん……」
 僕のことじゃないのに、なぜか少し気恥ずかしかった。

 僕たちの注文したものを、泉さんが運んできてくれた。
「どうぞ、ごゆっくり」
 ……それだけだった。いつもはもっと話すのにな。
 でも、今日はすごく忙しそうだし、僕が友達と来てるから気を遣ってくれたのかもしれない。

 コーヒーを一口飲むと、「……美味し」と声が漏れた。
 隣の牧も、「ほんまや、めっちゃ美味しい!」とニコニコしている。自分が淹れたコーヒーを褒められたみたいに、誇らしい気持ちになった。
 
 ……僕が淹れたコーヒーを誰かに飲んでもらって、美味しいって言ってもらえたら、すごく嬉しいだろうな。
 泉さんにとって、やりがいのある仕事なんだろうな、きっと。そんなことを勝手に想像していた。

 すると、牧が「待って! パウンドケーキとコーヒーめっちゃ合うねんけど! 一口いる?」と勧めてきた。
牧が使っていたフォークを僕に渡した。

 フォークを受け取って、「いいの? もらうね」と食べようとしたとき、
 
「桃ちゃん!」
 と、泉さんが大きな声で僕の名前を呼んだ。

「……はい……?」
 あの低く落ち着いた泉さんからは想像できない声に、一瞬驚いて返事が遅れてしまった。
 すると、泉さんはカウンターから出てきて、大きな歩幅で僕の前まで来た。
 
「これ……使って」
 と、新しいフォークを僕に渡した。

「あ……ありがとうございます。わざわざ、すみません」
と言いながら、泉さんを見上げると、少し息を切らしていた。
 正直、そんなに焦らなくても、と思った。
 焦ってるというか、怒ってるような表情にも見えた。

 隣の牧を見ると、指先を揃えて口元を隠していたが、ニヤニヤしているのが丸見えだった。

「牧、何笑ってんの」と、肘で牧の腕を軽く小突くと、
「えー? 別に?」と言いながら、マグカップに手を伸ばした。

 泉さんが去ったあと、一口もらった栗のパウンドケーキは、すごく美味しかった。しっとりとした生地の中に、栗の風味がぎゅっと閉じ込められていて、深煎りのコーヒーと相性が良かった。

 コーヒーをそそくさと飲み終えた牧は、
「じゃあ、私、先に帰るわ」と帰る準備をし始めた。
 ……え、いつもは一緒に帰ってるのに。
 同じ講義を取ってることが多かったし、電車の方面も同じだから、一緒に帰ることはよくあった。

 席を立った牧は、僕の方にくるっと振り返り、
「連れてきてくれてありがとう。……今度からは一人で来なあかんで」と小声で言い残して、立ち去った。

 ……なんで??
 どうしてみんな、去り際に、僕が一発で理解できないようなこと言い残すの?