その店に初めて足を踏み入れたのは、少し冷たい風が吹き始めた秋の昼下がりのことだった。
……寒っ。
長すぎる夏には正直うんざりしていたけど、急に寒くなると少し寂しい気もする。
このまま真っ直ぐに家に帰るの、なんか嫌だな。
そう思った僕は、スマホのマップを開き、『コーヒー』と検索をかけた。今いる大学付近にあるカフェが赤いピンで複数表示される。行ったことのある店ばっかりだ。
……あ、そういえば、ここは行ったことない……か。
この辺りのカフェは網羅していたつもりだったが、定休日などでタイミングが合わず、行けていない店がひとつだけあった。
——『SEN Roastery』
大学から見て川の向こう側にある、町家を改装したそのカフェは、木枠のガラス戸越しに店内の様子がよく見えた。白い壁に、木のテーブルと椅子がいくつか並んでいる。
店内に入ると、コーヒーの良い香りが立ちこめていた。
そして、カウンターの向こうでケトルを傾けていた男性店員が、視線を少しだけ上げた。
「いらっしゃいませ」
決して愛想がいいとは言えない、低い声だった。
背の高い店員さんは、ウェーブのかかった肩まである黒髪をハーフアップにしていた。僕の勝手な偏見だけど、いかにもコーヒーにこだわりがありそうな雰囲気だ。
コーヒーは好きだけど、詳しくはない。
そんな僕に、少しだけ緊張が走った。
メニュー表に目を走らせていると、
「何にしますか?」
と、声をかけてくれた。
やっぱり、声低いな……。
「ええと……、じゃあ……ハンドドリップの『本日のおすすめ』でお願いします」
おすすめを頼んでおけば間違いないだろう。
「かしこまりました。おかけになってお待ちください」
客は僕しかいなかった。
一番奥にある、切り株をそのまま椅子にしたような席に座った。
お店を見渡す。
温かさがあるのに、どこか無骨で、妙に落ち着く空間。
このお店の雰囲気、なんか好きだな。
カウンターの向こう側で、僕のコーヒーを淹れてくれている店員さんを見た。
……改めて見ると、かっこいい。
長くて真っ直ぐな首に、小さい頭がちょんっと乗っかってて……芸能人とかこういう骨格なんだろうな。
あと、なんというか、影があって、モテそう。
……気付いたら、惹きつけられて目を離せなくなっていた。
そんな僕の視線に気がついたのか、店員さんはパッと顔を上げた。
——目が合った。
見ていたことがバレたのが恥ずかしくて、目を逸らしてしまった。
そっちの方が恥ずかしいって……!
自分の咄嗟の判断に後悔して俯いていると、コーヒーが運ばれてきた。
群青色のころんとしたマグカップが、コトッと机に置かれる。
「お待たせしました。これ、使ってる豆の説明書いてあるので、ぜひ読みながら、ごゆっくりお楽しみください」
と、小さなカードを手渡された。
コーヒーを一口飲んだ瞬間、僕は思わず目を見開いた。
——ああ、これだ。
ナッツのような香ばしさと、ビターチョコのような深い甘さ。秋の寂しさを癒してくれる、優しい温かさだった。
僕がよっぽど分かりやすい顔をしていたのか、
「ふはっ、めっちゃ良い顔するじゃん。美味しい?」と聞いてきた。
この辺りではあまり聞かない標準語の、懐かしいイントネーション。
こっちの人じゃないのかな。
そんなことを考えていたら、反応が遅れた。
「……あ、すっごく美味しいです! こういうのが飲みたい気分でした!」
慌てて、そう答えた。
「そうなんだ、よかった。ちなみに、どんな気分だったの?」
「急に寒くなって、なんか寂しいというか……」
「あー、分かるわ。俺も今朝、店に来る時同じようなこと思ってた」
すごく話しやすかった。
最初に抱いていた僕の勝手な印象は、見事に打ち砕かれた。
普段、初対面の人とはあまり積極的に話さないタイプなのに、気付いたら話を続けていた。
「待ち望んでた秋がこんなに寂しいの、なんか思ってたのと違うなーとか……。でも、このコーヒーに救われました」
……ちょっと大袈裟な言い方だったかな? と一瞬気になったけど、思ったことをそのまま言えたのが久しぶりで、なんだか新鮮だった。
「また寂しい気分になったら、絶対俺のところ来て」
口角をきゅっと上げて、真っ直ぐに目を見ながら、そう言ってくれた。
「……はい」
それしか言えなかった。
でも、僕の返事を聞いて、店員さんは満足そうな表情をしていた。
店を出る時、
「ごちそうさまでした」と声をかけると、
「ありがとうね、風邪ひかないようにね」とひらひらと手を振ってくれた。
——これが、出会いだった。
……寒っ。
長すぎる夏には正直うんざりしていたけど、急に寒くなると少し寂しい気もする。
このまま真っ直ぐに家に帰るの、なんか嫌だな。
そう思った僕は、スマホのマップを開き、『コーヒー』と検索をかけた。今いる大学付近にあるカフェが赤いピンで複数表示される。行ったことのある店ばっかりだ。
……あ、そういえば、ここは行ったことない……か。
この辺りのカフェは網羅していたつもりだったが、定休日などでタイミングが合わず、行けていない店がひとつだけあった。
——『SEN Roastery』
大学から見て川の向こう側にある、町家を改装したそのカフェは、木枠のガラス戸越しに店内の様子がよく見えた。白い壁に、木のテーブルと椅子がいくつか並んでいる。
店内に入ると、コーヒーの良い香りが立ちこめていた。
そして、カウンターの向こうでケトルを傾けていた男性店員が、視線を少しだけ上げた。
「いらっしゃいませ」
決して愛想がいいとは言えない、低い声だった。
背の高い店員さんは、ウェーブのかかった肩まである黒髪をハーフアップにしていた。僕の勝手な偏見だけど、いかにもコーヒーにこだわりがありそうな雰囲気だ。
コーヒーは好きだけど、詳しくはない。
そんな僕に、少しだけ緊張が走った。
メニュー表に目を走らせていると、
「何にしますか?」
と、声をかけてくれた。
やっぱり、声低いな……。
「ええと……、じゃあ……ハンドドリップの『本日のおすすめ』でお願いします」
おすすめを頼んでおけば間違いないだろう。
「かしこまりました。おかけになってお待ちください」
客は僕しかいなかった。
一番奥にある、切り株をそのまま椅子にしたような席に座った。
お店を見渡す。
温かさがあるのに、どこか無骨で、妙に落ち着く空間。
このお店の雰囲気、なんか好きだな。
カウンターの向こう側で、僕のコーヒーを淹れてくれている店員さんを見た。
……改めて見ると、かっこいい。
長くて真っ直ぐな首に、小さい頭がちょんっと乗っかってて……芸能人とかこういう骨格なんだろうな。
あと、なんというか、影があって、モテそう。
……気付いたら、惹きつけられて目を離せなくなっていた。
そんな僕の視線に気がついたのか、店員さんはパッと顔を上げた。
——目が合った。
見ていたことがバレたのが恥ずかしくて、目を逸らしてしまった。
そっちの方が恥ずかしいって……!
自分の咄嗟の判断に後悔して俯いていると、コーヒーが運ばれてきた。
群青色のころんとしたマグカップが、コトッと机に置かれる。
「お待たせしました。これ、使ってる豆の説明書いてあるので、ぜひ読みながら、ごゆっくりお楽しみください」
と、小さなカードを手渡された。
コーヒーを一口飲んだ瞬間、僕は思わず目を見開いた。
——ああ、これだ。
ナッツのような香ばしさと、ビターチョコのような深い甘さ。秋の寂しさを癒してくれる、優しい温かさだった。
僕がよっぽど分かりやすい顔をしていたのか、
「ふはっ、めっちゃ良い顔するじゃん。美味しい?」と聞いてきた。
この辺りではあまり聞かない標準語の、懐かしいイントネーション。
こっちの人じゃないのかな。
そんなことを考えていたら、反応が遅れた。
「……あ、すっごく美味しいです! こういうのが飲みたい気分でした!」
慌てて、そう答えた。
「そうなんだ、よかった。ちなみに、どんな気分だったの?」
「急に寒くなって、なんか寂しいというか……」
「あー、分かるわ。俺も今朝、店に来る時同じようなこと思ってた」
すごく話しやすかった。
最初に抱いていた僕の勝手な印象は、見事に打ち砕かれた。
普段、初対面の人とはあまり積極的に話さないタイプなのに、気付いたら話を続けていた。
「待ち望んでた秋がこんなに寂しいの、なんか思ってたのと違うなーとか……。でも、このコーヒーに救われました」
……ちょっと大袈裟な言い方だったかな? と一瞬気になったけど、思ったことをそのまま言えたのが久しぶりで、なんだか新鮮だった。
「また寂しい気分になったら、絶対俺のところ来て」
口角をきゅっと上げて、真っ直ぐに目を見ながら、そう言ってくれた。
「……はい」
それしか言えなかった。
でも、僕の返事を聞いて、店員さんは満足そうな表情をしていた。
店を出る時、
「ごちそうさまでした」と声をかけると、
「ありがとうね、風邪ひかないようにね」とひらひらと手を振ってくれた。
——これが、出会いだった。

