***
十年後の俺たちへ。
ちゃんと三人でこれ開けてる?
もし誰か一人でもいなかったら、約束破りだからな。
まあ、そんなことないと思うけど。
十年後って、どんな感じなんだろうな。
俺はたぶん、いろんなところに行ってる。
ここじゃない海も見て、知らない町にも行って、今まで見たことないものをいっぱい見てると思う。
でも、いろんなところを見たあとで、またここに帰ってきて、
やっぱりここが一番いいなって思えたらいい。
そしたら、三人でまた海を見よう。
――朔へ。
十年経っても、まだ生意気なこと言ってるか?
昔から、朔に何か言われると、言い返したくなるんだよな。
なんかムカつくけど、だいたい合ってるし。
そういうところ、昔から妙に大人びてたよな。
俺にとっては弟みたいなもんだと思ってたけど、気づいたら朔の方がしっかりしてることも多かった。
俺が調子に乗ると止めるし、茜が困ってるとすぐ気づくし。
三人でいると、なんだかんだ朔が一番周りを見てたよな。
まあ、ちょっとうるさいけど。
十年経っても、朔は朔のままでいいからな。
あと、たまには俺のことも思い出せよ。
忘れてたら普通にムカつくからな。
――茜へ。
茜は十年後、何してるんだろうな。
正直、全然想像つかない。
俺が面白いと思ったものは、茜にも見てほしかった。
「ここ行こうぜ」って言えば、なんだかんだついてきてくれたし。
……もしかして、茜が一番好きなのって俺なんじゃないかって、ちょっと思ったこともある。
なんてな。
まあ、そうだったらいいなーとは思ってたけど。
……今思うと、ちょっと調子乗ってたな。
でも、これだけは忘れないで。
茜の帰ってくる場所は、ちゃんとここにあるから。
だから、どこに行ってもいいけど、たまには帰ってこいよ。
じゃあ、また三人で会おう。
P.S.
朔も、まあ……大好きだぞ。
***
最後まで読み終えて、私はしばらく手紙を見つめていた。
紙の上に並ぶ文字を、もう一度ゆっくり目で追う。
知らないはずの言葉なのに。
読んでいるうちに、胸の奥で何かが小さく引っかかった。
「……なんか、変な感じ」
「何が?」
「この手紙」
私は少し考える。
「初めて読んだはずなのに、初めて読んだ気がしない」
朔が手紙を覗き込む。
「……そうか?」
「うん」
もう一度、自分へ宛てた部分を見る。
「『ここ行こうぜ』って、なんか……」
言葉の続きを探す。
「……そういえば、こんな感じだった気がする」
「湊が?」
「うん」
自分で言ってから、少し驚いた。
顔はまだ、はっきりと思い出せない。
それなのに、声や言い方だけが、ぼんやり浮かんでくる。
「なんか、勝手に先に行っちゃう感じ」
「それは合ってる」
朔が笑う。
「やっぱり?」
「昔からそうだった」
「……そっか」
私も少し笑った。
手紙の最後に目を落とす。
「『まあ……大好きだぞ』って、すごい付け足し方だね」
「だろ?」
朔が苦笑する。
「俺の扱い、最後まで雑すぎない?」
「でも……」
私は手紙を見る。
「ちゃんと朔のこと、大事に思ってたんだね」
「……まあ、それは分かるけど」
朔は少し照れたように、手紙から目を逸らした。
私はその横顔を見ながら、ふと口にする。
「そういえば、湊って……こういうところあったな」
「どういうところ?」
「言いたいことは好き勝手書くくせに、最後だけちょっと恥ずかしくなるところ」
「……ああ」
朔が小さく笑う。
「確かに、あったな」
その言葉を聞いて、私も少し笑った。
手紙に書かれていることを読んでいると、知らなかったはずの湊の輪郭が、少しずつ見えてくる。
明るくて。
先に行って。
面白いものを見つけると、誰かに教えたくなる。
そんな姿が、ぼんやりと浮かんでは消えていく。
「……不思議」
「何が?」
「顔は思い出せないのに」
私は手紙の文字に目を落とす。
「こういうところは、少し分かる気がする」
朔は何も言わなかった。
ただ、静かに手紙を見ていた。
私は最初の方へ戻る。
いろんな海を見て。
知らない町へ行って。
それでも、いつかここへ帰ってきたい。
そんな言葉が書かれている。
「……十年後のことなんて、本当に考えてたんだね」
「まあ、あの頃は十年なんてずっと先だったからな」
「うん」
今の私からすれば、十年はあっという間だったようにも思う。
でも、あの頃の私たちにとっては、きっとずっと遠い未来だった。
「……三人でまた海を見よう、か」
小さく呟く。
その言葉が、胸の奥に静かに残った。
「まだ、見てないね」
朔がこちらを見る。
「……そうだな」
私は手紙をそっと閉じる。
三人で見た海のことは、少しずつ思い出してきた。
それでも、もう一度三人で見る海は、まだ知らない。
そんなことを考えながら、私は手紙を封筒に戻そうとした。
そのとき、ふと気づく。
「……あれ?」
「ん?」
「まだ何か入ってる」
封筒を傾ける。
手紙の下から、もう一枚、紙が滑り落ちてきた。
最初に読んだ手紙より、ひと回り小さい。
二つ折りにされている。
「これ……」
私は紙を拾い上げる。
「もう一枚、あったんだ」
「最初から入ってたのか?」
「どうだろ」
二つ折りの紙を手の中で眺めていると、朔がふと口を開いた。
「これさ、封筒開ける前に見つけたメモに似てないか?」
「……ほんとだ」
言われてみれば、確かにそうだった。
紙の色も、折り目の感じも、どちらもまだ新しい。
十年前の手紙は少し黄ばんでいるのに、この紙とさっきのメモだけは、ほとんど変わっていなかった。
「……これ、いつ入れたんだろう」
「いつって……」
朔が紙を見る。
「まさか」
たぶん、考えていることは同じだった。
「……そんなわけないだろ」
「……だよね」
私も頷く。
そんなこと、あるはずがない。
そう思いながらも、私はもう一度、二つ折りの紙を見つめた。
「でも……」
私は紙をそっと指でなぞる。
「『読んでね』って、もしかしてこのこと?」
朔が黙った。
私も、その言葉の意味を考える。
さっきのメモも。
この紙も。
まるで、私たちがこの手紙を読むことを知っていたみたいだった。
「……そうかもしれないな」
朔が小さく呟く。
私は手の中の紙を見つめたまま、しばらく動けなかった。
何が書いてあるのか分からない。
開いてしまえば、それを知ることになる。
「……気になるね」
「うん」
朔も紙を見る。
「開けてみる?」
私は少しだけ迷った。
けれど、ここまで気になってしまったら、もう確かめずにはいられない。
「……うん」
私はゆっくりと二つ折りの紙を開いた。
***
十年前の俺へ。
ただいま。
思ってたより町が変わってなくて、ちょっと驚いた。
なんだか、十年前に戻ったみたいだった。
俺は、あの頃の俺が思い描いてた場所まで、ちゃんと来られたよ。
たくさんの海を見た。
いろんな町にも行った。
知らない場所を歩いて、知らない景色を見るのは、やっぱり楽しい。
まだ見たことのないものが、こんなにたくさんあるんだって思った。
でも、いろんな海を見てきて、やっぱりこの町が、この海が一番好きだって思った。
それにしても、十年前の俺、こんなこと書いてたんだな。
読み返してたら、ちょっと恥ずかしくなった。
二人は、どんなことを書いたんだろう。
せっかくだから、二人にもちゃんとメッセージを残しておく。
――朔へ。
朔が約束を忘れるとは思ってないよ。
たぶん、三人で開けないと意味がないって思ってたんだよな。
約束の日だって、連絡すればよかったかな。
俺が忘れてると思ったのかもしれない。
実際は、俺が一人で開けちゃったわけだから、これじゃ俺の方が約束を破ったみたいだな。
今もこの町に残ってるのかな。
俺がいなくなったあとも、俺たちのことを覚えてるのは、たぶん朔なんだろうな。
茜って、どうでもいいことは覚えてるくせに、大事なことは意外と忘れっぽいからな。
俺も記憶力はいいとは言えないしさ。
これから先、俺たちが忘れてしまったことを、朔だけが覚えてることも増えていくのかもしれない。
今までみたいにさ。
……それって、結構しんどいよな。
でも、俺は朔なら心配ないと思ってる。
朔は昔から、俺たち三人のことをちゃんと見てくれてたから。
俺が気づかないことにも気づいてたし、茜が困ってたら、いつの間にか隣にいた。
俺にはできないことを、朔はできる。
だから、茜のことを頼みたい。
茜が何かを忘れても、無理に思い出させなくていい。
あいつが自分で選んだ道を、ちゃんと見ていてやってくれ。
でも、俺の代わりになろうとしなくていいからな。
俺がいなくなったあとまで、俺たちのことを背負わなくていい。
朔は朔のままでいてくれ。
茜のことも、自分のことも、朔が思うようにすればいい。
俺が勝手にいなくなったくせに、こんなこと言うのも変だけどさ。
それでも、朔には朔自身の時間を生きてほしい。
それが、俺の願いだ。
――茜へ。
もしかして、怒ってるのかな。
あの日、帰ってくるって約束したのに、守らなかったから。
ちゃんと帰ってくるつもりだったんだけどな。
俺、あのとき笑ってたけど、本当は伝えたいことがたくさんあった。
でも、伝えたら今度は俺が茜から離れられなくなると思った。
あの頃は、茜がそばにいることが当たり前だった。
何か面白いものを見つけたら茜にも見せたかったし、どこかに行くときも、自然と茜が一緒にいるような気がしてた。
たぶん、茜も同じだったんじゃないかな。
だから、俺がいなくても、茜自身の世界を見つけてほしいと思った。
そう考えたら、あのタイミングで離れるのも悪くないのかもしれないって思った。
でも、もっとちゃんと話しておくべきだったな。
茜がどんな気持ちで待ってたのか、ちゃんと考えてなかった。
約束したのに帰ってこなくて、ごめんな。
今さら謝っても、許してもらえるかは分からない。
もし昔のことを忘れてしまっていても、それは悪いことじゃないと思う。
茜が覚えてなくても、この町はちゃんと覚えてるから。
海も、坂道も、秘密基地も。
俺たちが笑ってたことも、くだらないことで騒いでたことも。
久しぶりに帰ってきたら、最初は知らない町みたいに感じるかもしれない。
でも、少し歩いてみれば、きっと分かるよ。
変わってないものも、ちゃんとあるって。
思い出せなくても、焦らなくていい。
疲れたら、たまには立ち止まってもいい。
帰ってくる場所は、ちゃんとここにあるから。
思ったより長くなっちゃったな。
本当はまだまだ言いたいことがあるけど、このくらいにしておく。
二人とも、これからも元気で。
それぞれの場所で、ちゃんと楽しくやってくれ。
離れていても、俺たちは三人だから。
たまには、三人でいた時間のことを思い出してくれたら嬉しい。
それくらいでいいよ。
七月二十八日 湊
***
しばらく、何も話せなかった。
朔から話を聞いた時も、日記を読んだ時も、夢の中で三人で過ごした時も、湊がいたことをどこか遠くに感じていた。
思い出せそうなのに、手を伸ばしても届かない。
そんな感覚だった。
でも、この手紙には、湊がここに帰ってきたことが、ちゃんと残っている。
十年前の約束を覚えていて、実際にこの場所まで来ていた。
「……湊、来てたんだ」
自分の声を聞いて、もう一度、手紙を見る。
「ちゃんと……来てたんだ」
十年前に約束した場所に。
私が知らないところで。
私の知らない十年間を過ごした湊が。
今の私のことなんて知るはずもないのに、それでも手紙の中では、昔の私だけじゃなく、今の私に向けるような言葉まで残してくれていた。
『この町はちゃんと覚えてるから』
その言葉が、胸の奥に残った。
帰ってきたはずなのに、知らない町みたいに感じていた。
自分がここにいたことさえ、どこか遠いことのように思えていた。
そんな私に、湊は「忘れていてもいい」と言ってくれた。
それでいいんだと、少しだけ許してもらえたような気がした。
それでも、湊はこの町に帰ってきていた。
そう思ったら、急に視界が滲んだ。
「……なんで」
自分でも気づかないうちに、涙が頬を伝っていた。
どうして泣いているのかは、分からなかった。
約束を破られたことなのか。
手紙を残してくれたことなのか。
それとも――。
一度拭ったはずなのに、また涙が落ちた。
「……茜、泣いてる?」
朔の声に、顔を上げる。
「え?」
慌てて頬を拭う。
「大袈裟じゃない?」
朔が少し困ったように笑う。
「でも……」
私は朔の顔を見る。
「……朔も泣いてる」
「……え?」
朔は一瞬、意味が分からないような顔をした。
それから、自分の頬に触れる。
指先が濡れているのを見て、少しだけ目を見開いた。
「……ほんとだ」
自分でも気づいていなかったらしい。
朔は困ったように笑って、手の甲で涙を拭った。
「……なんでだろ。手紙、読んだだけじゃん」
「……うん」
朔の言うとおりだった。
ただ手紙を読んだだけだ。
そこに湊がいるわけでもない。
声が聞こえたわけでもない。
それなのに、二人とも泣いていた。
「……変なの」
私が小さく笑うと、朔も笑った。
「ほんとにな」
少しだけ笑って、それから二人でまた手紙を見る。
もう一度、そこに書かれた文字を追う。
十年前の湊が残した言葉。
そして、十年後に湊がここへ帰ってきて残した言葉。
どちらも、ちゃんとここにある。
「……湊、ほんとにいたんだね」
ぽつりと呟くと、朔は少しだけ黙ってから、
「うん」
と答えた。
「……ずっと、いたよ」
その言葉を聞いて、私は小さく頷いた。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
手紙を見つめたまま、私はゆっくり息を吐く。
泣いたせいか、胸の奥にあったものが少しだけ軽くなった気がした。
「……ねえ、朔」
「ん?」
「これ、どうする?」
私は手の中の手紙を見る。
朔も少し考えるように手紙を見た。
「どうするって?」
「タイムカプセル」
「ああ……」
朔が、少しだけ困ったように笑う。
「もう一回、埋める?」
「……もう一回?」
「うん」
「また十年後に開けるの?」
「さあ」
朔が肩をすくめる。
「別に、十年後じゃなくてもいいんじゃないか」
「じゃあ、いつ?」
「さあな」
「適当だなあ」
「茜が決めればいいだろ」
「私?」
「うん」
そう言われて、私は少し考える。
「うーん……。今回は湊の誕生日に開けるって決めてたから……」
私は少し考えてから、笑った。
「次は私の誕生日とか?」
「じゃあ、その次は俺の誕生日な」
「え?」
「三人分、順番にすればいいだろ」
「ああ……そっか」
私は少し笑った。
「それなら、忘れなさそう」
「どうだろうな」
朔も笑う。
私は少し離れたところに置いてあった古い缶を見る。
十年前の手紙は、もう全部取り出してある。
「……じゃあ、また未来の自分に向けて手紙を書こうかな」
「そうだな」
朔が頷く。
私はバッグからノートとペンを取り出した。
少し考えてから、ページを開く。
『ちょっと遅れたけど、ちゃんと手紙を読んだよ。
帰ってこられる場所があるって、なんだか安心するね。』
「……こんなものかな」
それだけ書いて、私はペンを置いた。
「……それだけ?」
「うん」
「短いな」
「いいの」
私は紙を小さく折る。
「これだけでも、ちゃんとここにいたって残せるでしょ?」
朔は少しだけ考えてから、頷いた。
「うん。十分だと思う」
「じゃあ、朔も書いて」
「俺も?」
「だって、二人で埋めるんだから」
「……分かった」
私はペンと紙を朔に渡した。
朔は少し考えてから、静かに文字を書き始める。
何を書いているのかは、見ないことにした。
十年前と同じだ。
きっと、こういうのは読まない方がいい。
「書けた?」
「ああ」
朔が紙を折る。
「何書いたの?」
「秘密」
「えー」
「いつか読めばいいだろ」
「そのとき、覚えてるかな」
「覚えてなかったら、そのとき考えればいい」
「何それ」
二人で笑った。
それから、二人で古いタイムカプセルを開けた場所まで戻る。
もう一度、土を掘る。
今度は、十年前の約束を果たすためじゃない。
未来の誰かに、何かを残すためでもない。
ただ、今日ここにいたことを、少しだけ残しておきたかった。
缶を土の中に戻して、二人で土をかぶせる。
「……これでいいかな」
「うん」
朔が立ち上がる。
私も土のついた手を見て、少し笑った。
「今度は、ちゃんと二人で開けようね」
「……ああ」
「三人でもいいけど」
そう言ってから、自分で少し笑う。
朔も、何も言わずに笑った。
私はもう一度、埋めた場所を見る。
十年前の私たちが残したものは、もう手元にはない。
でも、それでいい気がした。
今日ここで見つけたものも。
今日ここで残したものも。
いつか誰かが見つけるまで、ここに置いておけばいい。
十年後の俺たちへ。
ちゃんと三人でこれ開けてる?
もし誰か一人でもいなかったら、約束破りだからな。
まあ、そんなことないと思うけど。
十年後って、どんな感じなんだろうな。
俺はたぶん、いろんなところに行ってる。
ここじゃない海も見て、知らない町にも行って、今まで見たことないものをいっぱい見てると思う。
でも、いろんなところを見たあとで、またここに帰ってきて、
やっぱりここが一番いいなって思えたらいい。
そしたら、三人でまた海を見よう。
――朔へ。
十年経っても、まだ生意気なこと言ってるか?
昔から、朔に何か言われると、言い返したくなるんだよな。
なんかムカつくけど、だいたい合ってるし。
そういうところ、昔から妙に大人びてたよな。
俺にとっては弟みたいなもんだと思ってたけど、気づいたら朔の方がしっかりしてることも多かった。
俺が調子に乗ると止めるし、茜が困ってるとすぐ気づくし。
三人でいると、なんだかんだ朔が一番周りを見てたよな。
まあ、ちょっとうるさいけど。
十年経っても、朔は朔のままでいいからな。
あと、たまには俺のことも思い出せよ。
忘れてたら普通にムカつくからな。
――茜へ。
茜は十年後、何してるんだろうな。
正直、全然想像つかない。
俺が面白いと思ったものは、茜にも見てほしかった。
「ここ行こうぜ」って言えば、なんだかんだついてきてくれたし。
……もしかして、茜が一番好きなのって俺なんじゃないかって、ちょっと思ったこともある。
なんてな。
まあ、そうだったらいいなーとは思ってたけど。
……今思うと、ちょっと調子乗ってたな。
でも、これだけは忘れないで。
茜の帰ってくる場所は、ちゃんとここにあるから。
だから、どこに行ってもいいけど、たまには帰ってこいよ。
じゃあ、また三人で会おう。
P.S.
朔も、まあ……大好きだぞ。
***
最後まで読み終えて、私はしばらく手紙を見つめていた。
紙の上に並ぶ文字を、もう一度ゆっくり目で追う。
知らないはずの言葉なのに。
読んでいるうちに、胸の奥で何かが小さく引っかかった。
「……なんか、変な感じ」
「何が?」
「この手紙」
私は少し考える。
「初めて読んだはずなのに、初めて読んだ気がしない」
朔が手紙を覗き込む。
「……そうか?」
「うん」
もう一度、自分へ宛てた部分を見る。
「『ここ行こうぜ』って、なんか……」
言葉の続きを探す。
「……そういえば、こんな感じだった気がする」
「湊が?」
「うん」
自分で言ってから、少し驚いた。
顔はまだ、はっきりと思い出せない。
それなのに、声や言い方だけが、ぼんやり浮かんでくる。
「なんか、勝手に先に行っちゃう感じ」
「それは合ってる」
朔が笑う。
「やっぱり?」
「昔からそうだった」
「……そっか」
私も少し笑った。
手紙の最後に目を落とす。
「『まあ……大好きだぞ』って、すごい付け足し方だね」
「だろ?」
朔が苦笑する。
「俺の扱い、最後まで雑すぎない?」
「でも……」
私は手紙を見る。
「ちゃんと朔のこと、大事に思ってたんだね」
「……まあ、それは分かるけど」
朔は少し照れたように、手紙から目を逸らした。
私はその横顔を見ながら、ふと口にする。
「そういえば、湊って……こういうところあったな」
「どういうところ?」
「言いたいことは好き勝手書くくせに、最後だけちょっと恥ずかしくなるところ」
「……ああ」
朔が小さく笑う。
「確かに、あったな」
その言葉を聞いて、私も少し笑った。
手紙に書かれていることを読んでいると、知らなかったはずの湊の輪郭が、少しずつ見えてくる。
明るくて。
先に行って。
面白いものを見つけると、誰かに教えたくなる。
そんな姿が、ぼんやりと浮かんでは消えていく。
「……不思議」
「何が?」
「顔は思い出せないのに」
私は手紙の文字に目を落とす。
「こういうところは、少し分かる気がする」
朔は何も言わなかった。
ただ、静かに手紙を見ていた。
私は最初の方へ戻る。
いろんな海を見て。
知らない町へ行って。
それでも、いつかここへ帰ってきたい。
そんな言葉が書かれている。
「……十年後のことなんて、本当に考えてたんだね」
「まあ、あの頃は十年なんてずっと先だったからな」
「うん」
今の私からすれば、十年はあっという間だったようにも思う。
でも、あの頃の私たちにとっては、きっとずっと遠い未来だった。
「……三人でまた海を見よう、か」
小さく呟く。
その言葉が、胸の奥に静かに残った。
「まだ、見てないね」
朔がこちらを見る。
「……そうだな」
私は手紙をそっと閉じる。
三人で見た海のことは、少しずつ思い出してきた。
それでも、もう一度三人で見る海は、まだ知らない。
そんなことを考えながら、私は手紙を封筒に戻そうとした。
そのとき、ふと気づく。
「……あれ?」
「ん?」
「まだ何か入ってる」
封筒を傾ける。
手紙の下から、もう一枚、紙が滑り落ちてきた。
最初に読んだ手紙より、ひと回り小さい。
二つ折りにされている。
「これ……」
私は紙を拾い上げる。
「もう一枚、あったんだ」
「最初から入ってたのか?」
「どうだろ」
二つ折りの紙を手の中で眺めていると、朔がふと口を開いた。
「これさ、封筒開ける前に見つけたメモに似てないか?」
「……ほんとだ」
言われてみれば、確かにそうだった。
紙の色も、折り目の感じも、どちらもまだ新しい。
十年前の手紙は少し黄ばんでいるのに、この紙とさっきのメモだけは、ほとんど変わっていなかった。
「……これ、いつ入れたんだろう」
「いつって……」
朔が紙を見る。
「まさか」
たぶん、考えていることは同じだった。
「……そんなわけないだろ」
「……だよね」
私も頷く。
そんなこと、あるはずがない。
そう思いながらも、私はもう一度、二つ折りの紙を見つめた。
「でも……」
私は紙をそっと指でなぞる。
「『読んでね』って、もしかしてこのこと?」
朔が黙った。
私も、その言葉の意味を考える。
さっきのメモも。
この紙も。
まるで、私たちがこの手紙を読むことを知っていたみたいだった。
「……そうかもしれないな」
朔が小さく呟く。
私は手の中の紙を見つめたまま、しばらく動けなかった。
何が書いてあるのか分からない。
開いてしまえば、それを知ることになる。
「……気になるね」
「うん」
朔も紙を見る。
「開けてみる?」
私は少しだけ迷った。
けれど、ここまで気になってしまったら、もう確かめずにはいられない。
「……うん」
私はゆっくりと二つ折りの紙を開いた。
***
十年前の俺へ。
ただいま。
思ってたより町が変わってなくて、ちょっと驚いた。
なんだか、十年前に戻ったみたいだった。
俺は、あの頃の俺が思い描いてた場所まで、ちゃんと来られたよ。
たくさんの海を見た。
いろんな町にも行った。
知らない場所を歩いて、知らない景色を見るのは、やっぱり楽しい。
まだ見たことのないものが、こんなにたくさんあるんだって思った。
でも、いろんな海を見てきて、やっぱりこの町が、この海が一番好きだって思った。
それにしても、十年前の俺、こんなこと書いてたんだな。
読み返してたら、ちょっと恥ずかしくなった。
二人は、どんなことを書いたんだろう。
せっかくだから、二人にもちゃんとメッセージを残しておく。
――朔へ。
朔が約束を忘れるとは思ってないよ。
たぶん、三人で開けないと意味がないって思ってたんだよな。
約束の日だって、連絡すればよかったかな。
俺が忘れてると思ったのかもしれない。
実際は、俺が一人で開けちゃったわけだから、これじゃ俺の方が約束を破ったみたいだな。
今もこの町に残ってるのかな。
俺がいなくなったあとも、俺たちのことを覚えてるのは、たぶん朔なんだろうな。
茜って、どうでもいいことは覚えてるくせに、大事なことは意外と忘れっぽいからな。
俺も記憶力はいいとは言えないしさ。
これから先、俺たちが忘れてしまったことを、朔だけが覚えてることも増えていくのかもしれない。
今までみたいにさ。
……それって、結構しんどいよな。
でも、俺は朔なら心配ないと思ってる。
朔は昔から、俺たち三人のことをちゃんと見てくれてたから。
俺が気づかないことにも気づいてたし、茜が困ってたら、いつの間にか隣にいた。
俺にはできないことを、朔はできる。
だから、茜のことを頼みたい。
茜が何かを忘れても、無理に思い出させなくていい。
あいつが自分で選んだ道を、ちゃんと見ていてやってくれ。
でも、俺の代わりになろうとしなくていいからな。
俺がいなくなったあとまで、俺たちのことを背負わなくていい。
朔は朔のままでいてくれ。
茜のことも、自分のことも、朔が思うようにすればいい。
俺が勝手にいなくなったくせに、こんなこと言うのも変だけどさ。
それでも、朔には朔自身の時間を生きてほしい。
それが、俺の願いだ。
――茜へ。
もしかして、怒ってるのかな。
あの日、帰ってくるって約束したのに、守らなかったから。
ちゃんと帰ってくるつもりだったんだけどな。
俺、あのとき笑ってたけど、本当は伝えたいことがたくさんあった。
でも、伝えたら今度は俺が茜から離れられなくなると思った。
あの頃は、茜がそばにいることが当たり前だった。
何か面白いものを見つけたら茜にも見せたかったし、どこかに行くときも、自然と茜が一緒にいるような気がしてた。
たぶん、茜も同じだったんじゃないかな。
だから、俺がいなくても、茜自身の世界を見つけてほしいと思った。
そう考えたら、あのタイミングで離れるのも悪くないのかもしれないって思った。
でも、もっとちゃんと話しておくべきだったな。
茜がどんな気持ちで待ってたのか、ちゃんと考えてなかった。
約束したのに帰ってこなくて、ごめんな。
今さら謝っても、許してもらえるかは分からない。
もし昔のことを忘れてしまっていても、それは悪いことじゃないと思う。
茜が覚えてなくても、この町はちゃんと覚えてるから。
海も、坂道も、秘密基地も。
俺たちが笑ってたことも、くだらないことで騒いでたことも。
久しぶりに帰ってきたら、最初は知らない町みたいに感じるかもしれない。
でも、少し歩いてみれば、きっと分かるよ。
変わってないものも、ちゃんとあるって。
思い出せなくても、焦らなくていい。
疲れたら、たまには立ち止まってもいい。
帰ってくる場所は、ちゃんとここにあるから。
思ったより長くなっちゃったな。
本当はまだまだ言いたいことがあるけど、このくらいにしておく。
二人とも、これからも元気で。
それぞれの場所で、ちゃんと楽しくやってくれ。
離れていても、俺たちは三人だから。
たまには、三人でいた時間のことを思い出してくれたら嬉しい。
それくらいでいいよ。
七月二十八日 湊
***
しばらく、何も話せなかった。
朔から話を聞いた時も、日記を読んだ時も、夢の中で三人で過ごした時も、湊がいたことをどこか遠くに感じていた。
思い出せそうなのに、手を伸ばしても届かない。
そんな感覚だった。
でも、この手紙には、湊がここに帰ってきたことが、ちゃんと残っている。
十年前の約束を覚えていて、実際にこの場所まで来ていた。
「……湊、来てたんだ」
自分の声を聞いて、もう一度、手紙を見る。
「ちゃんと……来てたんだ」
十年前に約束した場所に。
私が知らないところで。
私の知らない十年間を過ごした湊が。
今の私のことなんて知るはずもないのに、それでも手紙の中では、昔の私だけじゃなく、今の私に向けるような言葉まで残してくれていた。
『この町はちゃんと覚えてるから』
その言葉が、胸の奥に残った。
帰ってきたはずなのに、知らない町みたいに感じていた。
自分がここにいたことさえ、どこか遠いことのように思えていた。
そんな私に、湊は「忘れていてもいい」と言ってくれた。
それでいいんだと、少しだけ許してもらえたような気がした。
それでも、湊はこの町に帰ってきていた。
そう思ったら、急に視界が滲んだ。
「……なんで」
自分でも気づかないうちに、涙が頬を伝っていた。
どうして泣いているのかは、分からなかった。
約束を破られたことなのか。
手紙を残してくれたことなのか。
それとも――。
一度拭ったはずなのに、また涙が落ちた。
「……茜、泣いてる?」
朔の声に、顔を上げる。
「え?」
慌てて頬を拭う。
「大袈裟じゃない?」
朔が少し困ったように笑う。
「でも……」
私は朔の顔を見る。
「……朔も泣いてる」
「……え?」
朔は一瞬、意味が分からないような顔をした。
それから、自分の頬に触れる。
指先が濡れているのを見て、少しだけ目を見開いた。
「……ほんとだ」
自分でも気づいていなかったらしい。
朔は困ったように笑って、手の甲で涙を拭った。
「……なんでだろ。手紙、読んだだけじゃん」
「……うん」
朔の言うとおりだった。
ただ手紙を読んだだけだ。
そこに湊がいるわけでもない。
声が聞こえたわけでもない。
それなのに、二人とも泣いていた。
「……変なの」
私が小さく笑うと、朔も笑った。
「ほんとにな」
少しだけ笑って、それから二人でまた手紙を見る。
もう一度、そこに書かれた文字を追う。
十年前の湊が残した言葉。
そして、十年後に湊がここへ帰ってきて残した言葉。
どちらも、ちゃんとここにある。
「……湊、ほんとにいたんだね」
ぽつりと呟くと、朔は少しだけ黙ってから、
「うん」
と答えた。
「……ずっと、いたよ」
その言葉を聞いて、私は小さく頷いた。
しばらく、二人とも何も言わなかった。
手紙を見つめたまま、私はゆっくり息を吐く。
泣いたせいか、胸の奥にあったものが少しだけ軽くなった気がした。
「……ねえ、朔」
「ん?」
「これ、どうする?」
私は手の中の手紙を見る。
朔も少し考えるように手紙を見た。
「どうするって?」
「タイムカプセル」
「ああ……」
朔が、少しだけ困ったように笑う。
「もう一回、埋める?」
「……もう一回?」
「うん」
「また十年後に開けるの?」
「さあ」
朔が肩をすくめる。
「別に、十年後じゃなくてもいいんじゃないか」
「じゃあ、いつ?」
「さあな」
「適当だなあ」
「茜が決めればいいだろ」
「私?」
「うん」
そう言われて、私は少し考える。
「うーん……。今回は湊の誕生日に開けるって決めてたから……」
私は少し考えてから、笑った。
「次は私の誕生日とか?」
「じゃあ、その次は俺の誕生日な」
「え?」
「三人分、順番にすればいいだろ」
「ああ……そっか」
私は少し笑った。
「それなら、忘れなさそう」
「どうだろうな」
朔も笑う。
私は少し離れたところに置いてあった古い缶を見る。
十年前の手紙は、もう全部取り出してある。
「……じゃあ、また未来の自分に向けて手紙を書こうかな」
「そうだな」
朔が頷く。
私はバッグからノートとペンを取り出した。
少し考えてから、ページを開く。
『ちょっと遅れたけど、ちゃんと手紙を読んだよ。
帰ってこられる場所があるって、なんだか安心するね。』
「……こんなものかな」
それだけ書いて、私はペンを置いた。
「……それだけ?」
「うん」
「短いな」
「いいの」
私は紙を小さく折る。
「これだけでも、ちゃんとここにいたって残せるでしょ?」
朔は少しだけ考えてから、頷いた。
「うん。十分だと思う」
「じゃあ、朔も書いて」
「俺も?」
「だって、二人で埋めるんだから」
「……分かった」
私はペンと紙を朔に渡した。
朔は少し考えてから、静かに文字を書き始める。
何を書いているのかは、見ないことにした。
十年前と同じだ。
きっと、こういうのは読まない方がいい。
「書けた?」
「ああ」
朔が紙を折る。
「何書いたの?」
「秘密」
「えー」
「いつか読めばいいだろ」
「そのとき、覚えてるかな」
「覚えてなかったら、そのとき考えればいい」
「何それ」
二人で笑った。
それから、二人で古いタイムカプセルを開けた場所まで戻る。
もう一度、土を掘る。
今度は、十年前の約束を果たすためじゃない。
未来の誰かに、何かを残すためでもない。
ただ、今日ここにいたことを、少しだけ残しておきたかった。
缶を土の中に戻して、二人で土をかぶせる。
「……これでいいかな」
「うん」
朔が立ち上がる。
私も土のついた手を見て、少し笑った。
「今度は、ちゃんと二人で開けようね」
「……ああ」
「三人でもいいけど」
そう言ってから、自分で少し笑う。
朔も、何も言わずに笑った。
私はもう一度、埋めた場所を見る。
十年前の私たちが残したものは、もう手元にはない。
でも、それでいい気がした。
今日ここで見つけたものも。
今日ここで残したものも。
いつか誰かが見つけるまで、ここに置いておけばいい。



