君を、君だと知らなかった

 しばらくして、私はふと口を開いた。
 「……タイムカプセル」
 「ん?」
 「前に話したよね」
 「ああ」
 「まだ秘密基地にあるんだよね?」
 「ある」
 「十年、そのまま?」
 「たぶん」
 「たぶんって」
 思わず笑う。
 「だって、掘ってないからな」
 「そっか」
 私は海を見る。
 あの場所で見つけた三つの石。
 その近くに埋まっている、十年前の時間。
 「……掘ってみない?」
 「今日?」
 「うん」
 朔は少し考えるように海を見る。
 「……いいけど」
 「ほんと?」
 「俺も、ちょっと気になってた」
 「じゃあ、行こう」
 私は立ち上がる。
 朔も立ち上がった。
 「でも、三人で掘るって約束だっただろ」
 「うん」
 「だから、今までそのままにしてた」
 その言葉を聞いて、私は少しだけ笑った。
 「じゃあ、三人で掘ろう」
 「……二人しかいないけど」
 「三人じゃん」
 「は?」
 朔がこちらを見る。
 「私と朔と、湊」
 「いや、今ここに三人いないだろ」
 「いるよ」
 「どこに?」
 私は少しだけ考える。
 「……私たちの中」
 朔が黙った。
 私は海の方へ目を向ける。
 「私、忘れてたけど……朔はずっと覚えてたんでしょ」
 「……まあな」
 「だから、湊もここにいるよ」
 朔は何も言わなかった。
 しばらく海を見たまま、静かに息を吐く。
 それから、ほんの少しだけ笑った。
 「……なんだそれ」
 呆れたような声だった。
 けれど、その表情はどこか嬉しそうだった。
 「……そうだな」
 それだけ言って、朔が立ち上がる。
 「じゃあ、行こう」
 「うん」
 秘密基地へ続く道を、二人で歩き始めた。


 木の枝を避けながら、細い道を進んでいく。
 歩いているうちに、少しずつ周りの景色が見えてきた。
 「……なんか、不思議」
 「何が?」
 「この道、前にも歩いたはずなのに」
 私は周りを見ながら、ゆっくり歩く。
 「今歩いてると、昔のことが少しだけ近く感じる」
 「そうか?」
 「うん。ここに木があったこととか、こうやって枝を避けたこととか……」
 言葉にしながら、自分でも少し不思議だった。
 はっきりした記憶が戻ってきたわけじゃない。
 ただ、足を進めるたびに、昔の自分が歩いていた場所と今の景色が、少しずつ重なっていくような気がする。
 「まあ、十年ぶりだからな」
 朔が前を向いたまま言う。
 「町は変わってなくても、見え方は変わるだろ」
 「……そうかも」
 私は小さく頷いて、もう一度前を見る。
 その先に、小さな空き地が見えてきた。
 古い木が一本。
 その根元に、三つの石。
 その向こうには、海が少しだけ見える。
 「……ここだ」
 足を止める。
 「うん」
 朔が三つの石の前に立つ。
 「この辺だったと思う」
 「覚えてる?」
 「だいたいな」
 朔はしゃがみ込み、三つの石から少し離れた地面を眺める。
 「このあたりだったはず」
 「結構適当だね」
 「子どもの頃だからな」
 「そっか」
 「でも、場所は合ってると思う」
 「じゃあ、探してみよう」
 私も朔の隣にしゃがみ込む。
 「何か道具、ある?」
 「……どうだろ」
 朔が周りを見回す。
 すると、少し離れた木の根元に、小さなスコップが立てかけてあるのが見えた。
 「……あれ、使えるんじゃない?」
 「ほんとだ」
 朔が立ち上がって取りに行く。
 「誰かが準備してくれてたのかな」
 「……かもな」
 朔はスコップを手に取る。
 「それとも、ずっとここに置いてあったとか」
 「そうかも」
 スコップについた土を軽く払って、朔が戻ってくる。
 「使えそう」
 「よかった」
 二人で地面に向き直る。
 朔がスコップを土に入れ、私はその隣で土を手でかき分けていく。
 「結構硬い」
 「雨のあとだからな」
 「柔らかくなるのかと思ってた」
 「表面だけだろ」
 「そうなんだ」
 「知らなかった?」
 「知らない」
 「俺も詳しいわけじゃないけど」
 「なんだ、それ」
 思わず笑ってしまう。
 朔も少しだけ口元を緩めた。
 二人で土を掘っていく。
 しばらくすると、会話も途切れた。
 聞こえるのは、スコップが土に当たる音と、木の葉が風に揺れる音だけだった。
 私は手を止め、ふと顔を上げる。
 「タイムカプセルって、七月二十八日に開ける約束をしたんだよね」
 「そう」
 「なんで、その日だったの?」
 朔は少し笑った。
 「湊が決めた」
 「湊が?」
 「自分の誕生日だから」
 「……え?」
 「『俺の誕生日なら絶対忘れないだろ』って」
 「なにそれ」
 思わず笑ってしまう。
 「湊らしいね」
 「だろ?」
 朔も笑う。
 「俺は別の日でもよかったんだけど、あいつが聞かなかったんだよ」
 「朔、昔から振り回されてたんだね」
 「今さらだろ」
 「……確かに」
 また土を掘り始める。
 「じゃあ、七月二十八日って、湊にとって特別な日だったんだ」
 「まあ、誕生日だからな」
 「そっか」
 そのとき、朔のスコップが何かに当たった。
 「……ん?」
 小さな音がして、朔の手が止まる。
 「何?」
 「今、何か当たった」
 私は身を寄せる。
 朔はスコップを置き、手で周りの土を払っていく。
 少しずつ、何かの端が見えてきた。
 「……これ」
 「え?」
 土の中から出てきたのは、古びた金属の缶だった。
 ところどころ土がこびりついている。
 「タイムカプセル?」
 「これだろ」
 「……ほんとだ」
 二人で顔を見合わせる。
 朔が缶を持ち上げる。
 思っていたより、ずっと小さい。
 「これに入ってるんだ」
 「そうみたいだな」
 「なんか、もっと大きいの想像してた」
 「何入れたか覚えてないのか?」
 「……全然」
 「だろうな」
 朔は缶についた土を手で払い落とす。
 古い傷がいくつかついている。
 それでも、蓋はちゃんと閉じたままだった。
 「……開けてみる?」
 私は缶を見る。
 「うん」
 朔が蓋に手をかける。
 けれど、すぐには動かさなかった。
 「どうしたの?」
 「いや」
 朔は缶を見つめたまま、少し笑う。
 「なんか、ちょっと緊張するな」
 「朔でも緊張するんだ」
 「するだろ」
 「そうだね」
 私も少し笑う。
 朔がゆっくりと蓋を開ける。
 中には、十年前に入れたものがいくつか残っていた。
 「……これ、私のだ」
 小さく折りたたまれた紙を開く。
 そこには、子どもの頃の自分の字が並んでいた。
 紙は少し黄ばんでいて、ところどころ折り目も薄くなっている。
 私は書かれている言葉を、ゆっくり目で追った。
 『十年後の私へ。
 ちゃんと約束、覚えてた?
 大人になったら、今よりもっといろんなことができるようになってるかな。
 これからも、ずっと仲良し三人組でいてね』
 「……」
 最後の一文を見て、少しだけ笑う。
 「……昔の私、こんなこと書いてたんだ」
 「何書いた?」
 隣から朔が覗き込もうとする。
 「見ないで」
 「なんで?」
 「恥ずかしいから」
 「今さらだろ」
 「今さらだから恥ずかしいの」
 そう言って、私は手紙を折りたたんだ。
 「朔のもある?」
 「ある」
 朔が缶の中を探す。
 「あった」
 「何書いたの?」
 「それは秘密」
 「えー」
 「見せない」
 「ちょっとくらいいいじゃん」
 「嫌だ」
 「ケチ」
 「うるさい」
 そのやり取りがおかしくて、私は小さく笑った。
 朔は自分の手紙を開いたけれど、最後まで内容を見せてくれなかった。
 残っているのは、あと一つだった。
 「……湊のかな」
 朔が取り出したものを見て、少しだけ首を傾げる。
 「……あれ?」
 「どうしたの?」
 「これ、封筒だったっけ」
 朔の手には、一通の封筒があった。
 「湊の?」
 「たぶん」
 「でも、湊も紙を入れてなかった?」
 「……そうだった気がする」
 十年前のことだ。
 何を入れたかなんて、細かいところまでは覚えていない。
 「最後にまとめるの、湊に任せたんだよね」
 「うん」
 「じゃあ、そのとき封筒に入れたのかも」
 「そうかもな」
 私は封筒を受け取った。
 他の紙と同じように、少し古びている。
 表面には細かな傷があり、角も少しだけ潰れていた。
 「……」
 封筒を見つめる。
 「どうした?」
 「いや……」
 少し迷ってから、私は言った。
 「湊のだから、勝手に開けるのって……なんか、ちょっと」
 「……分かる」
 朔も封筒を見る。
 「三人で開けるって言ってたしな」
 「うん」
 二人とも、しばらく黙っていた。
 そのとき、朔が缶の中を覗き込んだ。
 「……あれ?」
 「何?」
 「まだ入ってる」
 底の方に、小さな紙が一枚残っていた。
 朔がそれを取り出す。
 さっきまでの紙とは、明らかに違っていた。
 黄ばんでいない。
 折り目もほとんどなく、紙の表面も綺麗なままだった。
 「……新しい?」
 「みたいだな」
 朔が紙を裏返す。
 そこに書かれていた文字を見て、私は少しだけ目を細めた。
 「……湊の字」
 朔が紙を見つめたまま、ぽつりと言う。
 「……相変わらず汚いな」
 「そうなの?」
 私は朔を見る。
 「昔から?」
 「うん。昔から変わってない」
 「……へえ」
 私はもう一度、紙に目を落とした。
 メモには、短い言葉だけが書かれていた。
 ――茜と朔へ。
 ちゃんと手紙、受け取った?
 読んでね。
 「……」
 私はもう一度、メモを見る。
 「……なんか、他人事みたいじゃない?」
 「何が?」
 「『読んでね』って」
 「三人で開けるって言ってたんだから、そのとき言えばいいのにな」
 朔が少し笑う。
 「そういうところが、あいつらしいんだよ」
 「……そうなの?」
 「何か思いついたら、先にやってみるやつだったろ」
 「……ああ」
 その言葉に、少しだけ納得する。
 「そうだったかも」
 私はもう一度、メモを見る。
 たったそれだけの言葉なのに、妙に湊らしく感じた。
 「じゃあ……」
 私は封筒を見る。
 「読んでいいってことだよね」
 「本人が書いてるんだから、いいだろ」
 「うん」
 私は封筒の端を、そっと指でつまんだ。