残念で残念で残念な天才検事と恋する事務官

『あなたをいつも見ています』。

 その一文を見た瞬間、全身に戦慄が走った。

 帰り道を歩いていたときから、なんか嫌だな、と漠然と感じていた。誰かに見られているような、誰かがついてきているような、そんな気味悪い感覚があったのだ。いやいや自意識過剰だ、男をストーキングするやつなんているか、と自分を奮い立たせて、どうにか自宅のポストの前まで辿り着いた。

 そこで待っていたのが、これだ。

 郵便物を確認しようとポストの扉を開くと、A5サイズの紙が二つ折りにして入っていた。 軽い気持ちで中を開くと、明朝体で印字されたその一文があった。

 ――嫌がらせ、か?

 職業柄、怨みを買うことは多い。

 量刑に不服で、と検察官に襲いかかった犯罪者の話を耳にしたことも度々ある。事務官には量刑を決定する権限などないが、取り調べを受けている被疑者にとっては、検事も事務官も、みんなひとしなみに敵に見えることだろう。

 ただのいたずらだ、と自分に言い聞かせ、紙を畳んでスーツのポケットにしまった。こういうとき、深く考えてはいけない。でないと、眠れなくなりそうだ。

「ただいま……と」

 おかえりー、と晩御飯を用意して出迎えてくれる彼女。が、喉から手が出るほど欲しい、今日この頃。

 出会いがないよなあ、と嘆息を漏らしながら靴を脱ぐ。出会い自体は多い仕事だが、生憎お相手は、脛にきず持つ不逞の輩ばかりなのだ。

 今日は事件に関する調べ物が長引いた。帰宅し、途中コンビニで買った弁当を食べ、シャワーを浴び終えたころには、時計はすでに十二時をまわろうとしていた。深夜にやっているバラエティー番組を三十分ほど見て、ベッドにもぐりこむ。明日も早い。

 部屋の電気を消し、瞼を閉じて数秒――心臓の内側から、どろりと恐怖の感情が一気に流れ出してきた。

『あなたをいつも見ています』。

 禍々しいあの一文が、脳裏によみがえる。 はっとして目を開けた。電気をつけ、カーテンが閉まっていることを確認する。次に玄関へ行き、戸締りを確かめた。念のためチェーンもかける。

「これなら大丈夫……だよな」

 サンダルのまま、玄関先にうずくまる。

「こわ……」

 誰かに電話しようか。

 家族の顔が真っ先に思い浮かんだが、でも、と思いとどまった。オレの実家は遠い地方にあるので、電話したところで心配をかけるだけだろう。

 桔平はどうだ? ああ、でも聞くところによると、あいつは彼女と同棲しているはずだった。こんな夜中に呼びだしたら悪い。

 今日のところは様子を見て、明日、さらに嫌がらせが続くようなら、誰かに相談しよう。警察に行ってもいいかもしれない。

 再び寝床についた。 言うまでもなく、ほとんど眠れなかった。

 真偽のほどはともかく、目を閉じているだけでも七十パーセント程度の休息効果があるとどこかで聞いた。だから、せめて瞼だけは一生懸命おろしていた。こちとら、明日も仕事なのだ。 こんなことで仕事を休むわけにはいかない。学生とは違うのだ。