問題は、夜だった。心臓の不調が極限まで悪化して、死ぬかと思った。
というのも、こんな出来事があったせいだ。
今日はトマト味ではなく、ペペロンチーノをふるまった。レシピ首っ引きで初めて作ったものだったが、無言でパスタを口に運ぶ検事から判ずる限り、どうやら満足してくれたようだ。
それからベッドに入るまでの流れは、昨日とほぼ一緒だった。 検事が先にシャワーを浴び、その後にオレが続いた。当然、寝室に向かう順序も、検事、ベス、最後にオレとなる。
この寝室で夜を過ごすのは、もう実に三日目だ。こんなに連泊になるとは、夢にも思わなかった。相変わらずだぶつくルームウェアを引き摺って、ベッドにのし上がる。
唯一の枕は基本的に検事が占拠しているので、今日はソファからクッションを拝借した。
おやすみなさい、と礼儀として小声で検事に囁いたが、返事はなかった。もう寝入ったらしい。
今日は散々だったな。
瞼を閉じて、そう思った。 松波検事に翻弄されること自体は、今に始まったわけでもない。しかし、今日の翻弄のされ方は、これまでと少し趣が異なる気がした。
検事と目が合ったり、名前を呼ばれたりするだけで、煩わしいほどに心臓が変調をきたすのだ。検事と目が合ったり、名前を呼ばれたりするだけで、直線的な胃のむかつきを覚えることは多々あったけれど、こんな心臓の異常は初めてだ。
さて、ここで断っておきたいのだけれど――オレだって、そんなにニブくはない。
だって、もう齢二十四である。いい年の、一端の社会人だ。人生経験は、齢の分だけ積んできたし、恋愛だって人並みにはしてきたつもりだ。だからこの奇妙な動悸が、何を意味するかくらいは見当がつき始めていた。
オレ、まさか、検事のこと――
「うわッ!」
ベッドが軋むほどの勢いで、跳び起きた。
だ、駄目だ! 言葉にするのもおぞましい。
――無理無理無理無理無理……!
激しく何度も頭を横に振った。火照った二つの頬を、手のひらで冷やす。そんなオレの行動に驚いたらしいベスが、ベッドから逃げ出していった。
――ありえない、ありえない、ありえない……!
オレが検事にホニャララだなんて、そんなの、ありえて、たまるかよ!
動転した気を静めるために深呼吸を繰り返していると、となりで騒いでしまったせいか、検事がかすかに動いた。
「ん……」
夢うつつの境にいるのか、目を閉じたまま、あたりを手探りしている。 まずい、起こしてしまったか。
「あ、検事、すみませ――」
語尾が途切れた。枕の周りを探っていた検事の手に、オレの腕が当たった。かと思うと検事は、そのままオレの腕を鷲掴みにし、強い力で引き寄せてきた。
「え、ちょっ……」
気付けば、オレが検事の身体に乗り上げる形になった。互いの腹部が密着する。逃れようにも、背中を腕で固定されてしまい、ままならない。 それでもどうにか身体を脱出しようとあがくと、後頭部に検事の手が回り、その手にぐっと力がこもった。
「け、検……う、んっ……!」
押しつけられるようにして、二つの唇が、重なる。
心臓が、一気に喉元までせり上がってきた。頭が混乱する。
顔の角度を変えられると、よりキスが深まった。
「ん、んう……!」
この理不尽な口づけから逃れたいのに、思考回路が正常に機能しないせいで、うまくいかない。
そのうちに、オレの背中に回っていた検事の手が、サイズの合っていないスウェットの間から滑り込んできた。体温の低い検事の、ヒヤリとした手のひらの感触に、背筋をびくつかせる。 検事の舌先がオレの唇をなぞり、侵入してきた冷たい手のひらが、背中を這い回る。
「け、検事……っあ……!」
ど、どういうことだ? 今、一体何が起こっている?
身体全体の発熱を感じた。全身の毛が逆立ち、ぶる、と皮膚が震えた。男の生理現象として、下半身に熱が集まっていく。
――料理なんか何一つできないくせに、どうしてこんなに、キスがうまいんだ。
ぎゅっと目を閉じると、目尻に涙が滲んだ。このままだと、どうにかなりそうだ。頼りない己の腕力では、この流れに抗える自信もない。
どうしよう、どうしよう、と思考が空回りし、頭から煙が出そうになった時、突然に、検事の動きが止まった。
「エリ……」
ぎりぎり聞き取れるくらいの微かな声量で、検事はそんな言葉を漏らし、再び眠りについた。おそらく、寝ぼけての暴挙だったのだろう。
オレはよろよろと覚束ない足取りで、それでも全速力で、寝室を出た。木製のドアを閉め、床に尻をつくように座り込む。
「……あ、ありえない……」
強引に奪われた唇を、両手で覆った。熱風のような吐息が手のひらにかかる。頬はもちろん、額や耳まで、おそろしく発熱していた。激しい心音による音圧で鼓膜が痛んだ。視界が塩辛い液体でぼやける。
ありえない、ともう一度、念じた。
寝ぼけた末の検事の愚行に対してではなかった。その愚行に、正常を保てずにいる自分に対してだ。
正気を失った心臓や、うまく呼吸が出来ない肺や、ショートした脳の回路、紅潮した頬、ぼやけた視界、それら全てに、「ありえない」と難癖をつけた。 何より最悪なのは、明らかに昂ぶった、足の間のそれだ。
男からの、しかもあんな横着者からの、たかがキス一つで、どうしてこんなふうになるんだ。この病気はなんだ。
「……いや、」もう、やめよう。
病気かも、などと言ってこの感情をごまかすのは、もうやめだ。
やばい、とは思う。ありえない、と大声で叫びたい。
だけど、
「……好きに、なっちゃったんだ……っ」
あんな、史上最悪の、横暴検事のことが。
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いつも「いいね」ボタンの応援をありがとうございます…!幸せいっぱいです。
単細胞なので、嬉しすぎて、新しい番外編を2つ書き下ろしました。笑 2つとも付き合った後の松波&蓮のお話です。
完結後に掲載します* お忙しい日々のなか、拙文に目を留めてくださり本当にありがとうございます。
というのも、こんな出来事があったせいだ。
今日はトマト味ではなく、ペペロンチーノをふるまった。レシピ首っ引きで初めて作ったものだったが、無言でパスタを口に運ぶ検事から判ずる限り、どうやら満足してくれたようだ。
それからベッドに入るまでの流れは、昨日とほぼ一緒だった。 検事が先にシャワーを浴び、その後にオレが続いた。当然、寝室に向かう順序も、検事、ベス、最後にオレとなる。
この寝室で夜を過ごすのは、もう実に三日目だ。こんなに連泊になるとは、夢にも思わなかった。相変わらずだぶつくルームウェアを引き摺って、ベッドにのし上がる。
唯一の枕は基本的に検事が占拠しているので、今日はソファからクッションを拝借した。
おやすみなさい、と礼儀として小声で検事に囁いたが、返事はなかった。もう寝入ったらしい。
今日は散々だったな。
瞼を閉じて、そう思った。 松波検事に翻弄されること自体は、今に始まったわけでもない。しかし、今日の翻弄のされ方は、これまでと少し趣が異なる気がした。
検事と目が合ったり、名前を呼ばれたりするだけで、煩わしいほどに心臓が変調をきたすのだ。検事と目が合ったり、名前を呼ばれたりするだけで、直線的な胃のむかつきを覚えることは多々あったけれど、こんな心臓の異常は初めてだ。
さて、ここで断っておきたいのだけれど――オレだって、そんなにニブくはない。
だって、もう齢二十四である。いい年の、一端の社会人だ。人生経験は、齢の分だけ積んできたし、恋愛だって人並みにはしてきたつもりだ。だからこの奇妙な動悸が、何を意味するかくらいは見当がつき始めていた。
オレ、まさか、検事のこと――
「うわッ!」
ベッドが軋むほどの勢いで、跳び起きた。
だ、駄目だ! 言葉にするのもおぞましい。
――無理無理無理無理無理……!
激しく何度も頭を横に振った。火照った二つの頬を、手のひらで冷やす。そんなオレの行動に驚いたらしいベスが、ベッドから逃げ出していった。
――ありえない、ありえない、ありえない……!
オレが検事にホニャララだなんて、そんなの、ありえて、たまるかよ!
動転した気を静めるために深呼吸を繰り返していると、となりで騒いでしまったせいか、検事がかすかに動いた。
「ん……」
夢うつつの境にいるのか、目を閉じたまま、あたりを手探りしている。 まずい、起こしてしまったか。
「あ、検事、すみませ――」
語尾が途切れた。枕の周りを探っていた検事の手に、オレの腕が当たった。かと思うと検事は、そのままオレの腕を鷲掴みにし、強い力で引き寄せてきた。
「え、ちょっ……」
気付けば、オレが検事の身体に乗り上げる形になった。互いの腹部が密着する。逃れようにも、背中を腕で固定されてしまい、ままならない。 それでもどうにか身体を脱出しようとあがくと、後頭部に検事の手が回り、その手にぐっと力がこもった。
「け、検……う、んっ……!」
押しつけられるようにして、二つの唇が、重なる。
心臓が、一気に喉元までせり上がってきた。頭が混乱する。
顔の角度を変えられると、よりキスが深まった。
「ん、んう……!」
この理不尽な口づけから逃れたいのに、思考回路が正常に機能しないせいで、うまくいかない。
そのうちに、オレの背中に回っていた検事の手が、サイズの合っていないスウェットの間から滑り込んできた。体温の低い検事の、ヒヤリとした手のひらの感触に、背筋をびくつかせる。 検事の舌先がオレの唇をなぞり、侵入してきた冷たい手のひらが、背中を這い回る。
「け、検事……っあ……!」
ど、どういうことだ? 今、一体何が起こっている?
身体全体の発熱を感じた。全身の毛が逆立ち、ぶる、と皮膚が震えた。男の生理現象として、下半身に熱が集まっていく。
――料理なんか何一つできないくせに、どうしてこんなに、キスがうまいんだ。
ぎゅっと目を閉じると、目尻に涙が滲んだ。このままだと、どうにかなりそうだ。頼りない己の腕力では、この流れに抗える自信もない。
どうしよう、どうしよう、と思考が空回りし、頭から煙が出そうになった時、突然に、検事の動きが止まった。
「エリ……」
ぎりぎり聞き取れるくらいの微かな声量で、検事はそんな言葉を漏らし、再び眠りについた。おそらく、寝ぼけての暴挙だったのだろう。
オレはよろよろと覚束ない足取りで、それでも全速力で、寝室を出た。木製のドアを閉め、床に尻をつくように座り込む。
「……あ、ありえない……」
強引に奪われた唇を、両手で覆った。熱風のような吐息が手のひらにかかる。頬はもちろん、額や耳まで、おそろしく発熱していた。激しい心音による音圧で鼓膜が痛んだ。視界が塩辛い液体でぼやける。
ありえない、ともう一度、念じた。
寝ぼけた末の検事の愚行に対してではなかった。その愚行に、正常を保てずにいる自分に対してだ。
正気を失った心臓や、うまく呼吸が出来ない肺や、ショートした脳の回路、紅潮した頬、ぼやけた視界、それら全てに、「ありえない」と難癖をつけた。 何より最悪なのは、明らかに昂ぶった、足の間のそれだ。
男からの、しかもあんな横着者からの、たかがキス一つで、どうしてこんなふうになるんだ。この病気はなんだ。
「……いや、」もう、やめよう。
病気かも、などと言ってこの感情をごまかすのは、もうやめだ。
やばい、とは思う。ありえない、と大声で叫びたい。
だけど、
「……好きに、なっちゃったんだ……っ」
あんな、史上最悪の、横暴検事のことが。
---------------
いつも「いいね」ボタンの応援をありがとうございます…!幸せいっぱいです。
単細胞なので、嬉しすぎて、新しい番外編を2つ書き下ろしました。笑 2つとも付き合った後の松波&蓮のお話です。
完結後に掲載します* お忙しい日々のなか、拙文に目を留めてくださり本当にありがとうございます。



