シャワーを浴び終えて、脱衣所に出る。浴室の外は、身震いするくらい寒かった。足の指先など、せっかくお湯で温めたというのに、たちまち冷えてしまう。急いでバスタオルを取り、身体に巻きつけた。
ルームウェア兼パジャマは、検事から借りたものだ。身長差のせいで、身につけるとかなりだぶつく。長身で手足もスラリと長い松波検事と、自分のチンチクリンな体型の差をいやでも認識させられる。
松波理人という人物を脳内に思い浮かべる。
イケメンで、頭脳明晰で、タッパもある――「神は二物を与えない」という、凡庸な庶民が生み出したに違いない流言を、いとも容易に反証してみせるような存在だ。その代わり、人として当然の常識や神経が、そこら中欠落しているが。
歯を磨き、髪をドライヤーで乾かしてから、テーブルに置かれたままの二人分の食器を流しへ運んだ。食器を洗うのは明日でいいだろう。明日は土曜日、つまり、素晴らしき休日なのである。
検事とベスはもう寝室に入っていた。音を立てないように、慎重にベッドに身体を滑り込ませる。
オレは右側、検事は左側、そして真ん中にはベスだ。検事が言っていた通り、二人と一匹が横になっても、まだ若干の余裕がある。ダブルベッドというやつだろう。
一人暮らしの男の部屋にダブルベッドがあると、何か特別な理由でもあるのか、と勘繰りたくなるが、マンション内には、女性の影を示唆するようなものは一切見当たらない。単にベスと一緒に眠るためなのだろう。検事はそういう男だ、たぶん。
おやすみなさい、と声をかけようかと思ったが、やめた。先ほどの名前の件で、オレはまだ腹を立てていた。むっつりと口を噤んだまま、検事に背中を向けるような体勢で、横になった。
もぞ、と闇の中で動いたのは、検事の身体だ。まだ起きていたらしい。
検事は昨日と同じく、ベスの身体を抱えて移動させた。そして、何をするのかと思えば、後ろからオレに抱きついてきた。
検事の黒い頭髪が、オレの首筋に埋まる。 オレはオレで、大して驚きもしなかった。これくらいのことは、松波検事の「突飛な行動コレクション」のうちにも入らない。
「……なんです、これ」
だけど一応、真意を尋ねてみた。
「寒いんだ。だからだ」
ぎゅう、とオレの胸部にまわした腕に力をこめる。
「だったら、ベスでも抱いててくださいよ」
窮屈なんですけど、とオレは難色を示す。
「言われなくとも、いつもはそうしている」
腕を離してくれる気はないようだ。
「だが、ベスよりも君のほうが、身体が大きいからな。その分、暖かい」
「人を湯たんぽや巨大抱き枕の代わりにしないでください」
はぁ、とわざと聞こえるように溜息をつく。思い切り嫌味を込めた溜息のつもりだったが、この程度の攻撃が検事に通用するはずもない。
「おやすみ、蓮」
しかしながらこの一言には、抱きつかれたことよりも、数十倍はぎょっとした。
「お、おやすみなさい」と焦って返す。
おやすみ、という挨拶のたぐいが、検事の口から率先して出たことにも、蓮、といきなり名前を呼ばれたことにも、心臓がひっくり返るくらい驚いた。
「ベスの匂いも好きだが、君もなかなか、いい匂いだ」
「えっ? あ、そ、そうですか?」
耳の裏が熱くなるのを感じる。なんだこの人、夜は甘えんぼうになるタイプなのか?
それきり検事は口を閉ざすと、数分後には規則正しい寝息を立て始めた。オレはといえば、まだ胸がどきどきと喧しく騒いでいる。
寝る前に、びっくりするようなことを言わないでほしい。
首を捻るようにして、ちら、と検事の寝顔を見た。白樺の木肌みたいに清らかな、白い頬が暗闇に浮かび上がっている。
昼間は、才気走った強烈な印象を与えてくる切れ長の双眸が、今はぴったりと閉じられ、どちらかといえば儚げな寝顔だ。
前髪がさらりと掛かった目元には、どことなく幼さもある。
要するに、儚げで、幼げで、とんでもなく綺麗な、寝顔だった。
――う、うわ……!
慌てて、目を背ける。これは、目の毒だ。
ドクリ、と一度心臓が苦しく呻いた。そうして、肋骨を内側から叩くような激しい拍動を始めた。胸元を左手で押さえる。 なんだか息苦しい。
――や、やばい、かもしれない。
なんとなく、やばい予感がする。ちょっとやそっとじゃない、非常にやばい予感だ。
落ち着け、呼吸を整えろ。相手は男だ。しかもあの最低最悪の松波検事だ。大丈夫だ……。
よし、確認のために、もう一度見てみよう。今度は大丈夫、何も感じないはずだ。
ゆっくりと、検事のほうを振り返る。彼の寝顔が、視界の真ん中に映りこむ。 その途端、ぎゅう、とまたも心臓が強烈に縮こまった。完治しそうだった謎の息苦しさが再発する。
――や、やっぱり、駄目だ!
直視できない。 なんでだ、と自問する。
どうした、オレ。ただの最低男の、ただの寝顔じゃないか!
朝よ早く来い、と念じた。冷え切っていたはずの足の指先は、いつの間にか、鬱陶しいくらいの熱を帯びていた。
【続】
------------
たくさんの「いいね」の励ましを本当にありがとうございます…!
あまりにも嬉しいので、(この作品の元となった作品はウン年前に書いたものなのですが)調子に乗ってウン年ぶりに書き下ろしの番外編を書き始めました。本編完結後に載せる予定です^^
(松波×蓮のいちゃいちゃを書きたいなと思っています!)
「残念検事」はまだまだ続きます。よろしければ最後までお付き合いいただけたら幸せです*
ルームウェア兼パジャマは、検事から借りたものだ。身長差のせいで、身につけるとかなりだぶつく。長身で手足もスラリと長い松波検事と、自分のチンチクリンな体型の差をいやでも認識させられる。
松波理人という人物を脳内に思い浮かべる。
イケメンで、頭脳明晰で、タッパもある――「神は二物を与えない」という、凡庸な庶民が生み出したに違いない流言を、いとも容易に反証してみせるような存在だ。その代わり、人として当然の常識や神経が、そこら中欠落しているが。
歯を磨き、髪をドライヤーで乾かしてから、テーブルに置かれたままの二人分の食器を流しへ運んだ。食器を洗うのは明日でいいだろう。明日は土曜日、つまり、素晴らしき休日なのである。
検事とベスはもう寝室に入っていた。音を立てないように、慎重にベッドに身体を滑り込ませる。
オレは右側、検事は左側、そして真ん中にはベスだ。検事が言っていた通り、二人と一匹が横になっても、まだ若干の余裕がある。ダブルベッドというやつだろう。
一人暮らしの男の部屋にダブルベッドがあると、何か特別な理由でもあるのか、と勘繰りたくなるが、マンション内には、女性の影を示唆するようなものは一切見当たらない。単にベスと一緒に眠るためなのだろう。検事はそういう男だ、たぶん。
おやすみなさい、と声をかけようかと思ったが、やめた。先ほどの名前の件で、オレはまだ腹を立てていた。むっつりと口を噤んだまま、検事に背中を向けるような体勢で、横になった。
もぞ、と闇の中で動いたのは、検事の身体だ。まだ起きていたらしい。
検事は昨日と同じく、ベスの身体を抱えて移動させた。そして、何をするのかと思えば、後ろからオレに抱きついてきた。
検事の黒い頭髪が、オレの首筋に埋まる。 オレはオレで、大して驚きもしなかった。これくらいのことは、松波検事の「突飛な行動コレクション」のうちにも入らない。
「……なんです、これ」
だけど一応、真意を尋ねてみた。
「寒いんだ。だからだ」
ぎゅう、とオレの胸部にまわした腕に力をこめる。
「だったら、ベスでも抱いててくださいよ」
窮屈なんですけど、とオレは難色を示す。
「言われなくとも、いつもはそうしている」
腕を離してくれる気はないようだ。
「だが、ベスよりも君のほうが、身体が大きいからな。その分、暖かい」
「人を湯たんぽや巨大抱き枕の代わりにしないでください」
はぁ、とわざと聞こえるように溜息をつく。思い切り嫌味を込めた溜息のつもりだったが、この程度の攻撃が検事に通用するはずもない。
「おやすみ、蓮」
しかしながらこの一言には、抱きつかれたことよりも、数十倍はぎょっとした。
「お、おやすみなさい」と焦って返す。
おやすみ、という挨拶のたぐいが、検事の口から率先して出たことにも、蓮、といきなり名前を呼ばれたことにも、心臓がひっくり返るくらい驚いた。
「ベスの匂いも好きだが、君もなかなか、いい匂いだ」
「えっ? あ、そ、そうですか?」
耳の裏が熱くなるのを感じる。なんだこの人、夜は甘えんぼうになるタイプなのか?
それきり検事は口を閉ざすと、数分後には規則正しい寝息を立て始めた。オレはといえば、まだ胸がどきどきと喧しく騒いでいる。
寝る前に、びっくりするようなことを言わないでほしい。
首を捻るようにして、ちら、と検事の寝顔を見た。白樺の木肌みたいに清らかな、白い頬が暗闇に浮かび上がっている。
昼間は、才気走った強烈な印象を与えてくる切れ長の双眸が、今はぴったりと閉じられ、どちらかといえば儚げな寝顔だ。
前髪がさらりと掛かった目元には、どことなく幼さもある。
要するに、儚げで、幼げで、とんでもなく綺麗な、寝顔だった。
――う、うわ……!
慌てて、目を背ける。これは、目の毒だ。
ドクリ、と一度心臓が苦しく呻いた。そうして、肋骨を内側から叩くような激しい拍動を始めた。胸元を左手で押さえる。 なんだか息苦しい。
――や、やばい、かもしれない。
なんとなく、やばい予感がする。ちょっとやそっとじゃない、非常にやばい予感だ。
落ち着け、呼吸を整えろ。相手は男だ。しかもあの最低最悪の松波検事だ。大丈夫だ……。
よし、確認のために、もう一度見てみよう。今度は大丈夫、何も感じないはずだ。
ゆっくりと、検事のほうを振り返る。彼の寝顔が、視界の真ん中に映りこむ。 その途端、ぎゅう、とまたも心臓が強烈に縮こまった。完治しそうだった謎の息苦しさが再発する。
――や、やっぱり、駄目だ!
直視できない。 なんでだ、と自問する。
どうした、オレ。ただの最低男の、ただの寝顔じゃないか!
朝よ早く来い、と念じた。冷え切っていたはずの足の指先は、いつの間にか、鬱陶しいくらいの熱を帯びていた。
【続】
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たくさんの「いいね」の励ましを本当にありがとうございます…!
あまりにも嬉しいので、(この作品の元となった作品はウン年前に書いたものなのですが)調子に乗ってウン年ぶりに書き下ろしの番外編を書き始めました。本編完結後に載せる予定です^^
(松波×蓮のいちゃいちゃを書きたいなと思っています!)
「残念検事」はまだまだ続きます。よろしければ最後までお付き合いいただけたら幸せです*



