残念で残念で残念な天才検事と恋する事務官

 頭を痛めていたストーカー事件も解決し、その日は終日、仕事に集中することが出来た。検事のおかげだ。何かお礼をしなければいけないだろうか。

 残業は、一時間程度の調べもので済んだ。荷物をまとめようと居間から取調室に入ると、松波検事が自分の机の上に突っ伏し、静謐な寝息を立てていた。

「寝てる……のか?」

 どうしてこんなところで? ミステリアスな光景に、目を眇めた。

 ここで寝るくらいなら、帰ればいいのに。検事の仕事は全て終わっているはずだ。

 不意に、好奇心に駆られる。そうっと検事の机に近付き、至近距離でその寝顔を盗み見てみた。それにしてもアップに耐える顔だなあ、と感心する。

 確か彼は、今年で三十一歳になるはずだが、この肌理細やかな頬はなんなのだ。奇抜な言動といい、歳をとらない肌といい、ひょっとすると検事は宇宙人なのかもしれないな、と真面目に思案した。

「検事、おつかれさまです」

 天井のほうを向いている検事の右耳に、慎重に声を落とす。

「あの、お先に失礼しますけど……」

 起こすのも悪いし、目を覚まさないようなら黙って退勤してしまおうか……と思った途端、ガバリと検事が身体を起こした。

「わ、すみません」

 と驚いて、一歩後ずさる。

「終わったのか?」

 やはり半目状態で、検事は問うてくる。

「はい、今さっき」
「では、帰るか」

 と彼は通勤鞄を手にした。
 二、三度まばたきした後で、オレは顎を突き出した。

「はい?」

 基本的に検事の言動は人智を超えているが、今回は特に理解不能だった。

「帰るって、一緒に、ですか」
「そうだ」

 当たり前じゃないか、と言わんばかりだ。

「君は、俺と一緒に、俺の家へ帰るんだ」

 何がなんだか、と頭が混乱したが、確かなことが二つあった。

 一つは、検事は机で居眠りをしながら、オレの仕事が終わるのを待っていたということ。そしてもう一つは、オレに拒否権などないらしいということ。

 そもそも、普段からオレに選択権や拒否権などあった試しはない。被疑者には黙秘権を保障してやるのに、事務官のオレには拒否権すら与えないとは、どういう了見だ。

「ストーカーは、もう大丈夫かと思うのですが」
「ストーカー?」

 初めて耳にする異国の言葉をリピートするかのようだった。

「今、誰がその話をした」
「誰って」オレはあからさまな渋面を作った。「なら、一緒に帰る理由はなんです」

 意思疎通の成立しない人間と会話をするのは、神経を磨り減らす。

「ストーカーなど関係ない、」公判の冒頭弁論を読み上げるときのような、迷いのない堂々たる口調だ。「これは俺が決めたことだ」

 ストーカーより悪質じゃないか。だってこれは「拉致」だ。
 思ったことを口に出してみた。

「検事、あの、それは拉致です」
「ラチ? 初めて聞いた言葉だ」

 この野郎、と空とぼける検事に奥歯を噛む。

 あくまで肩書きとしては、この男が法曹界の最高峰にいるといっても過言ではない。大丈夫か司法国家、とオレは我が国の行く末を憂えた。




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この物語は、文字数的にはもう少しで折り返しになります。お忙しい日々の中、拙文に目を留めてくださりほんとうにありがとうございます。