夢の続きは、旋律の彼方に

 ローズフェスの後、あたしはとある事務所から声がかかり、念願の歌手デビューを果たした。

「梨歩」
「何?」
「デビュー祝い」
「え、ありがとう」

 あたしはエディから一枚のディスクを受け取った。

「音源?」
「うん」
「エディが作ったの?」
「そうだよ」
 彼にとっては、楽曲を制作するのは呼吸をするようなものなのだろうか。
 以前、あたしが作詞した『ブルーヘヴンの彼方に』を、彼はあっという間に曲に仕上げた。
 悔しいけど、爆即なのに完成度が異常に高い。

「あの、これ……あたしが歌ってもいいやつ?」
「いいよ」
「やった、ありがとう」
「歌えるものなら、ね」
 エディは含みのある笑みを浮かべながら言った。

「……は?」
「梨歩が歌える曲を書いたとは言ってないし」
「ど、どういう意味よ!」
「さあね。まずは聴いてから歌うかどうか決めたら?」
「きぃー! 何かいちいちムカつくな」
「あー、いちいち面白い」

 エディはこの十数年で、随分性格が悪くなったような気がする。それも、あたしだけに。
 若葉には、超絶甘いくせに。

「そこまでいうなら、聴いてやろうじゃない」
 あたしは音源を再生した。

 冒頭からキラキラしている。

 爽やかなポップ調だ。
 イントロだけでわくわくする。

 これから何が始まるんだろう――そんな期待感と、ドラマチックな展開を想像させる旋律。
 
 ところどころにハープの音色が入っているのが、エディらしい。

 そして、エディの声。
   桜舞う 今年もまた同じ季節が
   過ぎていく
   でも
   たまには立ち止まるのもありかと
   足を止めた

   いつもと同じ景色の その先に
   君がいたから

 恋の歌だろうか。等身大の恋心を歌った青年の姿が、鮮明に浮かんだ。

  ときめいた
  世界が急に色づいた
  初めて 君に落ちた瞬間
  当たり前のすべてが 特別になった

 一目惚れか。
 恋は、ある日突然やってきて――少し後になってから、落ちていることに気づく。そういうものだと、あたしは思っている。一目惚れとは違うかもだけど。

  春がこんなにも鮮やかなのは
  これが恋だと知ったからだろう
  空の青が やけに眩しい

 恋をすると、いろんな景色が今までと違って見える気持ちは理解できる。あたしもそうだったから。

  君が笑う それだけで
  絵筆が踊る 心も躍る

 え、ちょっと待って。

  春も 夏も
  秋も 冬も
  君がいる それだけで
  新しい景色を 描きたくなった

 描く?

  会いたい思いだけが 加速していく
  もう会えないとわかっていても
  会いたいと思うたびに 会えない時間がもどかしくて
  何度も 何度も 描いていた

 描くって言葉が、やけに沁みる。

  俺の中に広がる 無限のキャンバス一面に
  君の笑顔を
  描きたいと 心から思った

 だって、あたし……まだ。
 彼のこと……。

  君の笑顔を守りたくて
  俺は君に嘘をつく
  俺自身を偽ってでも

 ねえ、これって。
 エディの声だけど。
 あたしには、違って聞こえる。


  傷つけるつもりはなくて
  正解がわからなくても
  ただ ただ 君が 大切だった
  何よりも 誰よりも

 やばい。瞼の奥が熱い。
 押し寄せる、彼との記憶。
 溢れ出しそう――もう遅いけど。

  Stay with me, Stay with you
  守れそうもない約束で
  君の未来まで 縛るつもりはないけれど

 視界が滲んだ。
 でも、彼の姿はどんどん鮮明になっていく。

  ただ ただ 君を愛してた
  心から
  それだけは 何があっても
  伝えたかった
  たとえ君を悲しませても

 これは、夢?

  迫り来る 終わりの時
  どんなに願っても 君には帰れない
  残酷な運命に抗っても
  時は止まってくれない

 あたしは今、何を見てる?
 聞こえてくるのは、確かにエディの声だけど。
 浮かんでくるのは……。


  やがて俺の時間は終わるだろう
  この身体ごと 魂が消えてしまったとしても
  俺がいた証を どうか

 涼ちゃん――。

  忘れないで
  忘れないで

  忘れたくない 君との時間を

 涼ちゃんだ。

  君のぬくもり
  君の笑顔を
  守れなくて ごめん

 今、ここに。
 本当に……涼ちゃんがいるみたい。

  それでも 君を愛した証を
  どうか
  一度だけでいい

  一度だけ 届けさせて

 もしこれが、当時の涼ちゃんの思いだとしたら。
 あたしは、どう受け止めていただろう。

  いつか 俺との記憶ごと
  君を抱きしめてくれる誰かに
  出会えたなら……

 そんな未来すら想像できないくらい、あたしは。
 涼ちゃんが、大好きだった。

  ただ ただ 願っているよ
  君の未来の幸せを
  俺がいなくなった世界で
  生きていく君の姿を
  想像するのは切ないけれど

 できればこれを、直接彼の口から聞きたかった。
 不器用な涼ちゃんだから、それは難しい。
 だけど、不思議。

  ただ ただ 信じているよ
  君の夢が叶うことを
  俺が描いた 君という夢の続きは きっと
  晴れ渡る空のような 青の道標

 涼ちゃんが、伝えきれなかった思いのすべてが。
 全部、この中に詰まっているような気がしてきた。
 書いたのは、エディだってわかっているけど。
 だとしたら。

  もし君が迷っても 
  君を照らす 見えない光になって
  今度こそ 君を守るから

 エディは、超能力者か何かなの?
 どうしてここまで鮮明に、涼ちゃんを描けるの?


  サヨナラの代わりに「ありがとう」を伝えるよ

 その通りだ。
 涼ちゃんは、サヨナラとは、一言も言わなかった。
 でも、ありがとうは言ってくれた。
 ごめんとも言った。
 ごめんの方が多かったけど。

  桜の花に思いのたけを込めて


  Especially for you


 繊細なピアノとハープの一音。



 曲が終わっても、余韻がまだ抜けない。

 爽やかなポップ調の曲のはずなのに。

 何であたしは、こんなにも泣いてるんだろう。


「……」

 この曲の中にも、涼ちゃんの存在を感じてしまったから?



「あれ? 梨歩どうした?」
 わかってるくせに。

 絶対、わざとだ。
 本当に、卑怯すぎる。

 あたしの何を知っている?
 いや。
 何もかもを、知っているみたいな顔で。
 こういうことを、さらっとやる。

 普通、ここまでやらないでしょ。
 これが、エディの……やり方か。


 泣かされたのは悔しいけど。
 どこか感謝もしていたりする。
 それが、余計に悔しい。


「桜……使うの、反則」
「使ってないよ。二回しか」
「使い方が反則なの!」

 エディには、涼ちゃんのことを話していたけど。
 まさか、その話を聞いただけで……。
 想像だけで、ここまで表現できてしまうの?

 やっぱり、この人には敵わない。
 多分、一生。


「ねえ、梨歩」
「何?」
「歌えそう?」

 やっぱり、意地が悪い。
 ものすごく。

「歌えるわけ……ないじゃん」
「だよね」
「ムカつく」
「僕の若葉ちゃんを泣かせた仕返し」
「げ、まだ根に持ってたの?」
「いや、ただ単に梨歩を泣かせたくなっただけ」
「うわ、それめっちゃムカつく」

 どうして、こうなった?
 あの小さい頃のあたしに優しかった彼は、いずこへ?
 今や、その優しさは彼の恋人限定なのか。

 デジャブ。

 せっかく曲の余韻に浸っていたのに。

「よかったら、その曲はそのままあげるよ」
「え?」
「それでしばらく“涼ちゃん”を感じていたらいい。気の済むまで」
「……恩に着ます」
「素直でよろしい」
「うーん、やっぱりいちいちムカつく」

 意地悪なんだか、結局優しいんだか。
 よくわからないけど、多分どっちもエディなのだろう。

 過去があって、今がある。
 そして、今という時間は……一瞬で過去になっていく。

 今を、どう生きるかなんて。正解のない答え探しのようなもの。
 それでも、あたしは。


 未来を――歌いたい。


 たとえ、涼ちゃんを忘れるために一生分の時間を要するとしても。

 涼ちゃんのいない未来を、あたしは生きていくしかないから。


「あ、タイトル書いてなかった」

 エディは思い出したように、音源の表面にさっきの曲のタイトルを書き出した。


   『君という夢を描いて』――


 あたしの夢の続きはきっと、この旋律の先に。