清掃の時間からはじまる推し活物語 -Season2-

街に金木犀の香りが漂い始めた頃、二階堂から連絡があり、母校の校舎が改修されることを知った。

高校一年の時、清掃の時間に焼却炉でゴミを焼く係をしていた俺は、ゴミを捨てに来た先輩を至近距離で見られることが唯一の楽しみだった。

思えば、あの清掃の時間が、全ての始まりだった。

「そうか…焼却炉、なくなっちゃうんだ。」

「らしいよ。僕としては、バレー部の部室とか体育倉庫の方が思い出深いけど。」

「体育倉庫も改修されるんだ?」

「うん。かなり大規模な工事になるらしい。
八神、改修前に一緒に校舎を見に行かないか?」

「そうだな…。」

「再来週の日曜に、バレー部のOB会があって、高校の体育館で久しぶりに練習試合をするんだ。
その時に八神も一緒に来ないか?
それなら、いちいち学校に事前連絡して許可を得る必要もないし。」

「うん、再来週の日曜なら何も予定ないから、そうするよ。」

卒業して、高校を訪れる機会はなかなかないから、たまたまバレー部のOB会があったのは渡りに船だった。

俺たちが通っていた高校は、歴史の古い進学校で、かなり老朽化が進んでいた。

だから、改修されることは想定内ではあったが、懐かしい思い出ごとなくなってしまうようで、どうしようもなく寂しい気持ちになった。


OB会の集合時間は18時だったが、俺と二階堂はその前に校舎を見て回ろうと話し、17時に校門前で落ち合った。

夕暮れの静けさの中で見る校舎は、懐かしさと切なさが入り混じり、何とも言い難い空気をまとっていた。

二階堂が、
「僕は、体育倉庫の方を見てくる。八神は焼却炉に行くだろ?
後で体育館で合流しよう。」
と言って、先に行ってしまった。

一緒に見て回るつもりだったが、体育倉庫には何の思い入れもない俺に、気を使ったのかもしれない。

焼却炉は校舎の裏手にあり、清掃の時間以外に人の出入りはほとんどない。

だから、誰かがいる気配に気付いて、一瞬声が出そうになった。

こんな所に、こんな時間に、誰だろう…。

目を凝らしながら近付き、その人影の正体を知った俺は、驚きのあまり息を呑んだ。

焼却炉の前にいたのは、矢野先輩だった。

「先輩…どうしてここに?」

先輩は、穏やかな声で言った。
「二階堂から、ここが取り壊されることと、今日なら自由に校内に入れることを聞いたから。」

そうか。
これは二階堂が綿密に仕組んだ計画だったんだ。

日が沈みかけた薄暗い焼却炉の周囲には、夕闇がゆっくりと忍び寄っていた。
バレー部のOB達は、そろそろ体育館で練習試合を始めている頃だ。

「八神、元気だった?」

「はい…第1志望の大学に合格して、キャンパスライフを謳歌しています。」

「そうか、合格おめでとう。」

「先輩は、少し痩せたみたいですね。でも、ますますかっこよくなって、VECTAも忙しそうで、ファンクラブ会員番号0番としては、嬉しい限りです。」

「八神、」

先輩が何か言いかけたが、俺はそれを遮るように、話を続けた。

「先輩のおかげで、うちの喫茶店が繁盛していて、両親がすごく喜んでます。」

先輩の口から何かを聞くのが怖かった。
それでも、この場所から背を向けられることだけは避けたかった。

「俺、先輩が安心して仕事に打ち込めるように、幸せになるって決めて、毎日なにか楽しみを見つけるようにしているんです。」

「八神、」

二人を繋ぐ最後の糸を切らさないよう、俺は必死に喋り続けた。

「でも、一つだけ心残りがあって、先輩がしんどい時に、おばあさんのことを思い出させるって約束をしたのに、それを果たせなくて…」

「八神…どうして泣いてる?」

「わかりません。勝手に涙があふれてくるんです…!」

先輩は、俺の涙を指で拭いながら、ゆっくり話し始めた。

「八神、オレ、お前と別れてからずっと、これが正解なんだって自分に言い聞かせて、必死に目の前の仕事をこなしてきた。」

「応援してくれる人達の期待に応えられるよう、精一杯努力もした。
…でも、
どうしても、今の自分が最高だとは思えないんだ。」

「そんなことないです!
先輩は、ここにゴミを捨てに来ていた頃からずっと変わらず、最強で最高です!」

​「八神、聞いて。
オレはこの先、どんな苦労も耐えて見せるし、泣き言だって言わない。」

​そう言って俺をまっすぐ見つめる先輩の瞳には、一切の迷いがなかった。

​「でも、神様に一つだけ願いを聞いてもらえるなら、八神に側にいてほしい。
お前と一緒なら、オレは今よりもっと輝ける自信がある。」

先輩は、祈るように言葉を絞り出した。

「そんなの、神様に祈らなくてもすぐに叶う願いです!」

そう言って、俺は初めて、自分から先輩を抱きしめた。
先輩のことがたまらなく愛おしくて、腕に力がこもる。
ずっとこうしていたい。

けれど、俺たちには守らなければならないものがある。
名残惜しさを振り切って、体を離そうとした。

「もう少しだけ。」
離れようとした俺の背中に、先輩の腕が回る。

「…まだ、充電が足りない。」
先輩は、そう言って俺を抱きしめ直した。