ユウマさんの件が落ち着き、VECTAの活動が安定を取り戻してきた頃。
矢野先輩から、
「八神んちのホットケーキが食べたい。」
と連絡が来た。
そして、忙しいスケジュールの合間を縫って、都内からわざわざ来てくれた。
いつもは両親が店を切り盛りしているが、母が宝塚の公演を観に行ったため、姉が手伝っていた。
姉はアイドルオタクではあるが、一応、弟から見ても常識的な感性を持ち合わせているので、先輩が来たからと言って変に騒いだりはしない。
その点は、信頼している。
先輩は、カウンターにいる父に、
「お久しぶりです。
また、お父さんのホットケーキが食べたくなって来ました。」
と挨拶してくれた。
「おう!いつもテレビで見てるよ。頑張ってるな!」
父は嬉しそうな顔をして、早速ホットケーキを焼く準備に取りかかった。
我が家は、家族全員VECTA推しなので、店内にもVECTAのポスターが貼られている。
「あとで、そのポスターにサインしてくれよ。」
父が、調子に乗って図々しいお願いをしたので、慌てて
「父さん、そういうのやめてよ。」
と止めたのだが、先輩は、
「もちろんです!ぜひ書かせてください。宣伝してくださってありがとうございます。」
と、アイドルスマイルで対応してくれた。
窓際の席は、通行人の目に留まりやすいため、壁際の席に案内した。
だが、うちの店にしては珍しく、女子高生の集団が入ってきたため、姉が気を利かせて
「圭吾の部屋で話したら?
ホットケーキは私が持って行ってあげるから。」
と提案してくれた。
えええ、それはその方がいいけど、俺の部屋、まあまあ散らかっていたような…
店の奥のドアから自宅に入り、階段を上がった右手に俺の部屋がある。
「先輩、ちょっと待っててくださいね。」
と言って、急いで部屋を片付け、先輩を通した。
「へぇ、八神の部屋、こんな感じなんだ。
うん、イメージ通り。」
「どんなイメージですか…てか、狭くてすみません。」
先輩にはベッドに腰をおろしてもらい、俺は勉強机のイスに座った。
「なんか、落ち着く。」
先輩は、俺の顔を見て少し笑った。
なんだろう。
さっきから感じる、この妙な違和感は。
先輩はいつも通りかっこよくて、特に様子がおかしいということはないのだが、なんて言うか…
穏やかさの奥に、どこか寂しげな影が潜んでいるような気がした。
突然、意を決したように、先輩は
「八神、オレたち別れよう。」
と言った。
「え…!?」
心臓がギュッとなって、息が止まった。
「どうして…ですか。」
声が震えてしまう。
「ユウマのことがあってから、ずっと考えてたんだ。
ユウマの彼女の言葉が、頭から離れなくて。」
「…それって、『家庭を持ちたい、ずっと日陰者として生きていくのは嫌』ってやつですか?
それは、本心ではないかもしれないですよね?」
「うん。…だけど、八神のこれからの人生を考えたら、オレと付き合い続けることで失う幸せの方が、多いんじゃないかって思うんだ。」
「そんなことありません!」
「今はそうかもしれない。
でもいつか八神だって、家庭を持ちたいと思う日が来るかもしれないし、常に息を潜めるようにして生きていくことに、疲れ果ててしまうんじゃないかって思うんだ。」
「そんなことありません!」
絶対に認めたくなくて、駄々をこねる子供のように同じ言葉を繰り返した。
「俺は、先輩と別れたくないです!」
ガチャ
興奮して大きな声を出してしまったのと同時に、ドアが開いた。
ホットケーキと飲み物を運んできた姉が、動揺した様子で
「あの、これ…、どうぞ。」
と、ガラス製の小さなテーブルの上に皿とグラスを置いて出て行った。
終わった…。
アイドルの恋愛反対派の姉に、聞かれてしまった。
先輩は、ホットケーキを一口食べて
「やっぱり、美味いな。
八神と一緒だからかな。」
と呟き、胸の奥の痛みを押し殺すように、静かに笑みを浮かべた。
俺は、この後の記憶がほとんどない。
冷めていくホットケーキを見つめながら、
「嫌です…。」
と小さく繰り返していたよう気がする。
先輩が帰ったあと、チャットで、何事もなかったかのように、
「先輩、無事に家に着きましたか?」
とメッセージを送信したが、翌日になっても既読にならなかった。
矢野先輩から、
「八神んちのホットケーキが食べたい。」
と連絡が来た。
そして、忙しいスケジュールの合間を縫って、都内からわざわざ来てくれた。
いつもは両親が店を切り盛りしているが、母が宝塚の公演を観に行ったため、姉が手伝っていた。
姉はアイドルオタクではあるが、一応、弟から見ても常識的な感性を持ち合わせているので、先輩が来たからと言って変に騒いだりはしない。
その点は、信頼している。
先輩は、カウンターにいる父に、
「お久しぶりです。
また、お父さんのホットケーキが食べたくなって来ました。」
と挨拶してくれた。
「おう!いつもテレビで見てるよ。頑張ってるな!」
父は嬉しそうな顔をして、早速ホットケーキを焼く準備に取りかかった。
我が家は、家族全員VECTA推しなので、店内にもVECTAのポスターが貼られている。
「あとで、そのポスターにサインしてくれよ。」
父が、調子に乗って図々しいお願いをしたので、慌てて
「父さん、そういうのやめてよ。」
と止めたのだが、先輩は、
「もちろんです!ぜひ書かせてください。宣伝してくださってありがとうございます。」
と、アイドルスマイルで対応してくれた。
窓際の席は、通行人の目に留まりやすいため、壁際の席に案内した。
だが、うちの店にしては珍しく、女子高生の集団が入ってきたため、姉が気を利かせて
「圭吾の部屋で話したら?
ホットケーキは私が持って行ってあげるから。」
と提案してくれた。
えええ、それはその方がいいけど、俺の部屋、まあまあ散らかっていたような…
店の奥のドアから自宅に入り、階段を上がった右手に俺の部屋がある。
「先輩、ちょっと待っててくださいね。」
と言って、急いで部屋を片付け、先輩を通した。
「へぇ、八神の部屋、こんな感じなんだ。
うん、イメージ通り。」
「どんなイメージですか…てか、狭くてすみません。」
先輩にはベッドに腰をおろしてもらい、俺は勉強机のイスに座った。
「なんか、落ち着く。」
先輩は、俺の顔を見て少し笑った。
なんだろう。
さっきから感じる、この妙な違和感は。
先輩はいつも通りかっこよくて、特に様子がおかしいということはないのだが、なんて言うか…
穏やかさの奥に、どこか寂しげな影が潜んでいるような気がした。
突然、意を決したように、先輩は
「八神、オレたち別れよう。」
と言った。
「え…!?」
心臓がギュッとなって、息が止まった。
「どうして…ですか。」
声が震えてしまう。
「ユウマのことがあってから、ずっと考えてたんだ。
ユウマの彼女の言葉が、頭から離れなくて。」
「…それって、『家庭を持ちたい、ずっと日陰者として生きていくのは嫌』ってやつですか?
それは、本心ではないかもしれないですよね?」
「うん。…だけど、八神のこれからの人生を考えたら、オレと付き合い続けることで失う幸せの方が、多いんじゃないかって思うんだ。」
「そんなことありません!」
「今はそうかもしれない。
でもいつか八神だって、家庭を持ちたいと思う日が来るかもしれないし、常に息を潜めるようにして生きていくことに、疲れ果ててしまうんじゃないかって思うんだ。」
「そんなことありません!」
絶対に認めたくなくて、駄々をこねる子供のように同じ言葉を繰り返した。
「俺は、先輩と別れたくないです!」
ガチャ
興奮して大きな声を出してしまったのと同時に、ドアが開いた。
ホットケーキと飲み物を運んできた姉が、動揺した様子で
「あの、これ…、どうぞ。」
と、ガラス製の小さなテーブルの上に皿とグラスを置いて出て行った。
終わった…。
アイドルの恋愛反対派の姉に、聞かれてしまった。
先輩は、ホットケーキを一口食べて
「やっぱり、美味いな。
八神と一緒だからかな。」
と呟き、胸の奥の痛みを押し殺すように、静かに笑みを浮かべた。
俺は、この後の記憶がほとんどない。
冷めていくホットケーキを見つめながら、
「嫌です…。」
と小さく繰り返していたよう気がする。
先輩が帰ったあと、チャットで、何事もなかったかのように、
「先輩、無事に家に着きましたか?」
とメッセージを送信したが、翌日になっても既読にならなかった。

