開けてはいけない最後の扉

 悠真は、学生証を床に落とした。

 カラン、と乾いた音が廊下に響く。

「……俺じゃない」

 そう呟いた。

 目の前には、何十枚もの学生証が並んでいる。

 どれも名前は違う。

 しかし、写真に写っている顔だけは同じだった。

 ――朝倉悠真。

「こんなの……あり得ない」

 悠真は後ずさった。

 そのとき、背後から足音が聞こえた。

 コツ。

 コツ。

 コツ。

 誰かが階段を上ってくる。

 悠真は振り返った。

「先生……?」

 しかし、誰もいない。

 足音だけが近づいてくる。

 コツ。

 コツ。

 コツ。

 やがて足音は、悠真のすぐ後ろで止まった。

「……悠真」

 耳元で声がした。

 振り返る。

 そこには――蓮が立っていた。

「蓮!」

 悠真は思わず声を上げた。

 蓮はいつもと変わらない姿だった。

 制服も、髪型も、表情も。

「どこにいたんだよ!」

 悠真が近づこうとすると、蓮は首を横に振った。

「来ちゃダメだ」

「え?」

「ここは、俺たちがいる場所じゃない」

 蓮は扉を指差した。

「この扉を開けたら、戻れなくなる」

「じゃあ、どうすればお前を戻せる?」

 蓮は答えなかった。

 ただ、悠真をじっと見つめている。

「……俺を覚えてる?」

「当たり前だろ」

「本当に?」

「当たり前だ!」

 悠真が叫ぶと、蓮は少しだけ笑った。

「なら、まだ間に合う」

 その瞬間。

 廊下の電灯が一斉に消えた。

「蓮?」

 暗闇の中で、悠真は手を伸ばした。

 しかし、誰にも触れられない。

「蓮!」

 返事はなかった。

 電灯が再び点いたとき――

 蓮はいなくなっていた。

 そして、床に一冊の古いノートが落ちていた。

 表紙には、

 「旧校舎記録」

 と書かれている。

 悠真はノートを拾い上げた。

 中には、何十年も前の学校の出来事が記録されていた。

 その中に、気になるページがあった。

 ――昭和六十二年。

 ――旧校舎四階に存在しない教室が確認される。

 ――教室内には机が三十六脚。

 ――しかし、生徒名簿には該当するクラスが存在しない。

 悠真はページをめくった。

 次のページには、赤い文字でこう書かれていた。

 「四階を見つけた者は、教室に入ってはいけない」

 その下には、さらに文章が続いている。

 「教室の中にいる生徒は、全員、自分の名前を忘れている」

 悠真は息を呑んだ。

 さらにページをめくる。

 そこには、行方不明者の記録があった。

 一人。

 二人。

 三人。

 名前が並んでいる。

 そして、その中に――

 佐伯蓮

 があった。

「……二十年前じゃない」

 記録の日付を確認する。

 そこには、今年の日付が書かれていた。

 しかも、その日付は――

 昨日。

「そんな……」

 悠真はノートを閉じようとした。

 しかし、最後のページに小さな文字があることに気づいた。

 震える手でページを開く。

 そこには、まだ新しい文字でこう書かれていた。

 「次の生徒が入るまで、前の生徒は出られない。」

 その下には、名前が一つだけ書かれていた。

 ――佐伯蓮。

 そして、その名前の下には空白がある。

 悠真はその空白を見つめた。

 すると、文字がゆっくり浮かび上がってきた。

 一本。

 二本。

 三本。

 まるで見えない誰かが、紙の上に文字を書いているように。

 やがて、名前が完成した。

 朝倉悠真。

「……俺が、次の生徒?」

 ノートを落とした。

 その瞬間。

 背後から、扉を叩く音が響いた。

 ――コン。

 ――コン。

 ――コン。

 そして、扉の向こうから声がする。

「悠真」

 蓮の声だった。

「早く入って」

 悠真は動けなかった。

 すると、今度は別の声が重なった。

「待ってるよ」

 さらにもう一つ。

「ずっと待ってた」

 そして最後に――

 悠真自身の声がした。

「次は、俺の番だよ」