始業してしまえば、オレは友人の片野と過ごす時間が多く、花井は花井で、佐田や加藤をはじめとした取り巻きに常に囲まれている。そのため日中は、花井との接点はほとんどない。
帰りのホームルームを終え、テキストをリュックに詰めていると花井が寄ってきた。
「悠木って、放課後も学習室とか行く?」
「うん、行くけど」
帰宅してしまうと、「りんご爆撃」のせいで勉強に集中するのが困難になる。
「なら一緒に行こう」
オレたちが会話していても、昨日ほど周囲が驚くことはなかった。「じゃあな」と片野がオレに手を振ってくる。片野は大学進学はせず、実家の酒造を継ぐらしい。
並んで学習室へ向かいながら、花井に問うてみる。
「朝も放課後も、オレなんかと過ごしてて大丈夫なの? 彼女いるんだよね?」
花井の右手の薬指には、ペアリングと思しきシルバーの指輪がはまっている。ガールフレンドというものを持つと、男はプライベートの大部分を支配されてしまうイメージがあった。まあ所詮は、恋愛経験ゼロの人間による貧困な想像ではあるが。
「うん、いる。今は一人だけだけど」
「ふつうは一人なんだよ、花井」
一人か、ゼロかのどちらかだ。オレは脱力しかける。
「そうなの?」花井は空惚けている。「世知辛いな」
「まったく世知辛くないよ」
「この花井に日本の貞操観念は窮屈すぎる」
「あ、そう」
段々、相槌を打つのも面倒になってきた。
「悠木にだってあるだろ? ペニスが一本じゃ足りねえなって、これが二本あったらなーって思うこと」
「ないよ」断固たる声音で答えた。「これまでもないし、今後も一生ない」
どんな奔放な性生活を送ればそんな発想に辿り着くのだ。
「指は五本もあるのによ。なんでアレは一人につき一本なんだよ?」
「オレじゃなくて神に訊いてくれる?」
いかんとも表現し難い虚無感に襲われつつ、言い募る。
「朝、怪我したスポーツマンたちを助けたいって言ってたやつと同一人物とは思えない」
「花井瑞樹は七色に光る男なんだよ」
偉そうにふんぞり返り、
「レインボー花井と呼んでくれ」
「R-1グランプリでも出んの?」
放課後の学習室は早朝とは違い、それなりに混雑している。効きすぎた冷房の風がうなじを撫で、ひとつ身震いした。
空席を見つけてリュックを置き、ジッパーを開いて中のものを取り出す。そのとき雪崩のようにノートがこぼれ落ちた。運悪く、漫画を下描きしたノートが開いた状態で落下してしまう。声にならない悲鳴をあげながら泡を食って拾い上げる。
「あ、なにそれ。漫画?」
花井という男にデリカシーを求めること自体がお門違いではあるが、どうか見て見ぬ振りをしてほしかった。かあ、と顔が火照り、冷や汗が吹き出す。
「こ、これは、その」
「すっげえ。めっちゃ上手いじゃん。悠木が描いたの?」
「え、う――うん」漫画用ノートを抱えたまま固まる。「き、キモいよな、こんな……」
「なんで?」
花井はあっけらかんとしている。
「俺も漫画、好きだよ。サッカー始めたのも、ガキの頃『キャプツバ』読んだからだし」
キャプツバとは、レジェンド的サッカー漫画「キャプテン椿《つばき》」のことを指す。
少しだけ強張った肩の力が抜けた。
「そ……そうなんだ?」
「うん。絵とか描けていいな。俺、美術の評価いつも『C』だから羨ましい。どんな漫画描くんだ?」
「……少年漫画。子供のときから、漫画家に憧れてて」
「いいじゃん。たまにはエロい絵も描いたりする?」
「描かないよ!」
ついムキになり学習室の静謐を乱してしまった。誰にともなく頭を下げる。「俺が悠木くらい絵が上手かったら、絶対描くのにな」と花井が悪びれもせず笑っている。
帰りのホームルームを終え、テキストをリュックに詰めていると花井が寄ってきた。
「悠木って、放課後も学習室とか行く?」
「うん、行くけど」
帰宅してしまうと、「りんご爆撃」のせいで勉強に集中するのが困難になる。
「なら一緒に行こう」
オレたちが会話していても、昨日ほど周囲が驚くことはなかった。「じゃあな」と片野がオレに手を振ってくる。片野は大学進学はせず、実家の酒造を継ぐらしい。
並んで学習室へ向かいながら、花井に問うてみる。
「朝も放課後も、オレなんかと過ごしてて大丈夫なの? 彼女いるんだよね?」
花井の右手の薬指には、ペアリングと思しきシルバーの指輪がはまっている。ガールフレンドというものを持つと、男はプライベートの大部分を支配されてしまうイメージがあった。まあ所詮は、恋愛経験ゼロの人間による貧困な想像ではあるが。
「うん、いる。今は一人だけだけど」
「ふつうは一人なんだよ、花井」
一人か、ゼロかのどちらかだ。オレは脱力しかける。
「そうなの?」花井は空惚けている。「世知辛いな」
「まったく世知辛くないよ」
「この花井に日本の貞操観念は窮屈すぎる」
「あ、そう」
段々、相槌を打つのも面倒になってきた。
「悠木にだってあるだろ? ペニスが一本じゃ足りねえなって、これが二本あったらなーって思うこと」
「ないよ」断固たる声音で答えた。「これまでもないし、今後も一生ない」
どんな奔放な性生活を送ればそんな発想に辿り着くのだ。
「指は五本もあるのによ。なんでアレは一人につき一本なんだよ?」
「オレじゃなくて神に訊いてくれる?」
いかんとも表現し難い虚無感に襲われつつ、言い募る。
「朝、怪我したスポーツマンたちを助けたいって言ってたやつと同一人物とは思えない」
「花井瑞樹は七色に光る男なんだよ」
偉そうにふんぞり返り、
「レインボー花井と呼んでくれ」
「R-1グランプリでも出んの?」
放課後の学習室は早朝とは違い、それなりに混雑している。効きすぎた冷房の風がうなじを撫で、ひとつ身震いした。
空席を見つけてリュックを置き、ジッパーを開いて中のものを取り出す。そのとき雪崩のようにノートがこぼれ落ちた。運悪く、漫画を下描きしたノートが開いた状態で落下してしまう。声にならない悲鳴をあげながら泡を食って拾い上げる。
「あ、なにそれ。漫画?」
花井という男にデリカシーを求めること自体がお門違いではあるが、どうか見て見ぬ振りをしてほしかった。かあ、と顔が火照り、冷や汗が吹き出す。
「こ、これは、その」
「すっげえ。めっちゃ上手いじゃん。悠木が描いたの?」
「え、う――うん」漫画用ノートを抱えたまま固まる。「き、キモいよな、こんな……」
「なんで?」
花井はあっけらかんとしている。
「俺も漫画、好きだよ。サッカー始めたのも、ガキの頃『キャプツバ』読んだからだし」
キャプツバとは、レジェンド的サッカー漫画「キャプテン椿《つばき》」のことを指す。
少しだけ強張った肩の力が抜けた。
「そ……そうなんだ?」
「うん。絵とか描けていいな。俺、美術の評価いつも『C』だから羨ましい。どんな漫画描くんだ?」
「……少年漫画。子供のときから、漫画家に憧れてて」
「いいじゃん。たまにはエロい絵も描いたりする?」
「描かないよ!」
ついムキになり学習室の静謐を乱してしまった。誰にともなく頭を下げる。「俺が悠木くらい絵が上手かったら、絶対描くのにな」と花井が悪びれもせず笑っている。



