君の声で起こして。〜学校一のモテ男を電話で起こしてたら陰キャなのに懐かれて付き合うまでの話〜

 関西なまりには、不思議な引力がある。

 満八十歳になる祖母は、出身地である名古屋の方言で話す。厳密にいうと名古屋弁は、大阪などの生粋の関西弁とは系統が異なるらしいが、茨城生まれ茨城育ちであるオレには違いがよくわからず、西日本の話し方は全て「関西弁風」に聞こえてしまう。

 祖母はオレが二歳の頃から両親と共に同居しているので、この茨城県に来てもう十五年以上にはなるはずだが、西の趣を滲ませた話し方は変わらない。

「まーくん、りんご食べやぁ?」

 初期の認知症が疑われる、と医師に言われている祖母は、朝の五時半から果物を勧めてくる。うさぎの耳を模った赤い皮が、瑞々しい白い果肉から生えている。

「いらん。でも、ありがとう」

 オレは眠気まなこでベッドの中から答える。
 祖母と話す時だけは、つい名古屋なまりが伝染する。西日本の方言には、こちらの口調をもその地の色に強制的に染め上げてしまう、強い引力があるように思う。

「いつまで寝とるの? 朝だがね」
「まだ五時半だて、ばあちゃん」
「起きやぁ」

 はいはい起きますよ――オレはむっくりと体を起こす。ここで抵抗しても、祖母はまた十分後にりんごの話を持ってくる。

 小用を足しに自室を出ると、母とトイレの前で鉢合わせる。脱力したように笑い合った。母もオレと同じ機序で起床させられている。

「五時半からりんごはいらんて」

 オレが冗談っぽく頭を掻くと、母は困ったように眉を下げる。

「真琴は起こさないであげてって、お義母さんにいつも言うんだけど」
「大丈夫だよ。もう慣れたし。『りんご爆撃』に備えて早く寝てるしね」

 早起きは三文の徳とは昔からよくいったものだ。おかげで早朝の教室での勉強が捗り、この二年間で成績がずいぶん上がった。

 母が用意してくれた朝食を食べ、制服に着替える。通学用リュックにノートや教科書を詰めていると、また祖母が現れた。七福神の恵比寿みたいな笑顔を貼り付けている。

「まーくん。今でも漫画、よう描いとるの?」

 オレが手にしたノートを指差している。

「たまにね」はにかむように返す。「受験生だもんで、前ほど描けてないわ」

 まだ満足にひらがなも読めない三歳ごろから、オレは漫画の虫だった。ただ絵を眺めるだけでも幸せだったのだろう。自然と自分でも漫画を描きたいと思うようになり、中学から高校にかけて何度か新人賞に応募したこともある。デビューには至らないレベルのものだが、高一の時に小さな賞をもらったのが密かな自慢だ。

 中学三年のころ、真面目に受験勉強もせず漫画ばかり描いているオレに、両親は再三苦言を呈した。「それは今じゃなきゃ駄目なのか」と。そんなとき、祖母は必ずオレの味方になってくれた。

 ――若いときにしか見えん感性っつーもんがあるんだて。とにかくやってみやあ。

 とにかくやってみやあ、というのは祖母の口癖だった。
 向きか不向きか、成功か失敗か、何もかもやってみなければわからない、というのが彼女の持論だ。結局はどれも長続きしなかったけれど、水泳も剣道もそろばんも、オレがやりたいと言えば「とにかくやってみやあ」と背中を押してくれた。

 両親は共働きで忙しかった。祖母はそんな二人にかわって、私立中学校に通うオレの弁当作りまで担ってくれた。

 当時、気になっていた女子生徒に「悠木くんのお弁当って、おじいちゃんみたいだね」と指摘され、あまりの恥ずかしさに、帰宅するや祖母を責めてしまったことがある。

「ごめんね。茶色い弁当は恥ずかしいがね」

 祖母は困ったように微笑んでいた。

 次の日の弁当箱には、サンドイッチが入っていた。レシピ本か何かを見ながら作ったのか、くるくると巻いたサンドイッチを、断面が見えるようにカットしてある。精一杯の「おしゃれ弁当」を用意してくれたのは一目瞭然だった。

 弁当箱の中に立てるように並べられたロールサンドイッチは、少し形が崩れてしまっている。きっと、本当はもっときつく巻かないといけないのだろう。でも祖母が優しい力加減で作ったために、ロールが開きかけている。明らかに作り慣れていないことの証拠だった。

 オレはその弁当を見て、ボロボロ泣いた。泣いている姿をクラスメートに見られたくなくて、トイレに駆け込んだのを今でも覚えている。

 帰宅して祖母に、「美味しかった。ありがとう、ばあちゃん」と小声で伝えると、

「まーくんは本当に優しい子だねぇ」

 と曇りなく目を細めた。

 本当に優しい孫はそもそも、祖母のお手製弁当に文句をつけたりしないと思うけれど――もしオレが優しい人間だとするなら、それは間違いなく、ばあちゃんに似たのだ。