「リリーに先を越されて、早くも一ヶ月が経ってしまったわ……」
「ちょっとセリア、まだ言ってるの? 私たちだってあれから手をこまねいていたわけじゃないでしょ。やるべき努力はそれなりに頑張っているじゃない!」
「頑張ってはいるけれど、結果として何一つ実っていないのが重大な問題なのよ!」
西部の辺境伯邸、その一角にある薔薇の回廊。エナの専属女騎士を務めるセリアとティナは、任務の合間の短い休憩時間に、互いの額を突き合わせんばかりの勢いでじわじわと婚活への焦りを募らせていた。
彼女たちの主君であるエナと、辺境伯アシュレイの夫婦生活は、日を追うごとに円満の極みに達している。シマエナガのようにふんわりと愛らしいエナが、照れ隠しのツンデレ毒舌を炸裂させても、アシュレイはそのすべてを「可愛い照れ隠し」と大人の包容力で受け止め、切ないほどの溺愛を注ぎ続けているのだ。
さらに追い打ちをかけるように、身近な侍女のリリーまでが「探してもいないのにすっと自然に」真面目な恋人を射止め、いまや完全なる勝者の余裕を醸し出している。
そんな甘い空気の真っ只中に置かれた二人の専属騎士が、無駄に焦燥感を抱くのは必然であった。
「だって聞いてよティナ。今日だって見回りの最中に、市場でまた若い商人の男に声をかけられたのよ。でも、開口一番に何て言ったと思う? “格好いい騎士のお姉さん、僕を護ってください! ”よ!? 冗談じゃないわ」
セリアは腰の長剣の柄を忌々しげに叩きながら、不満をぶちまけた。
「はぁ……。剣の腕前どころか、騎士としての心得すらゼロな相手に、どうやって一人の女性として恋愛感情を持てというのよ。こちらが黙っていてもどっしりと構えてくれるような、安心感のある大人の男はい探せばいないものかしら」
「本当にね。私の求める、無駄な脂肪のない細マッチョで、私の料理を笑顔で褒めてくれるような殊勝な男も、あの市場には影も形もなかったわ……」
ため息を吐きながらも、二人の胸に宿る「理想の相手を見つけたい」という炎は消えていない。
「今度こそ、私たちの理想を完璧に満たす相手を捕まえるわよ!」
「ええ、外の世界に打って出るわよ!」
不満をバネにした二人は、再び気合を入れ直して、より大規模な出会いの場へと出かける計画を立てるのだった。
数日後、ふたりが並々ならぬ決意を胸に向かったのは、領内屈指の規模を誇る大市だった。そこは普段の月例市場とは異なり、王都からも多くの大商人や洗練された貴族たちが集まる華やかな場所だ。
「ねえティナ、聞いた話によると、この大市には王都騎士団の遠征部隊の人たちも休暇がてら見物に来ているらしいよ」
「ほうほう、それは期待できるわね。同じ『騎士』という肩書きでも、王都の洗練された男たちなら、こちらの見る目が変わるように、向こうからも違う結果が提示されるかもしれないわ」
期待に胸を大きく膨らませ、いざ王都の騎士たちとの交流(という名の値定め)に挑んだ二人だったが───結果から言えば、彼女たちは見事なまでに返り討ちにあうこととなった。
大市の特設喫茶天幕で紹介された王都の騎士たちは、確かに見栄えが良く、一見すると洗練されていた。しかし、その中身はあまりにも彼女たちの求める「騎士」とはかけ離れていたのだ。
「王都の騎士って、お喋りの一つひとつがやたらと形式張っていて、社交界の隠語ばかりでやり取りが本当に疲れる……」
屋敷の広間に帰るなり、セリアは重い鎧も外さずにごろんと絨毯の上へ寝転がって叫んだ。
「そうね……。なんか、戦う騎士というよりは、着飾った貴族そのものって感じだったよね。私たちが実戦の苦労話をしても、“おや、淑女が泥にまみれるとは大変ですな”なんて、遠回しに憐れむような目をされて。あいつら絶対、まともに長剣を振ったこともないわよ」
ティナもまた、愛用のレイピアを壁に立てかけながら底冷えするようなため息を吐いた。
結局、どれだけ外の世界へ足を伸ばしても、二人の心にまっすぐ刺さるような男は見つからなかったのだ。絨毯の上でのたうち回っていたセリアが、天井に向けて両手を伸ばしながら、半ば自暴自棄ぎみに声を張り上げる。
「もう嫌! 遠くの華やかさに騙されるのはこりごりよ! もっと近くに……もっとこう、泥臭くても信頼できる男はいないの!?」
その日の夕方、もやもやとした不完全燃焼の塊を昇華させるため、セリアとティナは騎士団本部の訓練場へと足を向けた。重い扉を開けると、夕刻にもかかわらず、数人の騎士たちが熱気の籠もった声を上げながら剣や槍を振るっていた。
「よっ、とぉお!」
鋭い呼気と共に、空気を切り裂くような豪快な一撃を繰り出したのは、副団長のライナー・エルクレインだった。188センチの長身に無駄のないがっしりとした筋肉を纏い、栗色の短髪を汗で濡らした彼は、長槍をピたりと止めて大らかに笑っている。
そしてそのすぐ隣の木人前では、細身ながら精密極まる俊敏な動きで、黙々とロングソードの素振りを続けている黒髪の剣士、ヴェイル・クロフォードの姿があった。
「お疲れ様です!」
セリアとティナが、各々の汗を拭いながら訓練場へと入っていく。
「お、お前たちか。専属騎士の姫騎士コンビが揃ってどうした。今日もお勤めご苦労さま」
ライナーが琥珀色の瞳を細め、タオルで首筋を拭きながら気さくに声をかけてきた。その包容力のある笑顔に、セリアはふと、過去の記憶の引き出しがパチリと開くのを感じた。
「……って、あれ? 副団長、そういえば私たち、数年前の北部の国境遠征のとき、同じ合同部隊で一緒に任務に行きましたよね?」
「なんだ、今更思い出したのか? 思い出深いぞ。あの時の戦闘中、お前さんが放った捨て身の槍投げが、俺の右脇の装甲を思いきり掠めていったときは、本気で敵の奇襲かと思って命の危機を感じたからな」
「それは……! あの時は突風が吹いていたんですってば! 結果的に私の槍が後ろの魔獣に刺さったんだから、終わり良ければ全て良しです!」
「ははは、相変わらず手厳しいな、セリアは」
大きな身体を揺らして笑うライナーの姿に、セリアの胸の奥が、なぜかいつもと違うテンポでトントンと叩かれた。
一方、ティナは黙って剣を鞘に収めたヴェイルの姿にふと目を留めていた。前髪の隙間から覗く灰銀色の鋭い目は、感情が読みにくいものの、そこには確かな戦士としての深みが宿っている。
「……ヴェイル。あなた、昔より一段と剣の冴えが増しましたね」
「……そちらこそ。無駄な動きが減り、体幹が一段とよくなっている」
淡々と、それでいて実力を認め合う者同士にしか分からない、深く短いやり取り。感情を表に出すのが苦手なヴェイルだが、ティナに向ける眼差しには、実戦を潜り抜けてきた仲間への絶対的な信頼があった。
この男たちは、気取ることもなく、自分たちと同じ泥にまみれ、同じ辺境の重責を背負い、共に訓練を重ねてきた仲間だ。外の世界の男たちに感じた「軽薄さ」も「窮屈さ」もそこにはなく、ただ、驚くほど心地よい会話がどこまでも続いていった。
その日の帰り道。夕日に染まる屋敷への街道を歩くセリアとティナは、いつになく静かだった。普段なら「今日の男どもは~」と愚痴の反省会が始まるところだが、二人とも何故か自分の手元ばかりを見つめている。
「ねぇ、ティナ」
「……ん、何、セリア」
「さっきのライナー副団長……。昔からよく知ってるはずなのに、何て言うか……ちょっと、かっこよく見えなかった?」
「なっ……!」
ティナは弾かれたように顔を上げ、それから自分の頬が急激に熱くなるのを自覚した。
「それ……こっちの台詞よ。ヴェイルのやつ、前よりも雰囲気がどこか柔らかくなっていて……それに、私の動きの変化にすぐ気づくなんて、ちゃんと見てくれていないとできないでしょ……?」
夕暮れの光に紛れるようにして、二人の顔が見事に林檎のような赤色に染まっていく。
「嘘でしょう、まさか……こんな近くに、理想の条件を満たす男がいたなんて……!」
「気づくのが、遅すぎたわ……!」
誠実で、どっしりと構えてくれる大人の男。 無駄のない細マッチョ体型で、剣の腕も確かで、自分の戦い方を誰より理解してくれる男。
長年の仲間であり、同じ志を持つ同僚という存在は、彼女たちにとってあまりにも“当たり前すぎて”、恋愛対象の視界からは完全に外れていたのだ。だが、一度そのフィルターが外れてしまえば、もう彼らの一挙一動から目を離すことなどできなくなっていた。
それから数日後のこと。辺境伯領の騎士団本部の一角では、誰の目にも明らかなほど、こっそりと、しかし確実に新しい恋の蕾が芽吹き始めていた。
「ねえ、リリー。最近ティナとヴェイルさん、やたらと一緒に遠回りの巡回任務に出かけていることが多いと思わない?」
「ええ、エナ様。それに、セリアさんも訓練が終わった後、いつもならすぐに着替えに行くのに、ライナー副団長と並んでベンチに座って、何やら楽しそうに長話をしているのを私もお見かけしましたよ」
本邸の窓辺から、中庭の向こうを歩く騎士たちの様子を微笑ましげに見守るエナとリリー。リリーはいつもの小悪魔的な笑みを浮かべながら、「ふふ。ようやく、あの堅物な騎士様たちにも春が来ましたね」と紅茶を差し出す。
エナもまた、白銀の髪を揺らしながら、「本当にね。いつも私の心配ばかりしてくれていたから、二人にも幸せになってほしいわ」と目を細めていた。
すると、その背後から、ズビィッ、と激しく鼻をすする異音が聞こえてきた。
「やっと……! やっと、この日が来た……! 報われたぁあああ!!」
「ひゃぅっ!? え、ちょっと、なんでグレンがそこでボロ泣きして感動しているのよ!?」
顔を両手で覆い、本気泣きをかましていたのはグレンだった。彼はハンカチを噛み締めながら、涙ながらに訴える。
「お言葉ですがエナ様! 私がこれまで、あの二人のためにどれだけの合コン計画を提案し、その度に“そんな暇があったら素振りをするわ! ”と筋肉質な返答で却下されてきたか、ご存知ないからです……! 私の幹事としての血の滲むような努力が、ついに……自然発生という形で結実したんですよぉおお!」
「いや、あなたの努力は一ミリも関係ないと思うのだけれど……」
エナの冷静なツッコミは、グレンの歓喜の男泣きにかき消されるのだった。
ある美しい夕暮れ時。全ての訓練メニューを終えた騎士団詰所の裏手で、心地よい疲労感に包まれた四人の姿があった。
セリアは、木箱の上に腰を下ろしているライナーの隣に、すとんと腰を掛けた。手渡された冷たい給水用の水筒を受け取り、ゴクゴクと喉を鳴らして飲む。
「……ぷはぁ。色々、外の世界を探し回ってみたけれどさ。結局、一番一緒にいて安心するのは、自分と同じように重い剣を持って、同じ泥にまみれてくれる人だったわ」
ライナーは一瞬驚いたように琥珀色の目を丸くしたが、すぐに目尻を下げて大らかに笑った。
「そういうことだ、セリア。戦いを知る者同士、話が早いしな。言葉を多く飾らなくても、黙って横にいるだけで互いの考えていることが通じる。……俺は、そんなお前といる時間が、昔から一番落ち着くよ」
「なっ……。サラッとそういうこと言わないでください!」
セリアは耳まで真っ赤にしながら、ライナーの逞しい二の腕を軽く小突いた。ライナーは「痛いな」と言いながらも、嬉しそうに彼女の頭を大きな手で撫でる。
一方、少し離れた武器庫の壁際では、ティナがヴェイルの隣で同じように呟いていた。ヴェイルは黙々と短剣の刃を磨いていたが、ティナの言葉にはしっかりと耳を傾けている。
「無駄な気遣いをしたり、自分を淑女に見せかけようとしなくていい関係って、本当に楽ですね」
ヴェイルは手を止め、灰銀色の瞳をティナに向けた。相変わらず表情の変化は乏しいが、その声には確かな熱が乗っている。
「……ああ。それに、戦場でも、この平穏な屋敷でも、迷わず背中を預けられる相手がすぐ隣にいるというのは……何よりも心強い。俺の隣には、お前以外の誰も立たせるつもりはない」
「ヴェイル……。不器用な癖に、そういう核心を突くのはずるいです……」
ティナは照れ隠しにそっぽを向いたが、その手はヴェイルの衣服の袖をそっと掴んでいた。
二組の男女は、夕日の影を長く伸ばしながら、同時に同じ結論に達していた。
「やっぱり、同じ道を歩む同業の相手が、一番自分を理解してくれるし、一緒にいて楽だよね」
エナは部屋のバルコニーの手すりに身を乗り出し、遠くの詰所の前で、それぞれ良い雰囲気を醸し出している四人の姿を見て、ふふっと満足げに微笑んだ。
「ふふっ。こうして見ると、本当にこれ以上ないくらいお似合いの二人組じゃない?」
「ようやく、だね。彼女たちも外の世界で散々迷走していたようだが、頑張って婚活(?)をした甲斐があったというものだ」
いつの間にか背後に立っていたアシュレイが、エナの細い腰を後ろからそっと抱きすくめ、温かい紅茶のカップを差し出した。エナは『もう、旦那様、誰かが見ていたらどうするんですか』と小さく毒舌をこぼしながらも、素直に彼の胸に背中を預ける。
「うん。でも、明日になったらどうする? またリリーが、あの独特な『やっと気付きましたか』って顔をして、二人をからかいそうよ?」
「ははは、それは間違いないな。あの人は何と言っても、この屋敷における『恋愛の絶対的勝者』の余裕を持っているからね」
ふたりが顔を見合わせ、そっと優しく笑い合う夕暮れ時。外の世界に理想を求め、遠くばかりを見ていた二人の女騎士たちは、最初からすぐそばにあった本物の安心感に、ようやく正しく行き着いた。
恋は探し求めた末に、見知らぬ土地で見つけるものだと思っていた。でも、探し尽くしたあとに残っていた、いつも通りに笑い、いつも通りに背中を預け合っていた“隣の騎士”こそが、実は世界で一番の理想の相手だったのだ。
今日も辺境伯領は、優しく、甘く、そしてほんのりと照れくさい愛の風に包まれている。


