政略結婚なのに、包容力マシマシな辺境伯の溺愛が過保護過ぎて小鳥令嬢は困ってます!


「……はぁ。エナ様ったら最近、本当に旦那様といちゃいちゃばっかり」
「ええ、本当に。もちろん、お二人の仲が睦まじいのは涙が出るほど嬉しいことですけれど……こうも毎日、甘い空気を見せつけられて、なおかつ構ってもらえない時間が長くなると、ちょっとばかり寂しいものですね」

 西部の広大な大地を治める辺境伯邸。その日当たりの良い中庭で、エナの専属騎士を務めるセリアとティナは、テーブルを挟んでうんうんと深く頷き合っていた。手元のお茶はすっかり冷めている。

 つい先ほども、回廊を歩く辺境伯夫妻の姿を見かけたばかりだ。白銀の柔らかな髪を揺らし、シマエナガのようにふんわりと愛らしいエナ。彼女は、年上の夫であるアシュレイの前で、今日こそは「完璧な大人の淑女」として振る舞おうと背伸びをしていた。

 しかし、理知的で穏やかな灰青色の瞳を持つアシュレイに「無理はしなくていい。今の君のままが好きだ」と耳元で囁かれ、さらに鍛えられた逞しい腕でそっと抱き寄せられると、一瞬で余裕を失ってしまったのだ。

 『だ、誰があんたなんかに甘えるもんですか!  離してください、この分からず屋!』と、顔を真っ赤にしてツンデレ毒舌を炸裂させるエナ。

 だが、その小さな手はしっかりとアシュレイの仕立ての良い上着の裾を掴んでおり、アシュレイもまた、彼女の反発をすべて可愛らしい「照れ隠し」と見抜いて、大人の包容力に満ちた笑みを浮かべていた。

 まさに、朝も昼も夜も、隙さえあればくっついているといった熱愛ぶりである。

「ねえ、ティナ」

 セリアが、ふと顎を手に乗せて対面の相棒を見つめた。

「私たちも……そろそろ、恋人とか欲しくない?」
「……よくぞ言ったわね、セリア。ちょうど私も、自分の胸の奥に燻る虚しさに気付き始めていたところよ!」

 バチバチと、二人の女性騎士の視線が火花を散らすように煌めいた。いつも主君の恋路を特等席で守る盾であり、剣である彼女たちだが、生身の年頃の娘であることに変わりはない。

 あまりにも質の高い「溺愛」を特等席で見せつけられ続けた結果、彼女たちの恋愛に対するモチベーションは、いまや限界突破寸前まで高まっていた。

「じゃあ、探しましょ。私たちの運命の相手を!」
「この広い西部だもの、探せばいくらでも転がっているはずよ。私たちに釣り合うだけの、骨のある男がね!」
「よし、そうと決まれば行動あるのみ!」

 バシン!  と、お互いの掌をこれ以上ないほど力強く打ち合わせ、二人は固い決意を交わしたのだった。



 数日後、領内の主要な商業都市で催される「月例市場」の日がやってきた。セリアとティナは、エナに「市場の治安維持を兼ねた見回りに行ってまいります」と大義名分を掲げて許可を取り、いつもより少しだけ念入りに身だしなみを整えて、颯爽と屋敷を出発した。

 街道を馬で進みながら、二人のガールズトークは否応なしに盛り上がる。

「この月例市場はね、近隣の街からも若くて活気のある商人がたくさん集まるらしいのよ。出会いの宝庫ってわけ!」
「ふむふむ、それは期待できそうね。……ちなみにセリア、あんたの理想の男性像はどんな感じ?」
「私?  私はね、やっぱり背が高くて、誠実で、私がどんなにドタバタしていても、黙ってどっしりと構えて安心させてくれるような大人の人!  アシュレイ旦那様とまではいかなくても、あそこまでの包容力がある人がいいな」
「なるほどねぇ。じゃあ私は、無駄な脂肪のない細マッチョ体型で、剣もそれなりに使えて、私の護衛任務を理解してくれる人!  あ、あと最重要項目として、私が作った手料理を『美味しい、美味しい』って残さず笑顔で褒めてくれる人!」
「……ちょっと、お互いに要求が多くて欲張りすぎじゃない?」
「何言ってるのよ、お互い様でしょ!  妥協したら一生の不覚よ!」

 そんな高すぎる理想を胸に抱き、意気揚々と市場へ乗り込んだ二人だったが、現実はそう甘くはなかった。

 市場は確かに大盛況で、多くの人々で賑わっていた。しかし、騎士服を凛々しく着こなしたスタイルの良い二人組は、良くも悪くも目立ちすぎる。声をかけてくる男たちは大勢いたが、その中身といえば───。

「おいおい、そこの綺麗なお姉さんたち!  そんな堅苦しい格好してないで、俺の店で美味い果物でも食べていかない?  俺が奢っちゃうよ!」

 チャラチャラとした軽い調子の若い商人が、ウインクを飛ばしてくる。セリアは一瞬で眉をひそめた。

(……誠実さの『せ』の字も見当たらないわね。不合格!)

 さらに歩みを進めると、今度は少し体格の良い男たちが群がってきたが、彼らは二人の腰の長剣を見るなり、情けない声を上げた。

「うわ、本物の騎士様だ!  頼もしいなぁ。ねえねえ、最近この裏通りにゴロツキが出るんだけど、“姉さんたち、俺たちを護ってください”よぉ!」

 ティナは引きつった笑みを浮かべ、内心で激しいツッコミを入れていた。

(……逆に私に護られたいってどういうこと!?  確かに頼られるのは嫌いじゃないし、可愛い男を護りたくなる気持ちは分からなくもないけれど、私の理想は一緒に剣を交えられる細マッチョなのよ!  不合格、大不合格!!)



 数時間後。一通り市場を回り終えた二人は、広場の隅にあるベンチに魂が抜けたような顔で座り込んでいた。

「……はぁ。誰ひとりとして、私たちの基準に届かないわね」
「どいつもこいつも軽薄か、あるいは頼りないのよ。騎士服で歩いているだけで、珍しがって声をかけてくる男ばかり」
「運命の出会いって、物語の中だけにしか存在しないのかしら……」

 目を皿のようにして男たちを品定めしたというのに、得られた成果はゼロ。二人の婚活(?)は、見るも無残な惨敗に終わったのだった。



「……へえ。お二人揃って、そんな血眼で男漁り───ゲフン、婚活をしていらしたんですか?」

 トボトボと屋敷に戻り、疲れ果てた体を休めていたセリアとティナの前で、クスクスと楽しそうな声を上げたのは、エナの付き添い侍女であるリリー・フォージュだった。

 リリーは明るくおしゃべりな性格で、恋愛経験も豊富な、エナにとっては少しお姉さんタイプの侍女だ。今日もエナがアシュレイに突っぱねるような態度を取るたびに、『エナ様、また照れちゃって〜。旦那様、今朝もエナ様に見とれてましたよ?』などと無邪気にからかい、二人の恋のキューピッド(あるいは可愛いお邪魔虫)として屋敷を暗躍している。

 リリーは手際よく二人の前に淹れたての紅茶を置きながら、小悪魔的な笑みを浮かべた。

 「そうよ!  ティナと一緒に、運命の相手を必死に探してきたのよ!  結果は聞かないでちょうだい!」

 セリアが悔しそうにソファにクッションを押し付ける。

「ふふ、そんなに焦らなくても。私は、恋愛なんて自分がもう少し落ち着いてからで良いかと思っていますよ」

 ティナが紅茶を啜りながら、リリーを見上げた。

「えー、リリーなら絶対にモテるのに。可愛いし、男のあしらい方も上手だし。現に、声をかけてくる男なんて山ほどいるでしょ?」  「ええ、それは自覚しております」

 さらりと、何でもないことのように言ってのけるリリー。自信満々だが、彼女が言うと全く嫌味にならないのが不思議なところだ。

「ていうかリリーって、そんなに余裕ぶってるけど、誰か気になっている人とかいないの?」

 セリアの鋭い質問に、リリーは一瞬だけ、いつものおしゃべりな口を噤んだ。そして、少しだけ頬を桜色に染め、人差し指を唇に当ててみせる。

「そうですね……強いて言えば、あの人くらいでしょうか」
「えっ!?  “あの人”って誰よ!?」
「教えてよ、リリー!」

 身を乗り出す女性騎士二人に対し、リリーはパタパタと手を振って、いたずらっぽくウインクした。

「ふふ、秘密です。女の子には、誰にも言えない秘密の一つや二つ、あるものですよ」



 それから数日後のことである。セリアとティナは、激しい馬術訓練を終え、汗を拭いながら屋敷の正面玄関へと戻ってきた。

 二人を迎えたのは、いつになく足取りが軽く、鼻歌交じりで廊下を掃除しているリリーの姿だった。その醸し出す空気は、明らかに普段の「おしゃべりな小悪魔」とは異なり、どこかおっとりとした幸福感に満ちている。

「あ、お二人とも。お帰りなさいませ。ちょうど良いところに」

 リリーが箒を止め、満面の笑みで二人に歩み寄ってきた。

「なに?  リリー、なんだか妙に機嫌が良いじゃない。何か良いお仕事の報告でもあるの?」

 セリアが不思議そうに尋ねると、リリーは胸の前で両手を合わせ、小首を傾げた。

「いえ、お仕事ではなく、極めて個人的なことなのですが───私、恋人ができました」

 「「……え?」」

 セリアとティナの思考が、完全に停止した。二人の口から、間の抜けた声が同時に漏れる。

「ちょっと待って、今なんて言ったの?」
「恋人が、できた……?  リリーに?」
「はい。昨日、エナ様に頼まれて医務室に新調した薬草を届けに行ったんです。そうしたら、ちょうどそこに行き違いでいらっしゃったんですよ。お医者様の助手さんで、カイルさんという方なんですけど……ちょっと物静かで、とっても真面目な方なんです。お話ししてみたら、すごく気が合ってしまって」

 のろけるように身をよじるリリーを見ながら、セリアは頭を抱えた。

 「ま、待って、待って!  あんた、この前『もう少し落ち着いたらでいい』って言ってたわよね!?  恋人探すなんて一言も言ってなかったし、私たちみたいに市場で目を皿にしてもいなかったよね!?」
「ええ、特には探していませんでしたよ。でも、縁があれば、探さずとも向こうから巡ってくるものなんです。ね?」

 にっこりと、邪気の無い完璧な笑みを浮かべるリリー。しかし、婚活惨敗組の二人から見れば、その笑顔は完全なる“勝者”が敗者に放つ、慈悲深きマウントにしか見えなかった。



 その日の夜。すっかり帳が下りた中庭の隅で、セリアとティナは冷たい夜風に吹かれながら、月を見上げて肩を並べていた。

「……なんで、あんなに必死に探した私たちには何もなくて、探してもいないリリーにだけ、すっと自然に恋人ができるわけ?」

 セリアが虚空に向けて愚痴をこぼす。

「私たち、あの広い市場を何周もして、男たちの体格から顔の造作、果ては誠実さまで厳しくチェックしたっていうのにね……」

 ティナが膝を抱えて溜め息をついた。

「結局さ……恋愛とか運命の人って、必死になって探して捕まえるもんじゃないのよね。不意に、向こうから歩いてくるものなのよ、きっと」
「そうね。来るときは、本当にすっと自然に来る……はぁ。理屈では分かっているけれど、やっぱり悔しいものは悔しいわ」
「でも……悔しいけれど、あのおしゃべりでいつもエナ様を支えてくれているリリーのことは、ちゃんと祝福してあげたいのよね。どんな男か、ちょっと気になるし」

 セリアがニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

「……ねえ、ティナ。リリーさんの自慢の彼氏、ちょっと偵察しに行ってみない?」
「こら、それはいささか性格が悪いぞ。……で、いつ行く?」
「今でしょ!」



 翌日、二人は任務の合間を縫って、屋敷の敷地内にある医務室の裏手に忍び寄った。窓の隙間から中を覗き込むと、そこには白衣を着た若い男が、黙々と薬草をすり鉢ですり潰している姿があった。名前はカイル。リリーの言っていた通り、無口で、どこか無愛想な印象を与える、真面目そうな青年だった。

 (ふん、まあ、顔立ちは悪くないけれど……ちょっと冷たそうじゃない?)

 セリアが心の中で品定めをしていると、医務室の扉が開き、リリーがひょっこりと顔を出した。

「カイルさん、お疲れ様です。お差し入れを持ってきましたよ」

 その瞬間、事件は起きた。それまで職人のように険しい顔をしていたカイルの表情が、リリーの姿を見た途端、まるで春の雪解けのように、ふにゃりと甘く蕩けたのだ。

「……リリー。ありがとう。君が来てくれるのを、ずっと待っていたんだ」

 それは、普段の彼からは想像もつかないほど、優しさと愛おしさに満ちた微笑みだった。リリーもまた、いつもの小悪魔的な態度をどこかへ置き忘れ、一人の恋する少女として、嬉しそうにカイルの隣に寄り添っている。

 窓の外で見守っていたセリアとティナは、無言で顔を見合わせ、そっとその場を離れた。帰り道、二人は言葉を交わすことなく、ただ互いの肩をポン、ポン、と静かに叩き合った。

(……うん、完璧に幸せそうだったね。何も口を挟む余地はなかったわ)
(……悔しいけれど、本当におおきな、お似合いの縁だったね)



 その日の午後も、ウエストヴェイル邸の回廊には、いつもの微笑ましい光景が広がっていた。辺境伯夫妻が、仲睦まじく並んで歩いている。

 エナは「もう、旦那様ったら距離が近いです!  暑苦しいです!」と、相変わらずシマエナガのような顔を膨らませてツンデレを炸裂させていたが、アシュレイに繋がれた手は、決して離そうとはせず、むしろ嬉しそうに握り返していた。

 アシュレイはそんな彼女の様子を、鋭さと優しさを併せ持つ灰青色の瞳で愛おしそうに見つめ、「君の手が温かくて心地良いから、離したくないんだ」と、これまた本気の溺愛オーラを隠そうともせずに囁いている。

 その後ろを、数歩下がって護衛するセリアとティナ。二人は前方の甘い空間を見つめながら、小声で、しかし並々ならぬ闘志を燃やして話し合っていた。

「エナ様と旦那様は相変わらずごちそうさまだし、リリーまで先に行っちゃったけれど……」
「ええ。でも、これで諦める私たちじゃないわ。次は絶対、私たちの番よ!」
「そうよ!  運命の人が向こうから歩いてくるその日まで、私たちは自分を磨き続けるんだから!」

 熱い決意を滾らせる二人の背後から、不意に、トレイを持ったリリーの、にこやかで、どこか楽しげな声が響いた。

 「ふふふ。お二人とも、相変わらず気炎を上げていらっしゃいますね。でも、さっきも言いましたけれど、恋というのは、そうやって『準備万端です!』って身構えているときには、なかなか来ないものですよ?  力を抜いて、自然体でいるのが一番の近道なんですから」

 その、恋愛強者特有の余裕に満ちたアドバイスに、女性騎士二人は一斉に振り返り、声を揃えて唸った。

 「「ぐぬぬぬぬ……っ!!」」

 リリーは「お先に失礼しますね〜」と軽やかな足取りで、エナたちの元へと去っていく。その背中を見送りながら、セリアとティナは再びお互いの手を強く握り締めた。

 恋は、探している時に限って見つからない。けれど、探していなかった人の元には、ある日突然、すっと舞い降りてくる。そんなもどかしくも甘い恋の余韻と、女性騎士たちの静かなる戦いの炎を包み込みながら、西部の辺境伯邸は、今日も賑やかで平和な一日に満たされているのだった。