政略結婚なのに、包容力マシマシな辺境伯の溺愛が過保護過ぎて小鳥令嬢は困ってます!


「ふぅーっ!  よし、完治!  邪気退散!」

 カーテンを勢いよく開けて、光を部屋に呼び込んだエナは、どこからどう見ても完全回復。頬には自然な赤み、目には強い輝き、そしてなぜか両手には謎のストレッチポーズ。彼女の『行動力』が、病を吹き飛ばしたようだ。

「奥様、まだ完全に治ったわけでは……医者の診断だって『ほぼ快癒』と言ったばかりですよ」
「リリー、わたしはもう元気なの!  『ほぼ』っていうのは、つまり『イエス』と同じ意味よ!」
「『ほぼ』があるうちは安静かと。病後の無理は、辺境伯夫人の務めに響きます」
「うるさいわねっ!  ベッドの上はもう限界よ!  動かないと逆に病気になりそう!  わたしは動いて思考するタイプなの!」

(政務は控えてたけど、脳内はずっと『支援のこと』でぐるぐるしてたし……今度こそ動きたい。わたしの目で、ちゃんと『仕組み』が動き始めたところを見てみたいわ)

 そこに、ノックの音と共にアシュレイが顔を出した。彼の表情には、妻の回復への安堵が満ちている。

「起きてたのかい?  騒がしいなと思ったら、もう全快のようだね」
「アシュレイ!  ちょうどいいところに!  わたし、もうどこも悪くないわ!」



「学校……あなたが立ち上げてくれた、読み書き教室のことよ。もう始まってるのよね?」
「うん。君の予算案が素晴らしかったおかげで、予定より早く、読み書き教室の第一期生は昨日から通い始めてるよ」
「じゃあ、見に行っても――」

 エナは前のめりになる。自分の『頭の中で生み出したもの』が、現実でどう動いているか、確かめたかった。

「それについては、少し条件がある」

 アシュレイは静かに言った。

「条件?」

 アシュレイは、ひとさし指を唇に当てて、声を落とす。彼の目には、配慮と愛情が混ざり合っている。

「今日は『こっそり』見に行ってきてほしいんだ」
「えっ、こっそり?」
「まだ慣れていない子たちや、緊張している先生の前に、いきなり『辺境伯夫人』という権威の象徴が出てきたら、萎縮してしまって、本来の姿が見えなくなってしまうだろう?」
「あ……そっか。たしかに、子どもたちを驚かせたくないわ」
「だから、今日は一見学者として、遠巻きに様子を見てきてほしい。それが君の『初仕事』になる。君の優しい視線が、教室の成功を確かめるための最良の手段だ」

 エナは、口を尖らせながらも静かに頷いた。彼の言っていることは、常に『理性』と『配慮』に基づいている。

「……了解よ。変装して忍び込んでくればいいのね?  リリー、『庶民風の地味な服』を!」
「そこまで本格的じゃなくていいけどね。君の『熱意』を隠せれば十分だ」アシュレイは苦笑した。



 エナは乗りなれた馬車を降り、リリーと共に小道を歩いて新設の読み書き教室へと向かった。レンガ造りの平屋に、木の看板が掲げられている――《子ども文庫》。

(……名前も可愛い。わたしの苦手な『数字』から生まれた『優しさ』の形なのね)

 リリーと共に裏手から入ると、講師らしき若い女性が、数人の子どもたちに紙を配っていた。

「『あ』の字は、こう書きます。みんなで、声に出して――」
『あ、あ、あ……!』

 子どもたちの元気な声が響く。

「うーん、まだ筆が上手に使えない……!」
「先生、間違えた!  変な字になっちゃった!」
「大丈夫よ。間違えることは、成長のしるし!  みんな、きっとできるようになるわ」

 エナは教室の小窓から、その様子をそっと見守っていた。

(思ったより……ちゃんとしてる。そして、なんて温かい場所なの? みんな、集中して、笑ってる。これが、『仕組み』の力なのね)

 教室の片隅で、ある男の子が必死に文字を書こうとしていた。筆を何度も落としながら、それでもあきらめず、歯を食いしばっていた。その姿は、かつて予算書と格闘していたエナ自身のようだった。

(がんばって……!  あなたは一人じゃないわ!)

 窓の外から、その子の努力を祈るように見つめるエナ。自分の目で見た『現場』は、机上の冷たい計算とはまったく違って、あたたかく、どこか眩しかった。



 屋敷へ戻ると、応接室で待っていたアシュレイが、静かに立ち上がった。彼の視線は、エナの顔色の変化を逃さない。

「おかえり、どうだった?  疲れていないかい?」
「すっごく……よかった。わたしが思ってたより、もっとちゃんとした『未来』だった。あの予算を組んでよかった」
「それは、嬉しいな。君の『真の優しさ』が、領地に根付き始めた証拠だ」
「先生も、生徒たちも、がんばってた。……こんな風に、育っていくのね。ひとつずつでも、ゆっくりと」

 アシュレイは優しく微笑むと、テーブルに置かれた包みを差し出した。

「……君の『初仕事』のご褒美だ」
「え?」
「王都で今、流行ってる焼き菓子。『ふわふわシュガーレース』っていうらしい。君の好きな甘いものだ」
「ふ、ふわふわシュガーレース……っ!  」

(名前からして可愛い!  絶対おいしいやつ!!)

 甘いもの好きのエナの目が輝く。しかし――彼女の『対等への意識』が、ここで立ち塞がった。

「……でも」

 包みを手に取ったエナの動きが、ふと止まる。

「これって……」
「うん?」
「ご褒美って……まさか、また『子供扱い』してるんじゃないでしょうね?  わたしは、ちゃんと自分の責任を果たした『対等な妻』なのよ!」
「いや、ご褒美は子供だけのものじゃないと思うけど?  大人だって褒められたいだろう?」
「あなたのその『優しげでやんわり大人の男の顔』で、何でも許されると思わないでちょうだい!!  その顔が『甘やかしの象徴』なのよ!」

 アシュレイは苦笑しつつ、逃げるように応接室の奥へと歩き出す。

「ちょ、逃げないで!  この包みは返すからね!?  うっかり喜んでないからね!?」
「食べてから怒るのでも遅くないよ。冷めないうちにどうぞ」
「~~~~っ!!  ほんと、ずるい男!!」



 夜。ひと口だけ味見したふわふわシュガーレースがとんでもなくおいしくて、結局もう一個こっそり食べたエナは、執務室で書類を読んでいたアシュレイにそっと近づいた。

「アシュレイ」
「ん?  もう食べたのかい?  甘すぎなかった?」
「……ありがとう。ほんとに、いい見学だった。そして、お菓子もおいしかったわ。少しだけ」
「うん、君の顔を見ればわかる。最高の笑顔だよ」
「明日から、わたしもちゃんと関わるわ。『こっそり』じゃなくて、ちゃんと『辺境伯夫人』として」
「楽しみにしてる。君が介入すれば、もっと良い『仕組み』になるだろう」

 エナはそっと彼の背に寄りかかる。

「でも……あのお菓子は、今日だけだからね。これからは、対等な夫婦の関係なんだから」
「はいはい。わかったよ、対等な妻」
「……ちょっと。なに、その適当な返事」

 エナは不満げに拗ねる。

「じゃあ今度からは、『対等な妻』らしく、君も僕にご褒美をくれるの?  『初仕事』のお礼として」
「……う。……考えとく」

(キスなんてできるわけないでしょう!



 夫婦の時間を邪魔せぬために控え室でいつものメンバーがお茶をしながら雑談を始める。

「奥様、まさかご褒美で『焼き菓子→怒り爆発』の流れとは……。怒りの起爆剤が砂糖」
「でも結局全部食べてましたよね、あれ。『ツン』の後に『デレ』の甘い残骸が残る」
「むしろ『おいしかったから許す』みたいな雰囲気だったような……。ツンデレの意味が問われるわ」
「奥様の『ツン』って、どこか甘いですよね。すぐにバレる」
「まさに『焼き菓子系ツンデレ』。表面はサクサクだけど、中はふわふわの甘さ」
「もしくは『砂糖で包まれた毒舌』。もう、それお菓子の商品名にありそう!」
「よーし、次は奥様から旦那様に『対等なご褒美』をあげる作戦を考えよう!  奥様、次は絶対に逃げさせないわよ!」