政略結婚なのに、包容力マシマシな辺境伯の溺愛が過保護過ぎて小鳥令嬢は困ってます!


 朝、太陽が地平を越えた頃には、すでに領内のあちこちから太鼓や笛の音が鳴り響いていた。ウエストヴェイル領の都心――エンブレイ城下にて、辺境伯夫婦の盛大な「お披露目パレード」が始まろうとしている。

「……ほんとに、やるのね。パレードなんて……!」

 支度部屋で鏡の前に立つエナは、普段の彼女からは想像できないほど緊張した面持ちだった。フリルを控えた深紅のドレスは、彼女の銀色の髪と白い肌を際立たせ、美しく結い上げられた髪には、煌びやかな宝飾のティアラが揺れている。それは、彼女が真に「ウエストヴェイル家の女主人」となった証だった。

「お美しいですよ、奥様!  領民たち、きっと目を見張りますわ!  もう、都のどの令嬢よりも立派です!」

 リリーが嬉しそうに声を上げる。彼女は、エナの成長を一番近くで見守ってきた。

「大丈夫です。パレードの間、私とティナが両サイドを固めます。堂々としていれば、誰よりも立派な『ウエストヴェイル夫人』に見えますから」
 セリアが背筋を正しながら言えば、ティナがにやりと笑う。

「でもまぁ、もし緊張で固まって失敗したら……そのときは全力でお守りしますよ、奥様の威厳も!  『あれは騎士の訓練だった』と触れ回ります!」
「威厳まで守ってくれるの……?  そんなのあるのかしら、わたしに……」

 小さく自嘲気味に呟くと、ノック音が響いた。

「……エナ。準備はいいかい?」

 聞き慣れた、優しくも芯のある声。その声を聞いた瞬間、エナの緊張は一気に溶け、代わりに確かな決意が胸に満ちた。

「……行くわ。リリー、ティナ、セリア、付き添いよろしくね。わたしの『護衛』たち」
「「「はいっ!」」」



 街の中央通り、パレードは始まった。先導するのはウエストヴェイル騎士団。その後ろに、馬車に乗ったアシュレイとエナの姿がある。アシュレイは軍装ではなく、刺繍の施された礼装をまとい、隣のエナの美しさを際立たせていた。

「奥様だ……!」
「わあ、綺麗……!」
「旦那様、あんな美しい方を妻にしたのか!」

 領民たちの歓声が、風に乗って響く。彼らは、エナが水害対応や物資支援で見せた迅速な采配をすでに知っていた。エナは高い位置から人々を見下ろす形になっていたが、その視線の温かさに、思わず胸が詰まる。

(皆……笑ってる。わたしを見て――歓迎してくれてる)

 不思議だった。ほんの数ヶ月前までは、この地に来ることさえ想像していなかったのに。今では、こうして「この地の女主人」として、皆の前に立っている。

「エナ、大丈夫?  顔色が少し赤いようだが」

 隣から聞こえるアシュレイの優しい声に、彼女はふっと微笑んだ。その微笑みには、もう「強がり」の色はなかった。

「……ええ。大丈夫よ。見て、アシュレイ。皆、こんなに祝福してくれている。きっと今なら、わたし、ちゃんと『奥様』になれてると思うわ」
「ああ、もちろんだ。最初から、君は最高の奥方だよ」

 アシュレイの言葉に、エナの頬はさらに赤くなったが、今回はもう、それを毒舌で誤魔化す必要はなかった。



 パレードの終点、城の広場に到着すると、辺境伯領の住民が埋め尽くしていた。ウエストヴェイル騎士団長による音頭が始まる。

「領民の皆様!  本日は、このウエストヴェイルの安寧と繁栄を、旦那様と共に支える新たな『ウエストヴェイル辺境伯夫人』のお披露目でございます!」

 どよめく人々。その中心に立つエナは、深く息を吸い、少しだけ背筋を伸ばす。彼女は、王都の貴族令嬢として学んだ完璧な礼儀をもって、領民たちに向き合った。

「このたび、正式に『アシュレイ・ウエストヴェイルの妻』として、皆様にご挨拶をさせていただきます。……至らぬところも多くございますが、どうか、よろしくお願いいたします」

 緊張で少し声は震えたが、その誠実な言葉と、彼女がこの数週間で見せた行動が、広場の空気を一変させた。

「お若いのにしっかりしてらっしゃる!」
「先日の水害の件も、奥様の判断だったらしいな!」
「綺麗で聡明な奥様じゃ!」

 あちこちから、愛と信頼に満ちた声が上がり始めた。そして、拍手がひとつ、またひとつと増え、次第に広場全体を揺るがす大きな祝福の波となっていった。

(……わたし、認められたんだ。政略結婚なんて関係ない。わたしは、この地の、『アシュレイの妻』として)

 頬に、何か熱いものが伝った。それは、風が舞い上げた花びらではなく、紛れもない、安堵と喜びの涙だった。



 その後、領民たちとのささやかな祝宴が行われた。エナは緊張しつつも笑顔で挨拶を交わし、子供たちに手を振り、老婦人から「良い奥様じゃ。旦那様を支えておくれ」と頭を撫でられたりもした。

 そして、ようやく人が引き、夜の星が空を支配し始めた頃――アシュレイとふたりきり、屋敷のバルコニーで並んで立っていた。

「……疲れた?」
「ちょっとだけ。でも……嬉しい疲れよ。こんなに祝福されるなんて、想像してなかった」
「うん。君は本当に立派だった。今日の君は、間違いなくこの領の『誇り』だよ。君の強さと優しさが、領民に届いたんだ」
「そ、そういうことをさらっと言わないでよ、ほんと……!」

 口では毒を吐きながらも、エナの耳は真っ赤だった。しかし、彼女は逃げなかった。そして、少しだけ俯きながら呟く。

「ねえ、アシュレイ。今日……ちゃんと認められた気がするの。領民たちに、そして……あなたにも。もう、『子供』じゃないわ」
「もちろん。僕は、ずっと君を認めてる。だが、今日の君は――僕の想像以上だった。もう、何も心配いらないね」

 その言葉に、エナの胸がまた熱くなる。「子供っぽい」と笑われた悔しさが、完全に昇華された瞬間だった。そっと、アシュレイの袖を引いて、ぽつりと呟いた。

「……好きよ。あなたの隣にいて、よかった。あなたを、愛しているわ」

 アシュレイは驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかな笑みを浮かべると、エナの手を握り返した。

「……僕もだよ、エナ。君が僕の妻で、本当に幸せだ。私の愛しい人」

 星の下、ふたりの指がしっかりと絡まりあった。二人の間の距離は、もう何物にも隔てられないほどに近くなっていた。



「奥様、ほんとに成長されたわよね~。次は、あの作戦が成功するといいんですが!」

 リリーが、夜の帳が降りた中、セリアとティナに耳打ちする。

「ふふ。もはや守るだけでは物足りないくらいです。奥様自身の『愛の意志』を尊重しなければ」

 セリアも穏やかに微笑む。

「そうそう!  この調子なら次は『正式な夫婦』として、きっと――」
「それ以上言うと、主の剣が飛んできますよ?  機密情報は外部に漏らさないように」

 グレンが、影から静かに警告する。

「はいはい、自重します!  でも、次は絶対に成功させて、旦那様のあの微笑みを愛の熱情に変えてみせますよ!」
「頑張ってください、奥様!  奥様の『女豹』は進化する!」

 エナは、自室に戻る廊下で、遠くから聞こえる侍女たちの声に、思わず笑みをこぼした。

(やれやれ、まったく世話の焼ける子たちね)

 そう思いながらも、彼女の心は温かい。彼女たちの言う「大人の務め」は、近いうちに果たされるだろう。なぜなら、エナはもう、アシュレイの隣に、「対等な妻」として立つことを、心の底から許したのだから。政略結婚という名の冬を越え、辺境伯夫婦の間に、真の春が訪れていた。