好きって言ったらキスしてくれる?

 そいつへの想いを抱えて、今日は覚悟を決めてここまで来たし、こうして先輩の前に立っている。

(隣にいるのに相応(ふさわ)しい人間でありたい。自分の力で自分の問題は解決できる強さがほしい。だって俺は——あいつのことが好きだから)

「————!」

 今この瞬間、頭に思い浮かべたくはない笑顔まで思い出してしまいそうになり、俺は両目を固く瞑(つむ)る。

(自分で頑張りたいんだ! そしてうまく解決して、「実はこんなことがあったんだ」って笑いながら話したい……俺たちの部屋で)

 いくつか蕾のような形が作られ始めた、窓際にずらっと並んだプリンの空きカップの球根の光景を、頭からふるい落とすと、俺は改めて、先輩に真剣な目を向けた。

「会いに来るの、今日で最後にしてください、お願いします」

 顔に伸ばされようとしていた手をすり抜けて、深々と頭を下げると、先輩が深く息を吐く音がする。

「他ならぬ、「可愛い」皆実ちゃんの願いだから、なるべく叶えてあげたいけど……無理かな」

 伸ばされた手が、するっと俺の頬を撫でた。力づくで、顔を上向けさせられる。それはもう――抵抗しようのない力の差で。

「好きな女の子でもできた?」

 目を覗きこむようにしながら問いかけられて、俺は眼差しに力を込めた。力では負けても、せめて己の意志を貫こうという気持ちだけは、負けないように。

「それとも、男?」

 そこで絶対に動揺したりなどしないと、平静を装ったつもりだったのに、俺の観察に長けた——あまりにも慣れた駒沢先輩は、俺のかすかな瞬きだけで、真実を見通してしまった。

「へえ……」

 先輩の声が一段低くなったことがわかり、俺はその場から逃げようともがく。
 だけど緊張で身体が強張っているのか、焦りのあまりうまく手足が動かせないのか、少しも先輩から離れられない。
 顎を掴まれたまま、至近距離で、怖いくらいに光る先輩の目を見続けるしかない。

「皆実ちゃんって、そういうことに興味ないと思ってた。だからこのままでいいと……今はまだそれでいいと、ずっと思ってたんだけど……」

 だんだん近づいてくる先輩を押し戻そうと、俺はせいいっぱい手を突っ張る。
 そんなもの、何の抵抗にもなりはしないとばかりに、先輩の顔が迫る。

「だったら、俺で……いや、「俺が」いいよね?」

 あきらかに、意図的に、頬に頬をつけようとされることが心底嫌で、俺は無我夢中で両手をふり回した。

「放せ! やめろ!」

 なんなら、足も踏みつけたし、蹴れるだけのところを蹴った。
 クリティカルではないにしろ、絶対にその中のいくつかはヒットしているはずなのに、そんなことは気にもせず、ただもうひたすら、俺に唇を寄せようとしてくることが怖い。
 いや、全身に鳥肌が立つほど気持ち悪い。

(なんだ……やっぱり抱き合うのもキスされるのも、悠臣だからいいんで、他の奴じゃ嫌なんじゃないか……)

 そんなことを、妙に冷静に自覚してしまった時、耳になじんだ声が響いた。

「宝田! 避けろ!」
「え? えええええっ????」

 聞き間違えようのない声に、いったいどうしてこんなところにとか、そもそも何故とか、当然な疑問が頭に浮かぶ前に、俺の身体はとりあえず言われたとおりに頭を抱えてその場にしゃがむ。
 直後、頭上でバーンと、固い木片とコンクリート壁が衝突でもしたような、とても大きな音がした。

「ひぇえええええ」

 悲鳴を上げながら目線だけ上げてみると、悠臣が長い足を上げて身体を捻って回し蹴りをしている姿と、それを、身体を守るように揃えた両手で受け止めている駒沢先輩という信じられない光景が、視界に飛び込んでくる。

「えええええっ⁉!?!? それ、受け止められんの????」

 思わず口から出てしまった素直な感想に、跳ね返された反動を利用して俺を抱きかかえて先輩から飛び退っていた悠臣が、片腹を押さえて、ガクッと地面に膝をつく。

「ちょ、待って宝田……今、笑わせないで」
「はあっ?」

 俺だって、そんな局面じゃないことは十分わかっている。
 ただ思ったことを口にしただけなのに、それですぐに笑い崩れてしまうほど、笑いの沸点が低い悠臣が、この場合は悪い。

「笑うな、バカ」
「バカはひどい……せっかくかっこよく助けに入ったのに」

 軽口を叩き合いながらも、悠臣は俺の頭を胸に抱き込んで、しっかりと抱きしめているし、俺はそんな悠臣の身体に腕を回して、力の限り縋りついている。
 震える腕で、何があっても絶対に放さないとばかりに——。

 悠臣の蹴りを受け止めた体勢のまま、微動だにしていなかった駒沢先輩が乾いた声を出した。

「誰かと思ったら……皆実ちゃんの『王子様』か……つまり……そういうこと?」

 確認するように視線を合わされて、俺はぼっと火が点きそうに顔が熱くなった。
 『王子様』というのは、俺たちの体育祭を見ていたらしい駒沢先輩にとって、悠臣がそういう印象ということなのだろう。
 今日は制服姿なのに、あの日俺をお姫様抱っこで走った、王子様扮装の悠臣と同一人物だと、すぐに気がつくところが先輩らしい。

 直前に話していた内容が内容だけに、何と答えていいのか困惑する俺に、先輩がそっと手を伸ばそうとする。

「触るな! こいつは俺の、だ」

 悠臣に手を叩き落されて、先輩は苦く笑った。

「言われなくてもできないよ……さっきのと今ので腕が完全にイカレた。正直、バイクで帰れる気がしない」
「え? え?」

 それは大きな驚きだったのに、それ以上の驚きで、俺は先輩が話したことの半分も理解できていなかった。

(俺の? 俺のって……何?)

 悠臣が鋭く放った言葉の威力は、こと俺にとっては、何よりも絶大だった。
 いつになく怒りを隠そうともしていない悠臣の顔を、穴の開くほど見つめ続ける。

「謝りませんよ」
「俺だって謝らないよ」

 二人が言いあっているが、駒沢先輩の言葉は、悠臣に対してではなく、俺に向けられているように感じた。
 だから、俺はあえて言葉にはしないが、悠臣と同じ気持ちだと示すように、縋る手に力を込めて、悠臣の腕の中から、怯むことなく先輩を見つめ返す。

「…………ふっ」

 先輩は声に出して笑うと、俺たちに背中を向けた。
 本人が言っているように、確かに両腕が力なくだらんと下げられたままだ。

「あ……」

 俺は一瞬口を開きかけたが、抱きしめてくれている悠臣の腕に力がこもったのがわかったので、何も言葉にしなかった。
 かけるべき言葉も見つからなかった。