好きって言ったらキスしてくれる?

 その夜、悠臣はめずらしく消灯よりもかなり早い時間に帰って来た。
 夕食と風呂の後、ベッドで少し寝てしまっていた俺は、寝ぼけ眼で出迎える。

「お帰り……」
「ただいま……ゴメン、起こした」

 気にするなという意味で、俺はベッドに座り直し、首を横に振る。
 それに笑って、悠臣も自分のベッドに座った。
 いつも穏やかで明るい雰囲気の奴だが、今は殊更そう感じた。

「今日、バイトに一つケリがついて……」

 にやっと笑う様子を見て、なるほどと思った。
 護衛している女の人が、安全な場所を確保できたのだろうか。
 それに悠臣がどれだけ関与したのかを、敢えて訊きはしないが、いつだって真摯に向き合っていると知っているので、労いの言葉をかける。

「よかったな」
「ああ」

 嬉しそうに笑う悠臣を見ていると、ここのところ落ち込みがちだった心が浮上していくのが、自分でもわかった。

「これでしばらくは、お役ゴメン」

 両腕を高く上げて、伸びをする姿を見ていると、自然と俺の口角も上がる。
 悠臣のおかげで、不幸な状況から抜け出すことが出来た女の人がいるって、すごいことだなと思った。

 今回に限ったことではない。これまでに何人も、そういう手助けをしてきたというのは、賞賛されるに値するのに、悠臣はそれを褒めてもらいたくてやっているのではないからと、秘密にしている。

(すごい奴)

 俺は膝を抱えた格好になって、自分の膝頭の上に頬を乗せた。
 見上げる角度で、悠臣を見る。

 今日は自宅で風呂に入ってきたわけではないらしく、これから風呂にしようか、それとも遅い夕食にしようかと、考えている。
 その広い背中を見ながら、今日悠臣に守ってもらったであろう女の人のことを、ふと、うらやましいと思ってしまった。

「…………」

 俺は自分が、見た目のせいで女の子扱いされるのを、心底嫌だと思っている。
 だから女の子になりたいと思ったことなど、これまでただの一度もない。
 でも今は——今だけは、チラッと思ってしまった。

(もし俺が女だったら……駒沢先輩のこと相談したら、バイトの女の人たちみたいに、守ってもらえたのかな?)

 そんなことを考えてしまった自分が嫌で、力を込めて自分の腕を掴む。
 悔しくて、自分のことは自分でどうにかしたいという思いが強くなった。

「悠臣……」

 呼べば、「なんだ?」というふうに悠臣がふり返る。
 俺は声が震えそうになるのを悟られないように、必死に平常を装って、問いかけた。

「お前のバイト……守るのは女の人限定なの?」
「?」

 悠臣は一瞬きょとんとした顔をしたが、頭の回転が速いので、俺が訊きたかったことをすぐに察してくれる。

「それは……男の人の護衛や、ボディガードもするかってこと?」
「そう」

 考えるような仕草をしながら、悠臣が一つ一つ丁寧に言葉にする。

「可能か、可能じゃないかと訊かれれば……それはもちろん可能だよ」

 俺はほっとして、詰めていた息を吐いた。

「じゃあ……」

 お礼はちゃんと用意するから、時間が空いているのならしばらく俺を護衛してくれないかと、ビジネスを持ちかけるため口を開きかけた時、悠臣が真っ直ぐに俺を見た。
 茶色い瞳が放つ強い光に射竦められたように、俺はそれ以上言葉にすることが出来なくなった。

「でも、宝田が俺をバイトで雇いたいって話なら……それは、断る」
「え?」

 まさかそうきっぱりと拒絶されるとは思っておらず、俺は思考も身体の動きも固まった。
 さあーっと全身から血の気が引くのが、自分でもわかった。

 俺が硬直したのがわかったらしい悠臣が、言葉を重ねようとする。

「でも……」

 だけど俺は、それ以上聞きたくなかった。
 たった一度の拒絶で、身体を真っ二つに切られたように、心が痛くて苦しくて、血が噴き出しているような状態なのに、とても耐えられるとは思えない。

 こんなに悠臣のことが好きなんだと、改めて自覚した。
 ほんの少しの言葉で、やり取りで、気持ちが天まで舞い上がったり、地面に叩きつけられたような思いがするほど。

 だけどそれはきっと、俺の方だけで、悠臣は俺のことを、仲の良い友人だとしか思っていない。
 その事実が苦しくて、耐えられなくて、俺はベッドに潜りこんで頭まで毛布を被る。

「いい! 忘れてくれ!」
「宝田! そうじゃなくて……」

 悠臣の焦った声が聞こえてくるが、本当に、今はもう何も聞きたくない。
 堪えきれずに溢れだした涙で濡れた顔を見られたくないし、どうして急にそんなことを言い出したのか、今こんな態度を取ってしまっているのか、説明したくない。出来るはずがない。

「もういいって!」

 悠臣がそれ以上言い募らないよう、強めに言い切って、毛布の中で自分を抱きしめて丸くなった。
 最後が涙声だったと、悟られなかった自信は、正直なかった。