駒沢敦史先輩は、俺の中学時代の二学年上の先輩だった。
同じ陸上部で、幼馴染たちが俺を呼ぶのを聞いて、最初にわざと、俺を「皆実ちゃん」呼びし始めた人。
成績優秀、運動神経も良くて、教師からの信頼も、生徒からの人望も厚かった駒沢先輩は、当時生徒会長を務めていた。
その人から、誰の目を憚ることもなく「可愛い可愛い」と猫かわいがりされていた俺は、中学校で知らない者はいないほどの有名人だった。
先輩のことは尊敬していたし、大好きだったが、『駒澤先輩の可愛い皆実ちゃん』とみんなに認識されることには、最初から違和感があった。
でも中学時代の二学年の差は、絶望的なほどに絶対で、今更「ちゃん」付けは嫌だとか、お姫様扱いはやめてほしいとか言える雰囲気はまったくなかった。
結果、陸上部では完全に浮いてしまい、記録が伸び悩んでいたこともあって、一年の途中で退部した。
それでも先輩は変わらず、毎日俺に会いに一年の教室へ来ていたし、いろんな行事の度に俺を引っ張り出して、女装させることもやめなかった。
先輩が卒業して、学年が一つ上がると、さすがに女装の頻度は減ったが、毎日のように中学に顔を出す駒沢先輩が、俺に会いに来ることは変わらなかった。
その頃にはすっかり『皆実ちゃん』呼びが定着していて、何かあるとやっぱり周りから女の子の扮装をせがまれることも。
俺は、それら全部が嫌で、そこから逃げ出して、誰も知っている人間がいないはずの、全寮制の宝翔学園へ入学した。
はずだったのに——。
「元気にしてた?」
今、駒沢先輩を目の前にして座っていると、ずんと胸の奥が重たくなっていくような感覚がある。
パフェの店で偶然会った先輩を、中学の先輩だと紹介すると、中谷は「積もる話もあるだろうから、僕は先に帰るね」と居なくなってしまった。
同席してくれている方がありがたいと、本音は言えなかった。
中谷と入れ替わりに、俺と向かい合う席に座った駒沢先輩は、頬杖をついて、じっと俺の顔を見ている。
気まずいくらいのその視線が、実を言えば昔から苦手だった。
「心配して、捜してたんだよ……結局、進学先教えてくれなかったし、後輩たちに聞いても、誰も知らないって言うから……」
「…………」
それは俺が本当に、誰にも教えずに宝翔学園へ来たからだ。
その理由は、こうなること——駒沢先輩にまた会うこと——を避ける理由が一番大きかったのに、高校入学から三カ月もしないうちに、その目論見が崩れてしまったことに、俺は落胆していた。
でも頭のどこかで、たぶんこうなることも予想していた。
「生徒会の視察で行った他校の体育祭で、偶然見かけて、皆実ちゃんに違いないって思って……宝翔学園なら全寮制だから、この辺歩いていたら会えるかな? 皆実ちゃんならきっとこの店好きだなって、毎日通った甲斐があった……」
先輩の話を聞きながら、(高校でもやっぱり先輩は生徒会活動をしてるんだ)などと考えていた俺は、最後の言葉にギクリとなった。
「……毎日?」
「毎日」
先輩は、綺麗に口角を上げてにっこりと笑う。
笑顔のお手本のような微笑を久しぶりに見て、ゾクリと背筋が冷えた。
俺の地元からこの町までは、電車で一時間かかる。
それほど離れているわけではないが、毎日往復するとなると、少し正気を疑う。
「あの……」
そういうことは辞めてほしいと言いたいが、それが言えるくらいなら、俺は中学までの友人たちも住み慣れた地元も全部捨てて、ここへ逃げてなどいない。
頭が良くてみんなに憧れられている駒沢先輩は、昔から俺のことになると、少し常軌を逸している。それが怖い。
「会えてよかった、また会いに来るね」
その「また」が、世間一般的にはいつの日かという意味でも、先輩にとっては、「明日」とほぼ同義であることを俺は知っている。
「…………」
わかっていても、辞めてほしいとか嫌だとかは、やっぱり言えなかった。
同じ陸上部で、幼馴染たちが俺を呼ぶのを聞いて、最初にわざと、俺を「皆実ちゃん」呼びし始めた人。
成績優秀、運動神経も良くて、教師からの信頼も、生徒からの人望も厚かった駒沢先輩は、当時生徒会長を務めていた。
その人から、誰の目を憚ることもなく「可愛い可愛い」と猫かわいがりされていた俺は、中学校で知らない者はいないほどの有名人だった。
先輩のことは尊敬していたし、大好きだったが、『駒澤先輩の可愛い皆実ちゃん』とみんなに認識されることには、最初から違和感があった。
でも中学時代の二学年の差は、絶望的なほどに絶対で、今更「ちゃん」付けは嫌だとか、お姫様扱いはやめてほしいとか言える雰囲気はまったくなかった。
結果、陸上部では完全に浮いてしまい、記録が伸び悩んでいたこともあって、一年の途中で退部した。
それでも先輩は変わらず、毎日俺に会いに一年の教室へ来ていたし、いろんな行事の度に俺を引っ張り出して、女装させることもやめなかった。
先輩が卒業して、学年が一つ上がると、さすがに女装の頻度は減ったが、毎日のように中学に顔を出す駒沢先輩が、俺に会いに来ることは変わらなかった。
その頃にはすっかり『皆実ちゃん』呼びが定着していて、何かあるとやっぱり周りから女の子の扮装をせがまれることも。
俺は、それら全部が嫌で、そこから逃げ出して、誰も知っている人間がいないはずの、全寮制の宝翔学園へ入学した。
はずだったのに——。
「元気にしてた?」
今、駒沢先輩を目の前にして座っていると、ずんと胸の奥が重たくなっていくような感覚がある。
パフェの店で偶然会った先輩を、中学の先輩だと紹介すると、中谷は「積もる話もあるだろうから、僕は先に帰るね」と居なくなってしまった。
同席してくれている方がありがたいと、本音は言えなかった。
中谷と入れ替わりに、俺と向かい合う席に座った駒沢先輩は、頬杖をついて、じっと俺の顔を見ている。
気まずいくらいのその視線が、実を言えば昔から苦手だった。
「心配して、捜してたんだよ……結局、進学先教えてくれなかったし、後輩たちに聞いても、誰も知らないって言うから……」
「…………」
それは俺が本当に、誰にも教えずに宝翔学園へ来たからだ。
その理由は、こうなること——駒沢先輩にまた会うこと——を避ける理由が一番大きかったのに、高校入学から三カ月もしないうちに、その目論見が崩れてしまったことに、俺は落胆していた。
でも頭のどこかで、たぶんこうなることも予想していた。
「生徒会の視察で行った他校の体育祭で、偶然見かけて、皆実ちゃんに違いないって思って……宝翔学園なら全寮制だから、この辺歩いていたら会えるかな? 皆実ちゃんならきっとこの店好きだなって、毎日通った甲斐があった……」
先輩の話を聞きながら、(高校でもやっぱり先輩は生徒会活動をしてるんだ)などと考えていた俺は、最後の言葉にギクリとなった。
「……毎日?」
「毎日」
先輩は、綺麗に口角を上げてにっこりと笑う。
笑顔のお手本のような微笑を久しぶりに見て、ゾクリと背筋が冷えた。
俺の地元からこの町までは、電車で一時間かかる。
それほど離れているわけではないが、毎日往復するとなると、少し正気を疑う。
「あの……」
そういうことは辞めてほしいと言いたいが、それが言えるくらいなら、俺は中学までの友人たちも住み慣れた地元も全部捨てて、ここへ逃げてなどいない。
頭が良くてみんなに憧れられている駒沢先輩は、昔から俺のことになると、少し常軌を逸している。それが怖い。
「会えてよかった、また会いに来るね」
その「また」が、世間一般的にはいつの日かという意味でも、先輩にとっては、「明日」とほぼ同義であることを俺は知っている。
「…………」
わかっていても、辞めてほしいとか嫌だとかは、やっぱり言えなかった。



