好きって言ったらキスしてくれる?

 午前の最後に、俺が出場する100M走が行われた。
 ここまでの競技で、各寮の得点はほぼ均等、午後からも点数を稼ぐ種目があるとはいえ、これで午前のひとまずの成績が決まると思うと、緊張せずにはいられない。
 ドキドキしながら招集場所まで行って、軽くウオーミングアップしたが、眼鏡が邪魔なことに気がついた。

(しまったな)

 気にしながら走ったら、おそらく全力は出せない。
 だからといって、外すのも躊躇われるし、そもそも外した眼鏡をどうすればいいんだ。

(走り終わったらすぐ掛けたい。一刻も早く)

 だが生憎、体育着にはポケットなどない。

(仕方ない。掛けたまま走るか)

 そう諦めた時、ふいに悠臣が現れた。
 800M走の時の俺のように、チアガールの格好のままで、からかいの声がかけられる中を、手を振りながら悠然とこちらへ来る。

「なっ、なんだよ」

 焦る俺の目の前に立つと、耳元に顔を寄せるために、少し身を屈めた。
 ふわっとなんだかいい香りがする。

「お前、香水までつけてんのか?」

 女装にそこまで気合を入れているのは、悠臣自身なのか、それともメイクを請け負った奏先輩なのか。どうでもいいことを考えながら、反射的に悠臣と距離を取ろうとするのに、その分また詰められる。

「つけてないけど?」

(じゃあ何だ? このいい香り……悠臣本人の元々の匂いだっていうのか? そんなことあるか?)

 信じられない思いで目を見開く俺を、至近距離で見つめて悠臣がふわっと笑う。
 その笑い方自体は、奴が良くやるヤツなのに、妙にそわそわ落ち着かないのは、女の子みたいな今日の見た目のせいに違いない。

「眼鏡、俺が預かっとくから」

 言いながら悠臣が、俺の眼鏡を取った。

「おいっ!」

 抵抗する間もなかった。
 取り返そうとする俺の手を潜り抜けて、悠臣が俺の前髪をバサバサと顔に被せて、ポンと頭を叩く。

「はい、これでいいだろ?」

 覗き込むように俺の顔を見つめる悠臣の目が、キラリと光る。

「本気の走り、見せてよ……すごいかっこいいヤツ」
「ーーーー!」

 挑発されて、まんまとそれに乗るなんて……とも思うが、こういう時、どうしても負けず嫌いが発動するのだから仕方ない。

「おう! ゴールで待っとけ!」

 指を突きつけて宣言すると、悠臣がケタケタと笑い出した。
 放っておいて、スタート地点へ向かう。

 不思議ともう緊張はなかった。
 ただ「やってやるぞ」と闘志がみなぎっていた。
 もし一番を取ったら、午前中、個人競技の勝者に散々やっていたように、「悠臣が俺にも投げキスするのか⁉︎」という戸惑いだけは、頭の片隅にしっかりとあった。