好きって言ったらキスしてくれる?

 お互いのベッドに腰かけて向き合って座り、俺は悠臣から貰ったプリンの小箱を開ける。
 色とりどりのプリンが六つも並んでいて、思わず悠臣の顔を見上げた。

「お前バカなの?」
「はははっ、ひどい」

 非難する言葉を吐きながらも、悠臣はニコニコ笑って上機嫌だ。
 さっき間近で対峙した時は、真顔過ぎて、そのよく整った顔に魅入られたように身動きできなくなってしまった自覚があり、俺はどこかほっとしていた。

「誰が食うんだよ、こんなに」
「宝田に決まってる」
「おい!」

 いつもの気安いやり取りに、確かに安堵している。
 この空気を壊すのが嫌で、今まで一歩引いて悠臣とつき合ってきた。
 そのせいで妙にイライラしてしまうのなら、もう今の距離感を壊すしかないのだろう。
 俺は意を決して口を開いた。

「なあ……」

 その決意がわかったのか、悠臣の方から切り出す。

「俺の母親、ボランティアで、困っている女性の保護をやってるんだ」
「…………?」

 突然の内容に、俺はプリンのスプーンを握りしめたまま悠臣を見つめる。
 悠臣の表情が、ふっと柔らかくなった。

「DVやモラハラなんかで悩んでいる人の、相談に乗ったり、逃げ場所を探したり、現状を変えるための手助けをするんだけど……」

 なんとなく、話が見えてきた気がする。
 俺は手にしていたスプーンを、悠臣に突きつけた。

「ひょっとして、今日一緒だった女の人……そういう事情の人なのか?」

 悠臣がほっとしたように息を吐く。

「うん、そう。外に出る時のボディガードとして、俺がつき添ってる。もう新しいパートナーがいるんだと誤解して、相手が諦めてくれないかなという打算込みで……まあ、そんなにうまくいくこと、なかなかないけどね」

 激高した男に、ナイフを向けられた悠臣の姿を思い出す。
 今さらながらに焦って、俺は問いかけた。

「それって、危なくないか?」

 悠臣は神妙な顔で頷く。

「うん。でも俺は、小さな頃からいろんな格闘技やってるし、今のところ、怪我したことはないかな」
「だからって……」
「俺で出来ることがあるなら、困っている人の力になりたいんだ。まあ、母親の受け売りだけど……」

 それはいかにも、俺がこれまで見てきた悠臣らしい思いで、それ以上意見する気はもうなくなった。

「そうか」

 悠臣が、肩の荷が降りたように笑う。

「逆恨みってこともあるし、次々いろんな女性の護衛をするから、俺本人のことが相手の男にわからないように、毎回見た目は変えてる」

 いつもと雰囲気が違って、別人か?という思いも頭を掠めた、夕方の悠臣の姿を思い出す。

「女性側のプライバシーの問題もあるから、俺がやってることの詳しい内容は、今まで誰にも教えたことがなかったんだけど……」

 聞き捨てならない発言に、俺はたじろいだ。

「え? え? 誰にも?」

 だったら俺以外のみんなが悠臣のバイトについて知っているふうなのは、いったいどういうことなのだろう。
 俺の戸惑いがわかったらしく、悠臣が説明してくれる。

「みんなはたぶん、女の人からお金を貰って恋人みたいなことをする……パパ活の逆バージョン? みたいなことをしてると思ってると思うよ」
「はああああああ???」

 思わず大きな声が出た。
 もう夜のことなので、隣の部屋から苦情が来ないように、悠臣がとっさに俺の口を手で塞ごうとする。

「声デカいって」

 俺はその手を払い除けた。

「お前、それでいいのかよ!」

 俺はかなり頭にきて、強めに言うのに、悠臣はなぜそんなことを訊かれるのかわからないというようにきょとんとしている。

「いいよ」
「いいわけないだろ!」

 怒りながらも、俺の頭の中の冷静な部分では、「悠臣の言うように、機密保持の意味でも、護衛の精度を上げるためにも、誰にも秘密の方がそりゃいいよな」と理解している。
 それでも——。

「それじゃお前が、とんでもない女好きの、守銭奴みたいだろ!」
「————!」

 俺の叫びに大きく目を見開いて驚いた後、「はははは」と声を上げて悠臣は笑いだした。

「守銭奴って……お金なんてもらってないよ」
「事実はそうでも、誰もそう思ってないだろ!」
「うん」

 笑い過ぎて涙を拭きながら、悠臣は「別にいいんだ」と言う。

「だからってみんな、俺のことを敬遠したりせず、普通につきあってくれるんだから」
「それは……」

(お前が良い奴過ぎるからだろ!)という叫びは、言葉にせずに呑み込んだ。
 まだ涙を拭いながら、「ああ、これですっきりした」なんて大きな口を開けて笑っている悠臣は、本当に誰からも好かれている。
 俺が目くじら立てて怒る必要なんてないくらい、友だちが多くて、みんなからの信頼も厚い。

(だったら、もう……本人がいいんなら、いいか……)

 俺は諦めて、プリンを食べるのに没頭することにした。
 だけど、ふとある事に気がつく。

「でも、誰にも秘密の方が都合がいいんなら、俺に話してよかったのか?」
「え?」

 不意を突かれたように、悠臣の表情が固まる。

「?」

 そんなに驚くようなことかと、じっと見つめる俺の視線から逃げるように、珍しく悠臣が顔を伏せた。
 明るい色の前髪に、いつも雄弁に感情を語る目が隠れてしまい、悠臣がどんな表情をしているのか、何を考えているのか、わからなくなる。
 ざわっと胸が騒いで、それを嫌だと思う自分に気づく。

「よくない……ほんとはよくないんだけど……」

 長い指を組んで、両手を握り合わせて、その辺りに視線を落としながら、悠臣はぽつぽつと語る。
 俺は全神経を集中して、それに耳を傾ける。

「付き添いしてる時に、宝田と偶然会って、いつものように他人のフリして、知らん顔して……そこからずっと、なんか俺、調子おかしくて……」
(あ! 俺も————!)

 ドクンと大きく心臓が跳ねて、急に鼓動が速くなった。悠臣が言葉を重ねるごとに、それはどんどん加速していく。

「事情を知らないんだから、どういうことなんだと思ったよな、嫌われたかな、もう今までみたいに笑いあえないのかなとか……いろんなことが頭の中ぐるぐるして」
(一緒だ……)

 息が上がりそうになるのを必死に堪えながら、プリンのカップとスプーンを握りしめた。

「もういっそ、全部うちあけよう……いや、宝田には知っててほしいと思って」

 そこで顔を上げるのは反則だ。
 なんか喉の奥に熱いものがこみ上げてきそうになっているのに、そんな顔をすぐ近くから見られることになる。
 俺は焦って、焦って——悠臣の顔の前にスプーンを突きつけた。

「食え!」

 スプーンいっぱいに掬(すく)ったプリンを、ぐいぐいと押しつける。

「え? ちょ、おい……っ」

 驚いた顔をした悠臣は、俺の勢いに負けてプリンを食べた。

「美味いかっ?」

 部屋に響くほどの大声で問いかけると、怪訝な顔で首を傾げていた悠臣が、口の端に付いたプリンを親指の腹で拭って、ぺろりと舐める。

「甘いよ」

 その妙に色気のある仕草に、頭が茹るほどに熱くなって、わけのわからない感情が爆発しそうになる。

「————!」

(甘いのはお前だ!!!)とは、絶対に声に出せず、心の中だけで絶叫した。