好きって言ったらキスしてくれる?

『私立宝翔(ほうしょう)学園 楓(かえで)寮』

 コンクリート製の塀ブロックに、掲げられた縦型の表札を見つめて、俺はこぶしをぐっと握りしめた。

(よしっ)

 これから三年間を過ごすことになるこの場所で、快適な環境を手に入れるためには、何よりもまず出だしが肝心だ。

(舐められるわけにはいかない、だからと言って敵を作るのもよくない……バランスが大事……)

 うんうんと頷きながら、寮の敷地内へ足を踏み入れる。
 考えながら、なんとはなしに歩き続けた。

(そもそも中学時代は、小学校からの友だちが多すぎたのがいけなかった……)

 気やすくて、過ごしやすかった半面、俺は不本意な立ち位置を強いられた。
 例を挙げるならば、体育祭ではチアリーダー、文化祭では劇のお姫様役、女装してのミスコン出場——つまり、完全なる『姫』扱いだ。
 それも、決して男子校ではなく、女子もいる共学校であるにも関わらずなので、いっそう性質(たち)が悪い。

(あいつらが「皆実(みなみ)ちゃん」「皆実(みなみ)ちゃん」って俺の名前を連呼するから……)

 女みたいな名前、低身長、加えて女顔。同級生にも上級生にも下級生にも、絶対に面白がられていた。

(だからここでは、なるべく名前を明かさない! 名前呼びは断固として拒否する!)

 決意を新たに、いっそうこぶしを握りしめる。

(眼鏡をかけて女顔もごまかした。男らしく、堂々と、高校生活は絶対に硬派に生きる。よし!)

 胸を張って勢いよく、前方に見える寮の玄関を見据えた。その時——。

(あれっ?)

 視界の端にちらっと人影が映った。
 寮の敷地内なのだから、俺の他に人がいるのは当然だし、今日は新入生の入寮日なので、同じ時間帯に到着が被るのも当たり前だ。
 そうわかっていても、違和感を覚えて、思わずそちらをふり返ってしまったのは、俺と同じブレザーの制服を着た二つの人影が、あまりにも近く重なっていたように見えたからだった。

 見てしまってすぐに後悔した。
 大きな桜の木の下で向き合って立つ二人は、一人はかすかに背伸びをして顔を上向け、一人はその上に覆いかぶさるようにして少し顔を斜めにし、今にも唇を重ねるところだった。

(うわあああっ!)

 とっさに口を両手で塞ぎ、叫びは心の中だけに留めたので、こちらに背を向けている方の人物には気づかれなかった。
 けれどこちらを向いている背の高い男の方は、じたばたする俺の気配を感じてしまったのか、すっとこちらへ視線を向けた。

 明るい髪色の、よく整った目鼻立ちをした、すごいイケメンだった。
 目の前の男にキスしかけた体勢のまま、目線だけをふっと柔らかくして、目だけで俺に笑いかける。

(————!)

 心臓がバクッと大きく跳ねて、口から飛び出るかと思った。
 人の情事を盗み見てしまった恥ずかしさと、長い睫毛に縁取られた切れ長の目の有り得ない色っぽさに、心音はどんどん大きくなるし、火が点いたように頬が熱くなる。
 あたふたと足踏みする俺に、柔らかく笑んだままの瞳が、すっと寮の入口の方へ向けられ、そちらへ移動することを促されたような気がした。

(そっ、そうか! そうだよな!)

 気づかなかったふりをして、何事もなかったかのようにこの場を立ち去ればいいのだと、ようやく考えが至り、俺はそれを速やかに実行に移そうとする。
 冷静にスマートに——。

 けれど、全く上手くいかなかった。
 足がもつれてその場に尻もちをつき、その音に気がついた、こちらへ背を向けていた方の人物がふり返る気配を察知する。

(うわああああっ!)

 はずみで落ちてしまった伊達メガネを急いで拾い、俺は脱兎のごとくその場から逃げ出した。

「あははははっ」

 その姿を見て、声を上げて笑っているのは、俺としっかり目が合った長身イケメンの方なのだろうなと、全力で寮の玄関まで走りながら思った。