会場は大通りに面したビルの2階だった。
 エントランスに到着すると、お姉さんが立っていた。

 「おはようございます。工藤さま、ですね。ご案内を担当いたします、畑中(はたなか)と申します。よろしくお願いいたします。」

 「こちらこそ、よろしくお願いします。」

 挨拶をするパパに隠れながら、螺旋階段を登る。

 「心さまはこちらへ、お父さまはこちらへご案内いたします。」

 私は右に、パパは左に案内され、パパとは別れることになった。
 この団体では多様な「グリーフ」へのケアを担っているようで、今日は親を亡くした「子ども」と、配偶者を亡くした40〜50代が対象の日だった。

 「あー、疲れちった。オレ、本当に行かないと、ダメ?」

 「承知いたしました。では、プレイルームでお母さまをお待ちしましょう。」

 別れた途端にグリーフケアへの参加を取りやめる子も少なくないようだった。
 会場の部屋は教室よりも広めの会議室で、正面には黒板がある。真ん中に椅子取りゲームのように椅子が内側を向いた円形に並べられている。座っているのは2人。4席空いているうちの1席に案内された。

 「こんにちは。私、光(ひかり)。もしかして高校生? ですか?」

 「はい。2年生です。」

 右の隣の隣に座っていた女の子に声をかけられた。取ってつけたような「ですか?」に少しイラッとする。

 「へぇ、うち3年生なの。どこ高?」

 「八高(はちこう)です。」

 「マジ!? うちも〜。『全員に案内してる』って本当だったんだ。」

 年下とわかると彼女から完全に敬語が抜け、馴れ馴れしく話しかけてくる。
 彼女はグリーフケアに乗り気ではなかったようだが、学校から「親と死別した全員に案内している」と聞かされ、しぶしぶここにやってきたらしい。

 「たしかにお母さんは死んじゃったけど、居なくなったわけじゃないし、なんか病気疑われてるみたいで、ねぇ。」

 「そうだったんですね。」

 こっちがその「病気」の手前まで行って、まさに命からがらここまでやって来たというのに、まったくデリカシーのない人だった。適当な相槌で誤魔化している間に席が埋まり、黒板の前の席に畑中さんが座った。

 「みなさん、お待たせしました。土曜日B枠のこころのつどいを始めたいと思います。」

 この団体ではグリーフケアを「こころのつどい」と呼んでいる。部屋が2つあり、今日はもう一方のA枠が大人向けのケアになっている。

 「本日は、親を亡くした高校生までの方がお集まりです。話し、共有することで悲しみを分かち合うことが目標です。もちろん聞くだけでも結構です。話してこころを落ち着けることも、聞いてこころを落ち着けることも、どちらも立派な悲しみの乗り越え方です。そうは言ってもいきなりは話しづらいでしょうから、まずは私から。」

 畑中さんは「お姉さん」という感じ。年齢でいうと30歳にはなっていなさそうな、まだ若い人だが、すでにご両親を亡くされているそうだ。突然の事故で、別れの言葉もなく、亡くなってしまったらしい。

 「最初は一人娘である私にしかできない、死後の手続きに没頭しました。お葬式や役場、銀行の手続き。そして警察、裁判への対応。」

 彼女は淡々と事実を並べていくが、死別を経験している私には、その時の身体の状態が自分ごとに感じられる。鼻の奥がツンとして、喉から何かが出そうで。かと思えば絶対に落としてはいけない雫を目に蓄えている。

 「ふっと忙しさが去ると、悲しみがやってくるのです。最初こそ大泣きして『私、悲しんでる』って感じがあったのですが、だんだん流す涙もなくなるんですよ。そして悲しむのとは違う、別のこと、私で言えば恋愛にのめり込むようになりました。」

 ただ、恋愛もそうはうまくいかず、振られたことをきっかけに精神疾患を発病。精神科にかかると喪失のケアが最優先という診断が出たそうだ。

 「裁判などでもやり取りしていた、同じ事故で家族を亡くした方と、このお話し会に参加して、少しづつではありましたが、だんだんと受け入れられてきている自分がいます。」

 参加者の誰もが彼女の喪失体験に、静かにうなずいていた。

 「受け入れる過程には個人差がありますし、速さも人それぞれです。みなさん違う道で受け入れていくものなのです。今日はみなさん、今自分がどこにいるのか、お話ししてみませんか?」

 しばらく沈黙が流れる。「話してみよう」と言われても、喪失経験を話すのは、まして子どもが話すのは、辛いものがある。でも、そんな経験を畑中さんが包み隠さず話してくれたからには、何か言わなくてはと思っても、一歩踏み出せない。

 「はい。」

 「では、小泉(こいずみ)さん。お願いします。」

 沈黙を破ったのは光だった。そして、光の話が終わったら、私も話そうと、心に決めたのだ。

 「小泉光(こいずみひかり)です。八高の3年生。夏休み前にお母さんを亡くしました。」

 彼女もママを亡くしているらしい。しかも同じく病気で。私は病気の告知から最後の入院まで付き添っていたが、彼女は何も知らされていなかったそうだ。

 「知らなかったから、死ぬまで普通でいられたけど、やっぱりいやでした。もっとしてあげられたことあるんじゃないかとか、もっと話聞きたかったとか。」

 目の前で弱っていくママを見ていても、そういう思いはある。プリンのレシピもドーナツの揚げ時間も、聞いていない。まだ作ってくれると思っていたから。

 「お母さんはもう居ないけど、居なかったことにはしたくないから、毎日、話して(・・・)います。今は私がご飯作ってるんでレシピの相談とか、お兄ちゃんの愚痴とか。」

 そう。ママは居なかったわけじゃない。ちゃんと私の心の中で生き続けていれば、それでいいのかもしれない。

 「学校の先生とかパパには『明るすぎ!』って心配されてるみたいなんですけど、でもこれが私の乗り越え方かなって思っています。」

 「ななも! ななはパパがいなくなっちゃったんだけど、悲しんでたらママが悲しむから、元気にしてるの。でも『元気すぎるね』ってばあばとか言うから困ってる。」

 ななちゃんという最年少の、椅子に座ると足が床につかないくらい小さな女の子が割って入る。それに続いてパパを亡くした子、悲しいのに明るく振る舞ってしまう子の告白が続いた。

 ーー私も光さんと同じく、母を病気で亡くしました。病気と知ってから5年ほどあったのに心の準備はできなくて…。いや、そんな想像するなんて不謹慎でしょ。

 何度も何度も自分の状況を話す原稿を頭の中に書いては消しての繰り返し。結局私だけ話せないまま、今日の会は終わりになった。

 「本日はこれで終了となります。また参加のご希望がございましたらご予約をお願いします。グリーフケアに終わりはありません。何度でもいつまでも来ていただいて構いません。」

 畑中さんが最後の挨拶をする間も、次に参加したらどう話そうか、原稿を書いている。

 「悲しみの乗り越え方は正解がいくつもあります。話すことも聞くことも、立派な乗り越え方です。どうか優劣をつけたり、ご自分を卑下なさいませんようお願いいたします。」

 また原稿を消したところで、畑中さんと目があった気がした。同時開催だった親の会も終わると、ななちゃんはじめ年少組は、続々と親に連れられて帰って行った。

 「ねえ、心ちゃん。今日、満足できた?」

 「え?」

 「いや、ずっと聞き役だったからさ。」

 どさくさに紛れて光が肩をつついてくる。素直にうんと言えない自分がいやだった。光の言う通りなのに、それを認めるのが嫌だった。

 「ああ、聞いて満たされるってこともあるけど、なんか、うちの話一生懸命聞いててくれたからさ。」

 彼女はスマホを手に持ってさらに近づいてきた。

 「心ちゃん、ライン教えてもらえる? あ! ちょっとって感じならエアドロでもいいんだけど。あ、iPhone?」

 「はい。」

 カバンの中からiPhoneを取り出すと、「ちょっと貸して〜」と、スマホの操作をし始めた。

 「お母さんの名前は?」

 「工藤恵(めぐみ)。」

 「ちなみに電話番号とかって…。」

 「いや、それは…。」

 彼女は「あ〜ごめんごめん」と軽く謝ったフリをしながら、操作を続ける。

 「よし、これでオッケー! 番号は自分で入れてみてね。うち、これでお母さんと話して(・・・)るんだ。高校生なの心ちゃんだけっぽいから、内緒で教えるね! 心ちゃんもお母さんと話したくなったら開いてみて! じゃあまたね。」

 彼女は私のiPhoneに彼女の連絡先と謎のURLを残して去って行った。