私はよく夢をみる方だ。
「ただいま。」
「おかえり。」
心臓がドクンと強く鼓動する。
「ママ、どうしたの?」
「あれ? 聞いてなかった? 一時帰宅なの。」
キッチンに立つママは、さも当然かのようにドーナツを揚げている。
「一時帰宅って、病気は? もういいの?」
「うん。まあね。」
ママは菜箸を持った右手で器用にピースサインを作って見せる。白くて、細くて、洗剤やけしている手。抗がん剤のむくみは無さそうだ。
「ドーナツ作ってるの?」
ママはにっこり答えるが、私と目を合わせてくれない。ドーナツなんて、私が小学生の頃以来だ。
「ミスドじゃなくていいの?」
「うん。どうしても食べてもらいたくて。」
「なんで? いつでも食べられるじゃない。」
笑いながら食卓につくと、目の前にママが座っていた。できあがった、砂糖たっぷりのドーナツも目の前だ。
「いただきまーす。おいしー!」
「よかった。」
小学生の頃は皿いっぱい食べていたのに、1つ食べただけでもうお腹いっぱいだ。
「もう一度、心の『おいしー!』聞きたかったの。」
「え?」
「じゃあ、行くね。」
ママはそのまま玄関に歩いて行った。
「待って! 『行く』って、どこ?」
ママの手を引こうとしても、腕が重くて上がらない。
「待って! 行かないで!!」
そこで目が覚めた。
スマホで時刻を確認すると、もう日付は9月になっていた。2学期から学校に行き始めて1週間ほど。今日は定期通院でお休みの日だった。
「血液検査、異常なしですね。では、これで精神科は卒業ということでいいと思います。」
「本当にいいんですか?」
「ええ。工藤さんの場合はもとから服薬が必要なレベルではありませんでしたし、当初の不安であった睡眠、栄養、そして学校への登校も元通り。僕ができることはもうありません。」
当初から担当してくれているパパ世代の男のお医者さんは、画面上のカルテに打ち込みながら淡々と説明した。
「でも私、いまだに夢でうなされるんです。今日もママがいなくなっちゃって『行かないで!』って言って目覚めました。」
「そうですか。」
お医者さんは一瞬こちらを見て聞く素振りをしたが、やはり画面のカルテに夢中だ。
「これって、本当に病気じゃないんですか?」
「そうですねぇ…。」
お医者さんは考えている風にマウスを人差し指でトントン叩いて、こちらに椅子を回した。
「病気ではありませんが、普通でもありません。もう2ヶ月ほど経ちますが、まだ2ヶ月。『大切な人を亡くしたばかり』と言って、差し支えありません。」
言い切るとまた画面のカルテに向き直る。
「じゃあ、どうしたら…。」
しばらくキーボードをパチパチたたく音だけが響いていた。
「私が出せるのは、これくらいでしょうか。薬ではありませんが、どうぞ。」
画面の奥にあったプリントの山から、1枚のチラシを取って渡された。
「グリーフ、ケア?」
「はい。大切な方を亡くし、深い悲しみの中にいる人たちが悲しみを共有する場です。」
「そんなのあるんですか?」
「はい。経験者と共有したくても、高校生で親を亡くされてる方は少ないでしょうし、ご家族であっても悲しみの感じ方、立ち直り方は人それぞれで、抱え込むしかない場合も多いでしょう。」
たしかに。うんうんと首を振る。
「悲しみというのは薬では治りません。そこを埋めてくれる団体だと思いますよ。今日で卒業ですが、また気になることがあればいらしてください。」
「どうだった、どうだった?」
診察室の前で待っていたパパは合格発表でも聞くかのように、期待と不安を抱いた目をしている。
「今日で卒業だって。」
「おお! よかったな!」
「あと、これもらった。」
「グリーフケア?」
緑色の水彩画が描かれた、光沢あるチラシに眉間にシワを寄せた四角いパパの顔が映る。
「薬では治せないけど、ここなら少し軽くなるかもって。」
「じゃあ行く。」
「え?」
「パパも、行く。グリーフケア。」
「ただいま。」
「おかえり。」
心臓がドクンと強く鼓動する。
「ママ、どうしたの?」
「あれ? 聞いてなかった? 一時帰宅なの。」
キッチンに立つママは、さも当然かのようにドーナツを揚げている。
「一時帰宅って、病気は? もういいの?」
「うん。まあね。」
ママは菜箸を持った右手で器用にピースサインを作って見せる。白くて、細くて、洗剤やけしている手。抗がん剤のむくみは無さそうだ。
「ドーナツ作ってるの?」
ママはにっこり答えるが、私と目を合わせてくれない。ドーナツなんて、私が小学生の頃以来だ。
「ミスドじゃなくていいの?」
「うん。どうしても食べてもらいたくて。」
「なんで? いつでも食べられるじゃない。」
笑いながら食卓につくと、目の前にママが座っていた。できあがった、砂糖たっぷりのドーナツも目の前だ。
「いただきまーす。おいしー!」
「よかった。」
小学生の頃は皿いっぱい食べていたのに、1つ食べただけでもうお腹いっぱいだ。
「もう一度、心の『おいしー!』聞きたかったの。」
「え?」
「じゃあ、行くね。」
ママはそのまま玄関に歩いて行った。
「待って! 『行く』って、どこ?」
ママの手を引こうとしても、腕が重くて上がらない。
「待って! 行かないで!!」
そこで目が覚めた。
スマホで時刻を確認すると、もう日付は9月になっていた。2学期から学校に行き始めて1週間ほど。今日は定期通院でお休みの日だった。
「血液検査、異常なしですね。では、これで精神科は卒業ということでいいと思います。」
「本当にいいんですか?」
「ええ。工藤さんの場合はもとから服薬が必要なレベルではありませんでしたし、当初の不安であった睡眠、栄養、そして学校への登校も元通り。僕ができることはもうありません。」
当初から担当してくれているパパ世代の男のお医者さんは、画面上のカルテに打ち込みながら淡々と説明した。
「でも私、いまだに夢でうなされるんです。今日もママがいなくなっちゃって『行かないで!』って言って目覚めました。」
「そうですか。」
お医者さんは一瞬こちらを見て聞く素振りをしたが、やはり画面のカルテに夢中だ。
「これって、本当に病気じゃないんですか?」
「そうですねぇ…。」
お医者さんは考えている風にマウスを人差し指でトントン叩いて、こちらに椅子を回した。
「病気ではありませんが、普通でもありません。もう2ヶ月ほど経ちますが、まだ2ヶ月。『大切な人を亡くしたばかり』と言って、差し支えありません。」
言い切るとまた画面のカルテに向き直る。
「じゃあ、どうしたら…。」
しばらくキーボードをパチパチたたく音だけが響いていた。
「私が出せるのは、これくらいでしょうか。薬ではありませんが、どうぞ。」
画面の奥にあったプリントの山から、1枚のチラシを取って渡された。
「グリーフ、ケア?」
「はい。大切な方を亡くし、深い悲しみの中にいる人たちが悲しみを共有する場です。」
「そんなのあるんですか?」
「はい。経験者と共有したくても、高校生で親を亡くされてる方は少ないでしょうし、ご家族であっても悲しみの感じ方、立ち直り方は人それぞれで、抱え込むしかない場合も多いでしょう。」
たしかに。うんうんと首を振る。
「悲しみというのは薬では治りません。そこを埋めてくれる団体だと思いますよ。今日で卒業ですが、また気になることがあればいらしてください。」
「どうだった、どうだった?」
診察室の前で待っていたパパは合格発表でも聞くかのように、期待と不安を抱いた目をしている。
「今日で卒業だって。」
「おお! よかったな!」
「あと、これもらった。」
「グリーフケア?」
緑色の水彩画が描かれた、光沢あるチラシに眉間にシワを寄せた四角いパパの顔が映る。
「薬では治せないけど、ここなら少し軽くなるかもって。」
「じゃあ行く。」
「え?」
「パパも、行く。グリーフケア。」



