私はよく夢を見るほうだ。
 キッチンにママが立っている。

 「おはよ。」

 「おはよう。」

 ママの声は、いくつになっても落ち着く声。大好きな声。

 「おやつ、プリン作りたくて、作ってあるよ。」

 「本当! やったあ!」

 くるっとその場で一回転。プリンを手作りしてくれるのなんて、幼稚園以来。

 「これなら食べれる?」

 ダイニングの真ん中に丸皿に入った杏仁豆腐が出される。丸皿は小学5年生の頃、母の日にプレゼントしたセトモノだ。杏仁豆腐は、今の私が一番好きなもの。

 「え! なんで知ってるの?」

 「だって、ママだもん。」

 「なんで? プリンが作りたかったんじゃないの?」

 ママはいつの間にか、イタズラな笑みでソファに横になっている。

 「心はママのプリンセスだから。心が食べたいもの作るんだぁ。」

 あぁ。夢だった。
 ママが夢に出てくると、なんとなく悲しくなっていたけど、今のはそうでもない。私が好きなものを作ってくれる、いつものママに会えて、満たされた気持ち。
 入院してまだ2日も経っていないけど、身体が満たされていくのがわかる。薬のおかげか、夜にまとまって眠ることができた。ご飯はまだ喉を通らないけど、点滴でみずみずしい栄養が身体に取り込まれていくのがわかる。

 コンコン。

 「はーい。」

 入院前に背中をさすってくれた看護師さんが来た。

 「ちょっとお父さんがお話ししたいって言ってるんだけど、できるかな?」

 「でも、スマホ…。」

 スマホは入院の時にナースセンターのロッカーに預けたはず。療養に専念するため、また不測の事態防止のため、持ち込める私物は制限がある。

 「今だけ特別に返すね。電話始まったら終わるまで外で待ってるから、終わったら教えてね。」

 看護師さんは用意していた私のスマホをテーブルに載せると、パパに電話をかけるまで画面を注視していた。ラインの未読が3桁超えているのが気になったけど、とてもそれどころではない。最短距離でパパに電話をかけると、看護師さんと示し合わせていたのか、ワンコールで出た。

 「心、用件だけですまないけど、先生から相談があって、誰にどこまで状況話していいかってことなんだけど…。」

 もっと具体的に言うと、親友で旧友の夢花(ゆめか)にどこまで先生から話していいのか、ということだそうだ。ママの病気のことは誰にも話していなかったから、いまだにクラスのみんなもママが亡くなったことは知らない。
 もちろん一番大切な夢花も。

 「心配かけたくない。」

 「それもわかるけど、言わないことで夢花ちゃんも悩んでいるみたいで、むしろ言ってしまったほうがスッキリするんじゃないか?」

 「って先生が言ってたの?」

 「いや、これはパパの意見。」

 食い気味で否定され、結局、夢花にもクラスのみんなにも伝えられることになった。ただ、夢花にはショックが大きいだろうから、と、クラスで伝える前にパパが夢花のお家の方に連絡して、お家の方から伝えてもらうことにした。

 「じゃあ先生に連絡先聞いて、絶対伝えておくから。またな。」

 パパは私の様子には一切触れず、用件だけ済ませて電話を切った。「無理に元気にならなくてもいい」という優しさなのだろうか。

 「終わりました。」

 「はーい。」看護師さんが入ってきて、約束通りスマホを再び預けることになった。

 「ちょっと聞こえたんだけど、心配なこととか、ある?」

 「私、悲劇のヒロインにはなりたくないんです。」

 高校2年生で母親を亡くした。原因は遺伝性の乳がん。いずれ私も辿る道を見せられて、まともな人はいないだろう。だってこんな状況なんだから。
 こんな状況に負けたくなくて、ずっと1人で抱えていたけど、それも限界でここにいる。こんな姿はママに見せられない。

 「そこも伝えていいんじゃないかな? こういう状況だけど、今まで通り接してくださいって。」

 「いいんですか? 私今までこういう経験なくて、欠席とか成績とか、ピンチになったことなくて。」

 看護師さんはゆっくり大きく首を縦に振る。

 「心ちゃんの全部が悲劇になったわけじゃない。『それは一部だから、前から続いている、今までの私を見てください』って言っていいんだよ。何人も精神科の患者さん見てきたけど、そう思う。だって本当に一部なんだもん。」

 「本当に一部なんだもん」が頭の中でこだまして、熱を放っていた血流がさっと頭からひいていく。

 「すみません、パパにラインしていいですか?」

 看護師さんは画面を見ているという条件付きで、もう一度スマホを持たせてくれた。

 「ふぅ。」

 「なんかいい顔してるね。」

 スマホを渡しながら、何を言うでもなく、微笑みあっていた。

 「コレは、あれだね、あれ。」

 「あれって…?」

 看護師さんはど忘れしたように人差し指を立てて振っている。全く検討がつかず、私の眉間にはどんどんシワが寄ってきた。

 「そう! 心ちゃんになる、物語!」

 「私になる?」

 「うん! 悲劇のヒロインじゃなく、本当の心ちゃんを取り戻すの。まずは身体、そして心。それから学校かな?」

 看護師さんは1人で盛り上がり、スキップしながらナースセンターに戻っていった。