その日私は、喫茶店で紅茶を飲んでいた。
店内はお洒落なジャズが流れていて、コーヒーの香りで満ちていた。
目の前にはスーツを着た年上の男の人がいて、私はその男の人の話を聞きながら、美味しいショートケーキを食べていた。
なにを話していたかはよく覚えていないけれど、男性はすごく嬉しそうだった。
私なんかと話して、楽しかったのかな……?
男性は腕時計を見ると、立ち上がる。そうして私の手をぎゅっと握って出て行った。
私の手には、数枚のお金が握らされていた。
「ただいま……」
私が莉音の家に帰ると、莉音はいじっていたスマホから顔を上げ、私を玄関まで出迎えてくれた。
「心春! おかえり! どうだった?」
莉音に聞かれて、私は答えに窮する。
「どうって……。だた一緒にお茶しただけなんだけど、でも、なんでか向こうは嬉しそうで。それでこれ……」
莉音に今日男性から貰ったお金を差し出す。
「わあお! すごい金額! 心春、大分気に入られたんじゃないの~?」
「そう、なのかな?」
どうしてこんな金額が貰えたのか、私にはよく分からなかった。
莉音に紹介されて、ただお喋りしただけなのに。
知らない人からお金って貰ってもいいのかな?
そんな単純な疑問が脳裏を過る。
私、間違ったことはしてないよね? 大丈夫だよね?
私の不安を吹き飛ばすように、莉音は明るく言う。
「心春のおかげで、もっと楽しく過ごせるよ! ありがとう~!」
莉音がぎゅっと抱き着いてくる。
「大袈裟だなぁ……」
莉音が喜んでいる姿を見て、私も同じように嬉しくなった。
やっぱり私の居場所はここなんだ。
ここにいるのが正解なんだ。
莉音といると、そう強く思えた。
それから数日、私は何度か同じように男の人とお茶をした。
本当に美味しい紅茶とケーキを食べて、お喋りするだけの時間。
それだけのことなのに、男の人達は満足そうに笑うのだ。
まるで私がいてくれてよかった、って言うみたいに。
少しだけ家族や学校のことを思い出して辛くなる日もあった。
でもそういう時はすぐに莉音が精神安定剤をくれて、優しく寄り添ってくれた。
そんな日々が続くと、私は次第に、家族や学校のことを考えなくなっていった。
ここが私の居場所、ここが正解。
やっと、やっと辿り着いた。
ここが十七年間、追い求めていた場所だ。
そう、思っていたのに……。
「じゃあ、またね」
「はい」
私はその日も、男の人とお茶をして、最後にお金を貰っていた。
そうして広場から帰ろうと思った矢先、私の腕が思い切り掴まれた。
「えっ……?」
驚愕に目を見開く私の目の前にいたのは、制服姿の湊だった。
「みな、と……?」
「心春!」
湊の顔を見た途端、私の脳内に学校での出来事や家での出来事が一気に溢れ出す。
学校で無視されいじめられていたこと。両親から暴力を振るわれ怯えていたこと。湊に話したくても、恥ずかしい自分を知られるのが怖くてなにも言えなかったこと。
「今までどこに行ってたんだよ!? こんなところでなにしてる!? 今の男は誰だ? まさか危ない目に遭ったりしてないよな? 大丈夫か!?」
「あ、あ……」
私はパニックに陥る。
どうして? どうしてここに湊が? 私を探しにきた? 誰に言われて? お父さん? お母さん? それとも学校の先生?
どうしようどうしよう……! 私は、どうしたらいい??
「心春っ!」
もう大分聞き馴れた莉音の声がして、私は温かな腕に抱きしめられる。
「大丈夫?」
「莉音……っ」
莉音は私を庇うようにキッと湊を睨み付けた。
「あんた、誰? 心春に触らないで」
「お前こそ誰だよ。俺は心春の幼なじみで、ずっと心春を探してたんだ。帰ろう、心春」
湊が私に手を差し伸べる。その手を莉音が容赦なく払い落した。
「心春はあんたのところへなんか行かない。私と一緒にいるの!」
「心春、こんなところにいちゃだめだ! 早く俺と帰ろう!」
「心春はここにいたいの! 私といるでしょ? 心春! 私といるのが正解なんだよ!」
二人の声が遠く聞こえる。
私はどうしたらいいか分からなかった。
私の居場所はどっち? どっちが正解?
「心春!」
「心春!」
私を必要としてくれている人がいるところが、私の居場所?
湊も莉音も、私を必要としてくれてる。
私は、どっちを選ぶのが正解なの?
唇が震え、喉に詰まって言葉が出てこない。
私は、どうしたら……。
私が答えを出せないでいると、湊が「……ごめん」と言って、一歩下がった。
「え……?」
不意をつかれ、私と莉音は同じように目を丸くして湊を見る。
「心春、ごめん。俺は心春がどんな気持ちで過ごしてたか、全然知らなかった。学校でいじめられていたこと、家族と上手くいっていなかったこと。心春がいなくなって初めて、俺はそれらを知った」
どくんと自分の脈が忙しなく動くのを感じる。
知られた……、湊に知られてしまった……。
けれど湊は、私を責めることはなかった。
「心春が辛い時、傍にいてやれなくてごめん。幼なじみ失格だ」
「そんなこと……」
湊は顔を上げると、私の目を力強く見つめて言った。
「心春。俺はお前に帰ってきてほしい。だけど、決めるのは俺じゃない。最後に決めるのは、心春自身だ」
湊の言葉が、ぐさっと胸に刺さる。
私は、どこに行けばいい? どこにいるのが正解?
学校には行きたくない、家にも帰りたくない。
莉音と一緒にいる時間は楽しかった。一緒にご飯を作って、一緒にアイスを食べて、ただ広場でお喋りするだけのことが本当に楽しかった。莉音には何度も救われた。
居場所のない私に、ここにいていいんだって、一緒にいよう、って居場所をくれた。
でも。
私はこのままでいいの……?
学校からも、家からも逃げて、私はこのまま、莉音に甘えて生きていくの?
私はいつかの教室から見た、空を思い出す。
真っ青な空に白い雲が所在なげにぷかぷかと浮いていて、薄くなって溶けて消えてしまった。
広場から見る高い空には、たくさんの雲が流れていた。
分厚い雲は、きっと消えることなく、遠くへ行けるだろう。
私も、そんなふうになりたかった。
あの雲みたいに、どこへでも自由に。自分の足で歩きたかった。
私の居場所はどこにあるのか。
それはまだ分からない。
十七歳の私には、正解なんて分からない。
だけど……。
「……私、……ちゃんと自分で選んでみたい……」
誰かに決められて、それを享受するんじゃなくて、自分で、自分の正解を見つけたい。
私の言葉に、湊は微笑んだ。
「正解なんて、俺にだって分からない。だけど、今度は一緒に悩ませてほしい。心春は一人じゃない」
「うん……!」
私は湊の手を取る。
同時に、私に寄り添ってくれていた莉音が、一歩だけ遠ざかった。
振り返れば、莉音は寂しそうに表情を歪めていた。
いつも明るく笑っていた莉音のこんな顔を見るのは、初めてだった。
「……莉音、今までありがとう」



