莉音の家で生活させてもらってから、一週間が経った。
その間も、お父さんお母さんから連絡はなかったし、莉音のご家族が帰ってくることも一度もなかった。
また一週間が過ぎる頃には、私はすっかり広場に集まる子達とも話せるようになっていて、仲の良い友達のような子達もできた。
莉音と共に広場に顔を出せば、「こはるーん」なんて呼ばれて、声を掛けてくれる子もいた。
私はそれがすごく嬉しかった。
家にも学校にも居場所のなかった私。
ここが、私がいるべき本当の居場所だったんだって、そう思えた。
私がいてもいい場所。私を受け入れてくれる場所。
私はようやく見つけたんだ、自分の居場所を。
そう思い始めていた、とある日。事件は起こった。
その日は仲良くなった結愛と陽菜と、四人で莉音の家でお菓子パーティーをすることになっていた。
私達はうきうきしながら部屋を片付けて、二人を待っていた。
そうして約束の時間より少し遅れてやって来た結愛と陽菜を見て、私達は目を見開いた。
「結愛、どうしたの!?」
私と莉音は、玄関先に立つ結愛に駆け寄る。結愛は、私より二つしたの十五歳の女の子だ。
その結愛の顔が、真っ青に腫れ上がっていたのだ。
泣きじゃくる結愛を支えていた陽菜が、代わりに説明してくれる。
「結愛、両親に叩かれたって……」
「叩かれた……?」
そんな言葉じゃ言い表せないくらい、結愛の顔は酷かった。まるでボクサーに殴られたみたいな。
私の脳裏に、お父さんとお母さんから叩かれたときの記憶が蘇る。
きゅっと喉がしまって、うまく息が吸えなかった。
「とにかく、ここ座って!」
莉音と陽菜に支えられながら、結愛はゆっくりと腰を下ろした。
「あ、痣! 冷やしたほうがいいよね」
私は慌てて冷蔵庫からケーキについてきた保冷剤を取り出し、ハンカチに包んで結愛の頬に当てた。
涙でぐしゃぐしゃに濡れた顔に、紫色の痣が痛々しかった。
「結愛の両親、マジで酷すぎ……信じられないっ」
陽菜は机をどんと叩いて、怒りを顕にする。
陽菜は広場でも比較的お姉さんの十九歳。情に厚くて頼れる姉御肌の女の子だ。
私達は年齢はバラバラだけれど、どこか境遇は似ていて、いつしか四人で集まるのが一番心地よくなっていた。
今日だってすごく楽しみにしていたのに、どうしてこんなことに……。
結愛が嗚咽を漏らしながら、必死に言葉を紡ぐ。
「……っ、最悪っ、もうやだっ……! 家になんて帰りたくないっ……」
私と陽菜は、結愛の背中を優しく撫でる。
結愛の気持ちが痛いほど分かって、自分のことのように苦しかった。
莉音は立ち上がると、化粧台の前に置かれていた薬箱を持って、結愛の前に座った。
「結愛っ! もうそんなに泣かないのっ! 嫌なことはさっさと忘れよ!」
莉音は薬箱から薬を取り出すと、結愛に差し出す。
「莉音、それは?」
私が訊くと、莉音は言う。
「精神安定剤だよ。飲むと気分が楽になるから」
私は莉音の手に握られた薬をまじまじと見てしまう。その様子を見てか、莉音がからからと笑う。
「大丈夫! これ普通に薬局とかで売ってる市販の薬だから! 変なやつじゃないよ~」
莉音は結愛の手にその薬をばらばらと握らせる。その数は二錠や三錠ではなく、かなり多い数だったように見えた。
「結愛、もう大丈夫だよ」
莉音は優しく言って、結愛の頭を撫でた。
結愛はこくんと頷くと、口の中にざらざらと薬を放り込んだ。
一瞬見えた結愛の舌は、何故か真っ青に染まっているように見えた。
大丈夫かな……。
結愛の様子を見守っていると、すぐに薬が効いてきたのか、結愛は落ち着きを取り戻した。表情から苦痛の色が消え、さっきよりも楽そうに見える。
「……気分、良くなったかも……」
結愛の呟きに、私達はようやくほっと胸を撫で下ろした。
「よかった~!! 私も飲もうかな!」
莉音の言葉に、私は目を丸くする。
すると陽菜も、「あ、じゃああたしも飲む~」と言って手を挙げた。
戸惑う私に、莉音はいつもの明るい笑顔で言った。
「心春も飲むっしょ?」
「え、で、でも私……」
「大丈夫! ただ気持ちが楽になるだけだから! 心配ないよ~、麻薬とかドラッグとかじゃない、ちゃんとした薬だし!」
「それは、そうだけど……」
「そんなに心配なら、見てて。私が先に飲むから」
そう言って莉音は薬をパキパキとブリスターパックから大量に取り出し、一気に口に放り込んだ。
机に置かれた水を一気にあおる。
「ぷはぁ~、なんか心が穏やかになった気がする~」
「ほい、心春もどうぞ~」と言われ、私の手にばらばらと数錠の薬が置かれる。
莉音も結愛も陽菜も、さっきみたいに感情を昂らせることはなく、穏やかに微笑んでいる。
みんな、薬のおかげで落ち着いたのかな……?
みんなが飲んでるなら、きっと大丈夫だよね。
私もみんなと同じように数錠の薬を口の中に放り込んだ。それを一気に水で流し込む。
なんとなくふわっと心が軽くなる感じがして、私はほっとする。
「ね? なんか楽になるでしょ?」
莉音の言葉に、「うん、そうかも」と私も頷く。
それからは予定通りみんなでお菓子パーティーをした。
薬が効いていたのか、みんな嫌なことはさっさと忘れて、お喋りに夢中になった。
私もさっきまでの苦しい気持ちはなかったみたいに、その夜はみんなとの時間を楽しんだ。
けれど翌日はそうはいかなかった。
昨日はみんなで遊べてあんなに楽しかったのに、今日は何故だかすごく不安な気持ちでいっぱいだった。
なにかがあったわけじゃない。ただ漠然とした不安が私の心に満ちていた。
家にも、学校にも居場所のない私。
私はこの先、どこに行ったらいいの?
もう何度も考えたそれが、私の心を占める。
私の様子に気が付いた莉音が、優しく背中を擦ってくれた。
「心春? 大丈夫? 気分悪い?」
「莉音……っ!」
気が付けば私は、莉音に抱き着いていた。
「おーよしよし、どうしたん?」
「私、不安で……。家にも学校にも、この世界のどこにも私の居場所はないんじゃないかって……。誰も私を必要としていないんじゃないかって……」
莉音は私の背中を優しく撫で続けてくれる。
「ありゃ……薬切れちゃったかな……? 心春、これ飲みな。落ち着くから」
そういって莉音から渡されたのは、昨日とは違う市販薬。
「ありがとう……」
私は莉音の言う通り薬をごくんと喉の奥に流し込む。
気分が楽になる。莉音といると、私はここにいていいんだって思える。
「大丈夫、大丈夫……。心春の居場所はここにあるよ。ゆっくりおやすみ」
莉音の甘く優しい声が耳元で響いて、私はなにも考えられずにそのまま目を閉じた。
夢を見た。
それはいつの頃だったか、湊とまだ普通に話して、普通に遊んでいたときの記憶。
あの頃は楽しかったな……。
私は私が恥ずかしくて、勝手に湊から距離を取ってしまった。
いじめられているなんて、恥ずかしい。
家族と不仲だなんて、恥ずかしい。
恥ずかしい自分を見られたくなかった。
でも、またいつか、昔みたいに話せたら……。
ふと目を開けると、部屋は真っ暗だった。莉音の姿もない。
「莉音……?」
どこに行ってしまったのだろう?
莉音の家で過ごすようになってから、こんなことは一度もなかった。
私はまた少し不安になる。
このまま莉音が帰って来なかったらどうしよう?
私はまた独りになるの? せっかく見つけたかもしれない、私の居場所なのに……。
布団から飛び起き、莉音を探しに行こうと立ち上がる。
すると、玄関からガチャッと音がして、莉音が帰ってきた。
「莉音! どこに行ってたの?」
私はぱたぱたと莉音に駆け寄る。
莉音は相変わらずへらりと笑った。
「ああ、ごめんごめん。心配した? ただちょっと薬の調達に行ってただけだよ~」
「薬、買いに行ってたの?」
「まぁ、そんなとこ! 結構薬って高いじゃん? 買うの大変なんだよ~」
確かに、薬局で見る薬はそれ相応の値段がする。私達のような高校生がぽんぽん買えるようなものではない気がする。
「私が、貰っちゃったから……」
「んーん、いいのいいの~」
莉音はそう言っていつも笑ってくれる。
けれど、住まわせてもらって、ご飯まで食べさせてもらっているのに、莉音の大事な常備薬まで貰ってしまった。
こんなによくしてくれる莉音に、私ができることはないのかな。
「莉音、私にできることはない?」
「え?」
「私、莉音にお世話になってばっかりだもん。私も、莉音の役に立ちたいよ」
私の言葉に、莉音は迷いながらも「じゃあ」と口にする。
「心春、少しだけ、手伝ってもらえるかな?」



