恋するヤンキーに憑かれた王子は、カエルになりたい!





十月も終わりに近づき、季節はすっかり秋になっていた。

平普神社の楓も銀杏も、葉先から少しずつ色を変え始めている。

蛙さまの首には、いつの間にかえんじ色の毛糸のマフラーが巻かれていた。かわいくはない。

夜ご飯を食べ、風呂に入り、すっかりほかほかになった七穂は、ベッドに寝転がりながらスマホのカメラロールを見ていた。

九月にあった柔道大会の写真だった。

巌男がやっていた道場は正式に若山が引き継いでいて、鷹矢はその道場の名を背負って出場した。

応援に行ってもいいか七穂が訊くと、鷹矢は「じゃあ頑張らねーとな」と笑っていた。

朝から橘家総出で応援に行った。慣れない会場にドキドキして、初めは家族で寄り添って見ていたが、鷹矢が勝ち進むたびにどんどん興奮してきて、大声は出さないまでも、前のめりになっていった。

準決勝あたりで、七穂は緊張のためトイレで吐いた。緊張とか期待とかもっといろんなものを背負って戦える鷹矢を心からすごいと思いながら、また吐いた。それでも、ちゃんと試合は見た。

正直、詳しいルールは分からなかった。けれど、優勝を決めた内股は、素人目にも分かるほど綺麗だった。

拍手と歓声が上がる中、橘家も抱き合い一つになって大感激した。

感動と安堵で目が潤んで、前が見えなくなりそうだった。ちゃんと撮影しないと、と思ってカメラを向けると、ちら、と遠くの鷹矢がこちらを見た気がした。けれど、鷹矢はふいと目を逸らした。

(か、)

七穂の胸が最上級に高鳴った時、

「かっこいい~~!!!!」

父母妹祖父が横から声を合わせて言った。

「俺より先に言うなよ!」

そう言った声がムービーに残っていて、何度見ても恥ずかしい。


メダルとトロフィーを持つ姿、家で開いた祝賀会の様子、疲れてぐうぐう眠っているところ。そんな写真を見て眠るのが日課になっていた。

大きな大会が終わっても次の大会があるし、優勝者がいるということで門下生も増え、鷹矢は忙しく過ごしていた。

ちびっこ教室も、子供たちがずいぶん増えた。七穂も何度か見学させてもらった。

柔道は、礼に始まり礼に終わる、というだけあって、道場の中では鷹矢も子供たちに毅然と接していた。けれど一歩外へ出れば、おんぶだ肩車だ戦いごっこだと、途端に群がられていた。その場の全員かわいい、と七穂は思った。

「道場に活気があって、巌男さんもきっと大喜びしてますね」

道場からの帰り道、つい頬を緩めて言うと、

「だといいな」

と鷹矢も笑った。


(うん。忙しいのはいいことだけど……)

部屋の照明もスマホの画面も消して、窓から漏れるわずかな明かりの中、目を閉じる。

なかなかゆっくり会う時間がないのが難点だった。

「七穂が強引に引き止めたのだから」と、明美は鷹矢の夜ご飯を当然のように準備したし、鷹矢もよく食べに来た。食べられない日があっても、次の日誰かが食べるから、問題はなかった。

学校では学年も違うので、思うようには会えない。それでも時折、昼休みに明美の作った弁当を持って屋上で一緒に食べた。

友人たちはたいそう驚いていたけれど、もう気にしないことにした。へらりと受け流すのが得意でよかったと思う日がくるとは、思ってもみなかった。

何もかもを人に話したり、理解してもらったりできなくても、もう悲しいだけではなかった。

そんなふうに、学校では昼休みに顔を合わせ、それ以外に時間が合えば専ら橘家で過ごしていた。

それでもたまに、二人きりになれる余裕のある時には、鷹矢の家に行った。

(そろそろゆっくり会いたいけどなぁ〜)

と、七穂がまぶたの裏を見ながら思った時だった。

ベッドの上に、何かがいる。

物音はしなかった。マットレスが沈んだわけでもない。

それでも、そばにいると分かってしまった。

「え」

いつかと同じ感覚に、七穂は目を開けた。

鷹矢がいた。

両手をベッドにつき、すぐ上から七穂を覗き込んでいる。

「え!?」

触れようと腕を伸ばすと、伸ばした手は鷹矢の体をすり抜けた。

「出たぁあ!?」

あまりにも久しぶりで、七穂は叫びそうになって口を押さえた。

両想いになって、遠慮なく連絡を入れたり電話をしたりしているせいか、生き霊は来なくなっていたというのに──。

「久しぶりすぎる、っていうか、これは……」

鷹矢は覆い被さるように七穂と距離をつめた。

七穂が見つめると、目が合ったようになった。見つめ合っている、と言っていいのか、七穂にも分からなかった。

やがて、鷹矢の唇が降りてきて──すり抜ける。

「ちょっと!」

押し除けようとしても無駄だ。体を起こした鷹矢は、腰同士を密着させるような体勢になった。

「待て待て待て」

七穂はスマホを握り、すぐさま履歴を開いて通話ボタンを押した。

何回か呼び出し音があってから、

「はい」

と鷹矢が電話に出た。寝てました、というような気だるげな声だった。

「先輩、今、俺のこと考えてましたよねぇ!?」

声を押さえつつ、問い詰める。その瞬間、生き霊がふっと消えた。

鷹矢は意味が分からないようで、しばらくじっと黙っていた。七穂も黙っていた。自分で考えてほしかった。

静寂、のち──

「まさか……」

はっとしたように鷹矢が言った。

「そのまさかですよ」

と七穂も呆れて言った。

そのあと、鷹矢が何も言わなくなってしまったので、

「明日、夜空けといてくださいね?」

七穂は低い声で言った。

「さすがにこれは、説教ですからね」

返事を待たず、通話終了ボタンを押した。



翌日。夜。

「ぬわぁあ!」

玄関を開けた瞬間、七穂は大声を出した。

「変な声出すな」

居間に続く襖が開いて、鷹矢が怪訝そうに顔を出した。

「入ってすぐのところにこんなん飾らないでくださいよ。心臓に悪い」

七穂は靴を脱ぎながら、下駄箱の上に視線をやった。まだどきどきしている。

そこには、平普神社の蛙のぬいぐるみが四体置いてあった。座布団バージョン、ハグバージョン、今秋新発売の蛙さま涅槃像ポーズを合わせた四体だ。

「ご利益あったから」

鷹矢は笑ってから、部屋に引っ込んだ。

「先輩ご飯は?」

「食った」

おっけー、と七穂は鍋を抱えたまま台所へ行った。

「なんだ、それ」

座ったまま、鷹矢は七穂の方を見た。

「ふっふっふ……」

冷蔵庫に鍋をしまいながら、

「おでんですよ!」

得意げに答える。

「おお」

感嘆の声が返ってくる。夏に食べようと言っていて、結局今になってしまったけれど、

「朝からお母さんと仕込んだんですよ。ホタテも入れましたぜぃ。明日の朝飯に食いましょう」

ぱたん、と冷蔵庫を閉じながら言った。

「朝って……」

鷹矢が小さくつぶやいたので、七穂はゆっくり振り向いた。

じっと見つめると、鷹矢は座り直して、正座になった。

「昨日は悪かった」

ぺこ、と頭を下げた。本当に申し訳なさそうな表情をしている。

「どっちに謝ってます? 考えたこと? 生き霊飛ばしたこと?」

「……どっちも?」

渋い顔で鷹矢が首を捻っているので、七穂も畳の上に座る。今日は、白地の柄Tシャツに、緩いグレーのスウェットという気の抜けた格好で来た。

「まぁいいですよ。ってか前にもありましたし」

「ま、前にも……?」

「はい。なんかその時はすぐ消えたんですけどね。あれはなんだったんですか」

「なんだったんですかと言われても……」

「途中で考えるのやめたとか? 罪悪感わいちゃった系?」

「……」

自覚があるのかないのか、鷹矢は何も言わなかった。ただ「すまん」とでもいうように、手を合わせた。
七穂も、これ以上考えるのはやめた。

視線をそらすと、茶卓の陰にいくつかの本と見慣れない雑誌があった。七穂はそれを拾い上げる。

「これって」

映画館に行った時に撮った街頭スナップが載っているかもしれない雑誌だった。

「載ってました?」

そのページの角が折れていたので、ページをめくって探す必要はなかった。写真が結構大きく載っていたので、七穂は「げ」ともらした。普段のもうちょっとおしゃれな時に撮ってほしかった。

ぱら、と他のページをめくりながら、

「先輩ってさぁ」

つぶやく。

「こういうところ、すげーむっつりですよね」

はっきり言うと、鷹矢は飲んでいたお茶を吹き出しかけた。

「……は?」

動揺で目がわずかに泳いでいる。

「こそこそじゃん、昨日もってか、ずっと。生き霊出るほどめっっっっちゃ考えるわりに、顔にも態度にも出さないっていうか」

「めっちゃ」のところにすごく力を込めると、鷹矢は額を押さえた。

「まぁ……否定はしないというか、できない、か」

苦しそうに言う。

「それに、したいならしたいって、言ってもらえませんか」

七穂はあぐらをかいた膝に肘をつき、頬杖をついた。

鷹矢が顔を伏せたまま、動かなくなった。

二人きりになれば、キスくらいはする。体に触れることもある。健康な男子高校生なので、ちゃんと不健全している。

ただ、それだけでなんとなく満足してしまって、その先へ進んだことはなかった。

「したい、とは、……」

鷹矢が言う。

「えっちですよぉ」

さらりと答えると、鷹矢はさらに深く俯いた。

「したくないならいいですけどね?」

生き霊まで飛ばしてきているので、したくないわけはないのだが、意地悪をしてみる。

「無理にとは──」

「俺は」

遮るように鷹矢が言う。

「抱きたいんだが、いいのか」

言われて、七穂は笑顔を崩さないよう頑張った。

(この野郎~~~)

内心では、盛大に悪態をつく。

こちらは恥ずかしいから、わざわざ軽く「えっち」と言っているのに、そんな真正面から恥ずかしい言い方をしよって! 七穂は口元を引き攣らせた。

赤くなりながら、それでも明るく、

「そこは、じゃんけんにしませんか!」

試しに言うと、

「え」

と言って、鷹矢は拒むように両手をそっと背中に隠した。嫌なんかーい、と心の中でつぶやいたが、鷹矢のその正直な様子がおかしくて、

「冗談です。いいですよ、俺がそっちで」

と、なるべく普通に言った。

「どうせ先輩、優しくしてくれるだろうし……そこは任せます」

どうしても耳は熱くなった。

「まぁどうせ俺は寝技じゃ敵いませんからねえ!?」

「寝技って言うなよ」

ふざけると、鷹矢が笑ってくれる。

「……じゃあ、」

七穂はまつ毛を伏せて、しちゃいますか、と小さく言って、首の裏を掻いた。

「あ。でも俺、なんの用意してねーわ」

鷹矢がはたと思い出したように言った。

「ぬかってますなぁ?」

七穂は得意げに言って、持ってきた鞄を開いた。必要なものは買ってきてある。中身を見せると、鷹矢がまじまじと覗き込んだ。

「お前、これどういう顔で買うんだ?」

「? 普通に、その辺の薬局でしれ~っと」

「ふ。なんか男らしいな」

鷹矢が笑う。

七穂はそれには答えずに、おもむろに着ているTシャツの裾に手をかけた。そして、ぐいっと一度に脱いだ。

「はい。男なんで。ってか男ですけど、いいんですよね? やわこいとかないですよ?」

腕の筋肉を見せてみる。鷹矢ほどではないが、ある程度ついているつもりだ。小・中と水泳を習っていたので、肩幅もわりとあると自負している。どこからどう見ても、女の子の代わりになる体ではなかった。

鷹矢は何も言わなかった。

代わりに、自分もTシャツの裾を掴んで、頭から脱いだ。

それで十分、返事になっている気がして、七穂は鷹矢の手に触れた。


結局、いざ事が始まっても「そこはくすぐったすぎて無理です」とか「なんも感じね~~~」とか「そこはちょっと、クるかも」とか、いちいち口にしてしまって、いつもの調子だった。

「もしかして、俺うるさいですか」

キスの合間に訊く。首に回した腕は解かない。

「いや?」

鷹矢がくすりと笑う。

「黙りますね」

「無理すんな」

口をきゅっと引き結ぶと、鷹矢は優しく目を細めた。

「分かりやすくていい」

そのあとも、やっぱり優しくしてくれた。

やがて、鷹矢が力を抜いて、七穂の上に体を預けてきた。

「重い……」

と七穂は言った。鷹矢がすぐに離れようとしたので、咄嗟に背中に腕を回して止める。

「違う。重いのがいいから、……どかないで」

ぎゅっと体重をかけられると、肺が苦しい。

そして、どうしてだか胸の奥までぎゅっとなる。

「もっとぺっちゃんこにして」

言うと、鷹矢はほとんど重力に逆らわず、さらに体を寄せてきた。

それから七穂の耳元で、

「七穂」

と呼んだ。

橘家で「橘」と呼ぶたび家族全員が振り返るボケをするので、最近はすっかり名前呼びになっている。

「先輩」

と呼ぶと、

「俺にも名前あるぞ」

とちょっと不服そうに言われる。

「いや、『先輩』呼び、えっちなんでやめたくないです」

笑って言うと、

「それは……ちょっと分かる」

と、のしかかったまま鷹矢も笑った。その振動が直に伝わってきて、あー、今こんなに近いんだなぁ、と改めて感じる。

「そのうち、ちゃんと呼びますね」

本当は恥ずかしいだけ、などとは、言えない唇を──

鷹矢の唇が塞いだ。