千歳くんは俺を甘やかしたいらしい




「……待って!」

 もう大丈夫だと思った。

「センパイ!」

 もうここに来ても、きっとキミはいないと。そう思ってた。

「お願いだから逃げないで……!」

 だってあの日からもう1ヶ月が経とうとしているのに、まだここにいるなんてそんなこと思うわけないじゃんか……!

「……っ、つかまえ、た!!」
「やだ、離して!」
「嫌だ。離さない。もう絶対に離したくない」
「っ、」

 なんでそんなこと言うんだよ。なんで俺なんかを追ってくるんだよ。もう分かんないよ、千歳くんが何を考えてるのか。

 ……分からない。でも、背中に感じる体温だけは君のものだって分かる。
 何も分からない。でも、回されて俺を抱きしめる腕の強さが君のものだって事は分かる。
 いつの間にか覚えてしまった君の体温と力強さが、今はひどく懐かしく、早く忘れてしまいたいのに愛おしいと思ってしまう。

「ごめん、お願いだから逃げないで。お願い」

 何のごめんなのか分からない。だからこそ苦しい。

「お願い。話を聞いてほしい」

 話を聞いてこの苦しみから解放されるとは思えない。だからこそ苦しい。

「もう俺の顔なんて見たくないかもしれないけど……それでも避けないで……」

 ……どうして君が、そんなに苦しそうな声を出すんだよ。苦しいのは俺の方なのに。

「それとももう、俺の顔なんか見たくないくらい嫌いになった? キスしたこと、気持ち悪いって思った……?」
「っ! なんで!?」

 感情が溢れる。これまで必死に抑えこんできた感情が、堰を切ったように溢れ出す。

「なんで君がそんなこと言うの!? なんで追いかけて来るの!? キスだって、間違えたって言ってたじゃん!」

 こんなに感情を顕にしたのはきっとたぶん初めてだ。だからもう自分が何を言っているか分からない。ただ感情が溢れるがままに吐き出しているこんなのは、言葉じゃない。

 瞬間。さっきまで背中に感じていた温もりを正面に感じる。
 さっきまで感じていた体が覚えている力強さを、今度は背中に感じる。
 ……いや、違う。今までよりもずっと熱く、ずっと強い力で俺は抱きしめられている。これまでに一度も感じたことのない強さで。

「っ、なんで……」
「間違えたって言ったのは、順番のことです!」
「え……? じゅん、ばん……?」
「本当は先に言うべきことがあったんです。なのにあの時気持ちが先走り過ぎて……だから間違えた(・・・・)って。あー、えっと、でもそれは決して他の人と先輩を間違えたわけではなくて……! いや、違うな、今はこんなことが言いたいんじゃなくて……」

 こんなに感情を露にする千歳くんを見るのも初めてだ。
 普段言葉を詰まらせているところをあまり見たことがない彼が、言葉を詰まらせながら必死に自分の感情を紡いでいる。
 それだけでなんだか、もうじゅうぶ────

「好きです」
「え……?」
「ずっと、センパイが好きでした」
「え、え? 好き……? 誰が、誰を……?」
「俺が、朔センパイをです。ずっと好きでした。高校だって、センパイを追いかけて来るぐらいには俺は先輩しかずっと見てないです。……ねぇ、センパイ。俺、はじめまして(・・・・・・)じゃないよ」
「え……?」

 どういうこと……? 追いかけてきた……? だって俺たちはまだ出会ってからそんなに経ってないはずで……なのに、…………訳が分からない

「センパイは覚えてないと思うんですけど、2年前に俺、センパイと会ってるんです」
「2年前……?」
「……あの頃の俺は怪我で大好きだったバスケが出来なくなってすげぇ荒れてて。うまくいかない苦しみを周りに八つ当たりして紛らわしてたんです。そんな荒れ方してたせいで友達は離れて行ったし、俺も俺で誰かと一緒になんて居たくなかったから別に一人になってもそんなことどうでもよくて。……要は全部諦めてたんです。人生ごと、全部」

 落ち着いたクールな印象の男の子。
 でも本当は優しくて温かくて。だからこそ、荒れていたと話す彼の過去をうまく想像ができない。

「でもどんなに荒れても、八つ当たりして酷いことを言っても律だけはずっと側にいてくれて、律だけが俺を叱ってくれました。そして、アイツのおかげで朔センパイにも出会いました。……覚えて、ないですか? 金髪の生意気な……酷い言葉をセンパイにぶつけた最低な奴を」

 金髪の、男の子……?

「あ……」
「ふっ、思い出しました?」
「あの子、千歳くんだったの……? あ、だからあの時、陽のことも知ってたんだ」

 少し前に千歳くんが陽の名前を出して、『あー……、前に律の写真で?』と少し誤魔化すように口にした時のことを思い出し、あの時の引っ掛かりが今更ながら意外な形で解決してしまったことに、少し驚く。

 それに、一年と少し前。律が家へ連れてきた金髪の、酷く苦しそうな表情をした男の子のことを俺は今でもまだハッキリと鮮明に覚えてる。
 あの頃は双子もまだ幼くて今以上に手がかかって大変で。俺も高校に入ったばかりで慣れない生活を送っていたのに、律も三男の陽もわがままばかりで正直家は荒れ放題だった。
 それでも今以上に、日に日に何か新しいことが出来るようになる双子の成長を間近で見られることは幸せだったし、律や陽もやんちゃだけどどんどん男の子らしくなってお兄ちゃんになっていく姿を見られるのは嬉しかった。

 そんな時だった、律が初めて友達を家に連れてきたのは。
 初めはヤンキーみたいな金髪の見た目や言動に驚いたけど、自分の心を必死に守るための行動なんだとすぐに気付いた。
 何があったのかは詳しくは知らない。でも、律が悪いヤツじゃないと言って、大事な友達だと紹介してくれた。どんなに酷い言葉を投げ付けられようとも、律のその言葉だけで彼を受け入れるには十分だった。
 でも、だからこそ。中学生という多感な時期の不安定さを心配に思った。
 あれから顔を見る事はなくなって、どうしてるかなって思ってはいたけれど……

 ゆっくりと離れた体。でも不安気に指先だけは繋がったまま、揺れる瞳も不安を浮かべながら伺うように俺の瞳を捉えて離さない。

「まさかこんなにかっこいい男の子になってるなんて、思わないじゃんね」
「俺、かっこいいですか……?」
「うん。すごく、とても」
「……そっか。センパイにそう思ってもらえたら、それだけで十分です。……俺、ずっと謝りたかったから」

 繋がれた指先に、きゅっと力が籠められる。

「あの時は家族のために自分を犠牲にしている先輩が不自由に見えて、それで偽善者だとか、他にもいろいろ酷いことを言っちゃって。でもそのあとすぐセンパイの傷ついてるのに無理して笑って俺なんかの言葉をそうだねって受け止めた姿を見て間違えたって気づいたんです」
「あー、でもそれはあながち間違いじゃなかったから」
「そんなことない! あの時、好きなことができない中でも幸せを見つけて自分はそれだけで幸せだと口にしたセンパイが俺には眩しくて憧れて……、だからこそ余計に自分の幼稚さが無性に恥ずかしくなった」
「そんな事、初めて言われた……。でも、千歳くんは幼稚なんかじゃないよ。自分なりに自分の心を守ってたんだから立派だよ。だから過去の自分をそんな風に言わないであげて。ね?」
「やっぱり、朔センパイは何にも変わんないや。……そんな先輩に守られてる律や陽、双子たちが羨ましいと思うと同時に、じゃあ先輩のことは誰が守るんだろうって思った。長男だからって一人で頑張るセンパイを見て、俺が守ってあげたいと思った」

 守ってあげたい。そんな風に思われるのもきっと初めてだ。
 今まで弟たちを守ることに必死で、自分は長男だから仕方ないって甘えてなんていられないって、ずっとそう思ってた。
 特に双子たちは少し目を離したら命に関わることがいとも簡単に、ほんの一瞬出来事として起きてしまうから気を抜くことなんてできなかったし、泣き言なんて言っている暇もなかった。

 だからこそあの日、千歳くんに俺の情けない姿を見られたときは終わったって思った。
 でも、千歳くんはそんな情けない俺も丸ごと受け入れてくれて抱きしめてくれた。

「……もうずっと前から俺は千歳くんに守られてたんだなって、ようやく今気が付いた。……気づくのが遅くなってごめんね」

 俺がそういうと、千歳くんは少しだけ瞳に涙を浮かべた。そして少しだけ寂しそうに笑顔を浮かべる。

「守れてたらよかったんですけど。結局すげぇガキみたいにセンパイに抱き着いていた男に嫉妬してセンパイを困らせた挙句、順番間違えてキスまでして。そんでセンパイを傷つけて悲しませたんで。あまりに重罪、情状酌量ナシのマジで有罪」

 なんて、珍しく少し落ち込んだ表情を見せる千歳くんがなんだかしょぼんとした大型犬のようで可愛く見える。

 いつもは千歳くんから伸ばしてくれるから今日は俺の番と言わんばかりに手を伸ばし、千歳くんの後頭部と背中に腕を回しぎゅっと引き寄せる。

「っ、センパイ……?」

 弱々しい声も、その全部が愛おしい。

「判決を言い渡します。あなたは無罪です。だからこれからも安心して春瀬朔の傍にいること」
「……俺、これからもセンパイの傍にいてもいいの? だって俺、センパイのこと好きだよ? 恋愛として好きで、付き合いたいって思ってる。傍にいたらきっとまた嫉妬するし、俺だけのセンパイでいてほしいって、俺だけが特別でいたいって言うよ? そんなの重くない?」
「ふっ、なにそれ。めっちゃ愛じゃん!」

 この子は本当、どれだけ自分に自信がないんだろう。こんなにもかっこよくて、可愛くて愛おしいのに。

「千歳くん、俺も君が好きだよ」
「っ、」

千歳くんの優しい体温が好き。

優しい話し方も好き。

甘いものが好きなところも可愛くて好き。

俺の恥ずかしいところも全部受け止めてくれたところが好き。

拗ねると気まずそうに視線を逸らすところも好き。

時々甘えてくるところも好き。

ぎゅっと抱きしめてくれる力強さが好き。

真っすぐに思いを伝えてくれるところが好き。

来るかもわからない俺のことを、ずっと二人だけの秘密のこの場所で待っていてくれた君が好き。

「……普段はクールでかっこいいのに、俺の前だけではいろんな顔を見せてくれるところが好き」

 その真っ赤に染まった顔を見れるのもきっと俺だけだと思うと、愛おしさが何百倍にも膨れ上がる。

「千歳くんの好きなところ挙げ出したらキリがないや」
「まだまだ、足りないです。もっとください」
「ふはっ、わがままだなぁ」
「わがままな俺は嫌いですか?」
「……それはズルい。好きだよ。千歳くんの全部が好き」
「俺も、朔センパイの全部が好きです。だから付き合ってください」

 前にも言ったけど、今までもこれからも俺が甘やかされたいのは千歳くん、君だけだよ。
 だからこれからも俺を甘やかしてほしいし、時々は俺にも君を甘やかさせてほしいな。……なんて、ね。

「もちろん。よろしくね、千歳くん」