千歳くんは俺を甘やかしたいらしい




「あれ、朔センパイ? どうしたの? 律に用事?」
「千歳くん!」

 3限目と4限目の間の短い放課の時間を使い、急いで1年の教室へとやってきた。……のは良かったが、1年と2年ではネクタイの色も上履きも色が違うため変に目立ち、あまりにもアウェイな空気に中々教室の中にいるであろう律に声をかける勇気が出ずおろおろしていたところで救世主の登場。
 まさに救世主(ヒーロー)と言わんばかりに、内心両手を上げて泣いて喜ぶ。

「体操着忘れちゃって。律に借りようと思ったんだけど、律呼んでもらってもいいかな?」
「朔センパイが忘れ物なんて珍しいね。そういうのは律の役目だと思ってた」
「そんなことないよ。意外と律の方がしっかりしてる時もあるし」
「へぇ。いいじゃん、そういう先輩も可愛いよ」
「っ、か、かわ……っ!? もう! すぐ先輩を揶揄(からか)わないの!」
「別に揶揄ってなんかないって」

 最近の千歳くんは何かあるとすぐに可愛い(・・・)と言ってくる。それはまるで挨拶か口癖のように。こんなどこにでもいるような平凡な男が可愛いわけがないのに。
 でも……少しだけ、揶揄う時に決まって少しだけ口角を上げて綻ぶ千歳くんの表情が見えることが嬉しいと思う自分もいる。
 何度か遠くから友人達に囲まれている彼の姿を見たことがあるけれど、その時は少しだけ近寄りがたい雰囲気があった。
 類は友を呼ぶとはよくいったもので、彼の友人はみんなもれなく一軍男子で。俺なんか絶対に近づいてはいけない聖域の様な眩しい光を放っているけれど、近寄りがたいのは決してそれだけが原因ではなくて。
 なんていうか、誰も寄せ付けないような、誰にでも一線引いて距離を取っているような。心の隙を見せないというか。表情をあまり変えずにどこか冷たさを感じるクールな表情を浮かべている千歳くんは俺が知っている千歳くんとは少し違って見えた。
 だからこそ、俺を見つけるとそのクールな表情が綻ぶ瞬間が俺にとってはなんだか特別に思えて、千歳くんの色々な表情が見える瞬間が嬉しいと思ってしまう。

「センパイ、お待たせ」
「あ、ありが、と……? あれ? 律は?」
「ん? 呼んでないよ?」
「え?」

 ニコっと笑顔でそう答えながらコテン、と首を可愛く傾けた千歳くんにつられるように俺もコテンと首を倒す。

「あは、なにそれ。かーわい」

 なんて口をあけて笑う千歳くんの姿は少し新鮮かもしれない。

「はい、これ。俺の貸してあげる。まだ着てないやつだから安心して好きに使って。半袖も長袖も入ってるから」
「え、いや、でも汗付いちゃうし……」
「いいからいいから。気にしないで。俺が使うの6限だし、お昼の時に返してくれればいいから。ほーら、急がないと遅刻するよ」

 そんな風に言われながら背中を押され今から律を呼んで借りる時間を考えれば、断ることなんか出来なくて。
 ありがとうとお礼を言って早足で更衣室へと向かう。

 ただ、体格差(・・・)なるもののせいで、あまりの不格好さに盛大に笑われることになるなど、この時の俺は少しも考えてなどいなかった。




「ぶっ、あははははははは!!!! なんだそれ、彼シャツかよ!!」

 急いで着替えて校庭にいけば先についていた友人たちと無事チャイムが鳴る前に合流でき一安心。
 と思っていたところで俺の恰好を見た友人が急に噴き出すなり腹を抱えて笑い出す始末。

「そんな笑わなくたっていいじゃん!」
「いや、それは笑うって! だってそれ、(ズボン)なくても余裕じゃん。明らかサイズおかしなことになってんじゃん」
「弟くんに借りたん?」
「あのイケメンの弟な。まじで周りの奴ら含め別次元の人間って感じの」
「いや、弟の友達が貸してくれた」
「弟の友達? なんで? 弟教室にいなかったん?」
「いや、居たんだけど……なんでだろ」
「なんでだろって、朔が分かんねぇなら俺らも分かるわけなくね?」

 なんて、ひーひー言いながら笑うのをやめないどころか、強引に肩を組んできては揶揄うのをやめようとしない友人に「いつまで笑ってんの! 重い! 離れて!」と言いながら強めに一度叩いて引きはがす。

「わ! 朔ちゃんってば、暴力はんたーい!」
「うるさい、もう知らない! って、ちょっと! 追いかけてこないでよ」
「ごめんってぇ、許して? ね? 朔ちゃん大ちゅきだからぁ~」
「うげぇ……ちょっと無理! あっち行ってってば」
「照れ屋なんだから、朔ちゃんってば、もうっ。チューしちゃうぞ?」
「ぶはっ、なにそれ。可愛くないよ」
「え~かわいいでしょ? アタシ、べりべりきゅーとでしょお?」
「ぐふっ……全然可愛くないってば。やめてよそのじゃべり方、お腹痛くなる!」

 つい我慢できなくて噴き出してしまうと、調子に乗った友人は再び俺に抱き着いてきて。さっきよりも強い力で是が非でも離れてやんないという意思を見て、もうそれを引きはがすことすらなんだか面倒に感じた俺は頑張ることを諦める。
 と、そんな俺たちを見た友人は再び腹を抱えて笑っている。

 ……自分が被害に遭ってないからって、許せない。お前たちが被害に遭った時は俺も笑ってやる。

 なんて、友人たちに心の中で不満を吐き捨てその時が来ることを性悪ながらも願いながら、いまだ抱き着くのをやめない友人を呆れたように適当にあしらっていたところでチャイムが鳴り、同時に体育の先生がやってきてようやく無事に俺の体は解放される。
 身軽になった体の自由に喜びつつも、自分よりでかいやつらに抱き着かれることの大変さをしみじみと感じ、まだ体育は始まってもいないのに既に疲れた気分だ。

 ……でも、不思議なんだよなぁ。
 律は家族だし、昔からあぁ(・・)だったからあんまり気にしたことなかったけど、家族以外の誰かに今みたいに抱き着かれて自由に身動きが取れなくなるのは正直あまりいい気分ではない。
 なのに、どうしてだろうか。千歳くんに抱きしめられている時も、背中と頭に回された腕のせいで身動きは取れないけれど最初からいままで一度も嫌だと思ったことはない。

 そりゃあ初めは緊張したし、……今もまだ全然緊張はするけど。でも嫌だって思ったり早く離れたいって思ったことってないんだよなぁ。なんなら離れるとき少し寂しい気持ちになるくらいだ。
 
 体操着だってそう。
 もしこれが千歳くんじゃなかったら、俺はきっと断っていたと思う。でも、そうはしなかった。
 それに千歳くんも……

 と、体操着を貸してくれた時のことを思い出しては、余計に頭を悩ませる。

 ……なんで(・・・)なんて言われても、分かんないもんは分からない。
 あの時確かに教室には律がいた。チラッとしか見えなかったけど、別に忙しそうにしているようでもなく、楽しそうに談笑していた。だからきっと呼ぼうと思えば呼べたはず。
 なのに千歳くんはどうして律を呼ばずに自分の体操着を貸してくれたんだろうか。
 他人の汗が付くって嫌じゃないのかな……?
 今日はそんなに汗をかくような内容でもないし、どちらかというと肌寒いくらいだから大丈夫だとは思うけど、もしこれで運動量の多いスポーツだったら人並みに汗をかいただろう。
 それにたとえ汗をかかなかったとしても、自分が着た後だったらまだしも誰かの使った後の服を着るって、嫌、じゃないのかな?

 ……でも俺は、嫌じゃなかったんだよなぁ。
 抱きしめられることも、千歳くんの体操着を借りることになった時も、むしろうれしい気持ちが(まさ)ってて……
 それこそ千歳くんの匂いに包まれてるみたいでなんだか少し落ち着かなくてそわそわした気持ちになるけど、でも全く、少しも嫌じゃなくて。むしろいい匂いだなって思うしずっと包まれてたいって思うほどだ。

 ……でも冷静になってふと思う。ハグってやっぱり、普通はしないよな、って。
 あの時千歳くんは律だってするって言ったけど、律はどこまでいっても家族で。
 だけど千歳くんは……そもそも俺たちの関係って何なんだろうか。
 友達? ……いや、なんか違う気がする。
 先輩後輩? そうだけど、そうじゃないっていうか。
 じゃあ、弟の友人? ぶっちゃけ先輩後輩なんかよりもそれが一番しっくりくる。実際事実だし。でも、それだけじゃ、なんだか物足りない気もしてて……。
 なんていうか、違うのは分かってる。分かっててあえて言うんだけど、今の俺たちの関係ってなんだか、恋人(・・)みたい、だよな……。
 2人きりでこそこそ隠れて密会して、その日あったことやたわいもない会話をして、抱きしめられて、頭を撫でてもらって、偉いね、頑張ったねって褒められて……。
 いや、違うのは分かってる! それは百も承知で! あんなイケメンが俺のことそういう目で見てくれてるわけないし! そもそも男同士だし!!
 でも……あんな甘い声で優しくされたら勘違いもしちゃうよ……。

「あーー、もう。最悪。顔熱すぎ……」

 小さく呟いた言葉は、誰の耳にも届くことなく静かに空気に溶けてなくなる。

 きっと友達の兄貴の恥ずかしいところを見てしまった罪悪感とか、困ってたから人助けとか。そんなところだよな。
 だって千歳くんってめちゃくちゃ優しいし。怒った姿とか全然想像つかないし。かっこよくて優しくてまさに聖人君子って感じだし────