君だけを〜大正七夕恋物語〜

それからというもの、環は神社に足しげく通った。

ひょっとしたら、神社の管理人に外されてしまうかもしれないと思っての事だった。おみくじの中に短冊など異質だからだ。

もしくは風で飛んでしまうかも。雨で濡れてしまい文字が読めなくなるかも。など、気がかりが膨らんで行った。

幸いなことに、短冊は撤去されることはなく、環は神社で存在を確認するたびホッとした。

それでも気候というものは容赦なく、短冊は初夏の日差しのきつさから色あせ始めた。文字も読みづらくなってきた。

環は、思案の末に新たな短冊を結びつけることにした。

そして、短冊が傷めば新しいものに差し替えるという作業が始また。

書き直すたび、短冊には同じ四文字をしたためる。

──ご無事で。

誰に頼まれた訳でもない。ただ、短冊が傷んでしまえば、願い事も叶わなくなりそうな気がしたから。

こうして、季節は移り変わり、気がつけば冬を迎えた──。

今日も、女学校の帰りに環は神社に立ち寄っている。

昨夜は雨が降った。短冊は大丈夫かと気になったからだ。

空は重苦しく、鉛色の雲が広がっている。もう一雨来るのかもしれない。

環は白い息を吐きながら、石段を昇ると、おみくじ掛けへ向かった。

短冊は、雨に濡れてくたびれていた。文字も流れて読めない。

「やっぱり、傷んでしまったのね。新しいものに取り替えないと」

環は、用意していた短冊を鞄から取り出した。

かじかむ手で、こよりを結び新たな短冊を取り付ける。

「できた……」

真新しい短冊を眺めるとなぜか心が落ち着いた。もちろんこれにも同じ願いが書かれてある。

環は短冊へ手を合わせた。

それにしても、名前も知らない相手、一度きりの出会いにどうしてここまでこだわるのだろう。

──出兵するのです。

あの言葉が忘れられなかった。

最後に見た、青年の敬礼姿と笑顔が環に蘇る。

そうだ。あの笑顔を失いたくないと思ったからだ。

環は、ぎゅっと目を閉じる。今更ながら自分の本心を知ってしまい居心地が悪くなる。

それでも、青年の無事を祈らずにはいられない──。

「……君が……それを?」

咎めるわけでもなく、責めるわけでもない、驚いたような声がした。

環は、はっとして声の主を確かめた。

短冊を撤去するようにとのお咎めだろうか。

そこには、着物に外套《インバネス》を羽織った男がいた。

「あの、こ、これは……」

環はとっさに言い訳を考える。

どう見てもおみくじと短冊は不釣り合いだ。そもそもおみくじ掛けに短冊を結びつけるのが間違っているのだから。

「いや、驚いたな。こんな偶然があるのだね」

男は、環を咎めるどころか、気安く声をかけてくる。

「え?」

「……忘れましたよね?」

微笑みかけてくる男に、環も気がつく。

少し照れながら笑む男は、確かに環を助けてくれたあの青年だった。

「……お戻りだったのですね」

「ええ、不甲斐なくもこの様な形で……」

言う青年は、杖をついている。片足を庇うようにして。

「負傷しましてね。武運を立てることは叶わなかった……情けない話です」

自虐気味に笑い、青年は環から一瞬視線をそらした。

「そ、そんなことは!お戻りに、こうしてお戻りになられただけで良いのです!」

──どうかご武運を。

別れ際、青年へかけた言葉が環の心を締め付けた。

そんなもの。命があったらそれで良い。再び帰ってこられたらそれで良いのに……。

「……おっと」

青年が、よろけた。

「危ない!」

とっさに環は駆け寄って、青年の腕を取る。

「ありがとう。まだ杖に慣れなくてね。ああ、今度は私が助けてもらった」

柔らかな青年の声色が、環の心を溶かす。

「あの!ずっとお待ちしてました!」

青年を支える手に力が入る。

「え?」

「い、いえ、その、そう!人力車のお代をお返ししなければと思って!」

「あ、ああ、気になさらなくても良かったのに……」

ひゅうと、風が吹きすさぶ。

二人共とっさに小さくなった。

「冷えてきましたね。お戻りになられたほうが良いでしょう。……人力車を拾いましょう。日が暮れて来ている。早くお家についた方が良い」

「……でも、またお手数をおかけしてしまいますもの。どうか心配しないでください」

「あー、ついでですよ。私は長歩きできませんから。どのみち人力車を拾わなければならない。相乗りということで……一緒に……」

そこまで行って、青年は黙りこくる。

環も、一緒にという言葉をどう受け止めて良いのかと困惑した。

「……雨に振られてもいけない。行きましょう」

青年は、どこか苦し紛れに空を仰ぎ見て言った。

「……お支えします……」

環は、ハッとする。言った言葉は、青年の歩行を補佐するということなのに、それ以上の意味があるかのように聞こえたからだ。

「……お言葉に、甘えても?」

環の気まずさを打ち砕く様に、青年は返してきた。どこか落ち着かない素振りで。

二人とも、顔を伏せてその場の空気を流している。

「……行きましょうか」

青年が口火を切った。

「できればこれからも、一緒にこうして頂けると助かるのですが」

「え?」

青年は少しだけ目を伏せた。

「……ご迷惑でなければ」

一瞬の間。

環は小さく息をのんで、

「……はい」

それだけを答えた。

頬が火照るのがわかった。

コツコツと杖の音がする。ぞろりそろりと青年に合わせながら環が寄り添う。

まだぎこちない二人の後ろ姿が、冬の石段をゆっくりと下って行った。