君だけを〜大正七夕恋物語〜

「環様。家政の試験合格してよかったですわね」

「ええ、願掛けまでしたのよ私!神頼みも結構効くのね」

「まあ!そんなことまで!」

女学校の帰り道、級友の礼子から環は合格の祝福を受けていた。

「ああ礼子様はそんなことしなくても大丈夫だと思うけど」

「そんなことはないわ」と、礼子は小さく笑った。

「じゃあ、私はここで」

丁字路に差し掛かり、礼子は軽く環へ手を振る。

「ごきげんよう。礼子様。また明日」

環も、礼子に手を振り返しその姿を見送った。

「じゃあ、行きますか」

環はあの神社へ向かった。祈願のお陰で無事試験に合格できた。そのお礼参りだ。

同時にあの青年と出会えるのではないかと思っていた。人力車代も返さなければならなかった。ちゃんとお礼の言葉も言えていなかった。

そんなことを考えながら環は神社の石段を昇る。

頬に風がそよいで行く。なぜか苦痛に感じる石段が、心地よくもあった。

昇ればあの青年がいるかもしれないという淡い期待が起こっていた。

果たして──。

境内には、環しかいなかった。

ひょっとしたらは、やはり甘かったかと環は肩を落としたが、手を合わせ、合格できたことへの礼を述べた。

そして、人の気配を待ってみるがやはり誰も来なかった。

(……そうよね。そんな都合の良い話はないわよ……)

自分が期待しすぎていたと環は思いながら踵を返す。が、ふと立ち止まり片隅にあるおみくじ掛けを見た。

引いたおみくじを結びつける場所だ。

ぎっしりと紙片が、結ばれている。意外とこの神社は参拝者が多いのだと思える風景だった。

環は何か思いついたように、おみくじ掛けへ向かった。

「……ここなら、いいかもしれない」

そうつぶやくと、鞄から短冊を取り出した。

今日の授業で書いたものだった。

「……そもそも七夕飾りは、機織りや裁縫の上達を願う行事です。皆さんも願い事を短冊に書いて笹へ結びましょう」

教師の言葉が思い起こされる。

もうすぐ七夕がやって来ると、今日は短冊に願い事を書いたのだった。もちろん、書道の手習いを兼ねての立派な授業だ。

皆、背筋をただして筆を持ち、思いを行書体でしたためる。

──家政の腕が上がりますように。

環は、そう書こうと思っていた。いや、実際そう書いたのだが、何か引っかかった。別の願いがあるようなないような……。そんな思いに襲われて、思い出したのが、あの青年のことだった。

きっと、彼は祈願が途中だったはず。環の鼻緒が切れたために、祈りは中断したはずだ。そんな間合いだった。

──出兵するのです。

青年は無事に戻ってこれるようにと願っていたのだろ。それを邪魔してしまった。そして咄嗟に、誰もが口にするような言葉を返してしまった。

ご武運をと……。

戦地に赴くのだ。どんな心持ちだったのだろう。

そんなことを思いつつ、環の筆は動いていた。

──ご無事で。

皆は、書き終えた短冊を中庭に用意された笹に結びつけた。環も結んだが、あの青年へ向けた短冊は、場違いのような気がして結べなかった。

こうして、そっと持ち帰っていたものを、今、取り出して眺めている。

願いを結びつけるおみくじ掛けになら、この短冊を結んでも良いのではないだろうか。

本来の用途は承知している。しかし他に場所が思い浮かばなかった。そのまま持っているのも気が引けた。短冊は結びつけてこそ願いが叶うような気がしたからだ。

どうぞご無事で──。

何事もなくお勤めを果たせますように──。

環は、願いながらおみくじ掛けに短冊を結びつける。

最後に見た、青年の笑顔と敬礼姿が思い起こされた。