君だけを〜大正七夕恋物語〜

「どうか、どうか家政の試験に合格しますように……」

今日も環《たまき》は、女学校帰りの道すがら、神社に願掛けに来ていた。

梅雨は明け、初夏の兆しがただよっている。

夕刻だというのに昼の熱が冷めやらず蒸す。

石段を昇っただけで、環はじっとりとした汗をかいていた。正直、首元の袷が不快だった。

それでも社殿に手を合わせ、合格を祈っている。

家政担当の教師北川は、ことの外厳しい。裁縫が不得意な環にとってはこうして神頼みをするしかないのだった。

目を閉じて、手を合わせる暇があるならその手を動かして、裁縫の練習をすれば良いとわかっているが、やはり困った時の神頼み。この魅力にどうしても頼ってしまう。

と──。

小さな足音が響いてきた。

誰か参拝者が来たのだろう。

案の定、隣で柏手を打つ音がする。

環は、薄目を開けて伺った。

軍人だ。

軍服姿の青年が静かに手を合わせている。

(まずい!)

環の気が焦る。

人気のない神社で、若い男と並んでいるのは、誤解を受ける。

これでは、二人で参拝に来た様に映るだろう。

偶然隣り合っただけなのに、まるで逢引しているかのようになっている状態に、環は慌てて祈願を切り上げた。

さっと踵を返してその場を離れようとしたところ、体が揺れる。そして、そのまま前のめりに崩れ込む。

「あっ!」

転んでしまう。そう思った瞬間、環の体は支えられていた。

「おっと!大丈夫ですか?」

気がつけば、男の腕の中にいる。

転ぶすんでの所で、男に助けられたのだ。

隣に並ぶどころか、下手をすると抱き合っている様に見える姿に環は更に焦った。

「だ、だ、大丈夫です」

言い捨てて、回されている腕を振り払い踏み出すが、また、環の体は揺れた。

「きゃっ」

小さな叫びを挙げる環の腕を、男が掴んだ。

「危ない!」

かろうじて転ばす体制を整えられたが、環は気付く。

足元を見ると、右の草履の鼻緒が切れていた。

少し緩みがあると感じてはいたが、まさか、切れるとは思ってもいなかった。

「失礼ですが……鼻緒が……」

男も気が付いた様で、環の足元を見ている。

「差し出がましいですが、そのままでは……」

男は、遠慮しながら言った。

確かにこのままでは歩けない。かと言って、草履の鼻緒は、下駄のように簡単には直せない。応急処置ができない状態に、環も困り果ててしまう。

「……これでは、歩けない。お送りしましょう」

「えっ?!」

送ると言われても。見知らぬ男にそこまで行ってもらうのも──。

「人力車をまたせてある。行きましょう」

「で、ですが……」

参拝は、と環は言いかけた。男も何らか祈願に来ている。まだ祈りの途中ではないのか。

そんなことを思っていると、男は環に背を向けてしゃがみこんだ。

「さあ。おぶさってください。そのままでは埒が明かないでしょう?」

石段もあるだろうしと男は最もな事を言ってくれた。

とはいえ、流石に見知らぬ男の背に体を預けるのは抵抗がある。

(そんな、簡単に言われても……)

「遠慮いりませんよ」

男は環の胸の内を読み取ったのか静かに言った。