出番は思っていたよりも早くやってきた。
チヒロの指示どおり、早めにステージ用の服装に着替えておいてよかった。チヒロと私はいつものようにラフなデニムにTシャツ姿で、梨香は、これもやっぱりいつものとおり、胸元を大きく開けたシャツにミニスカートというセクシーな出で立ちだ。梨香はあの衣装でドラムを叩くから、見えそうになるので困ってしまう。
伊知川くんは、黒のスラックスに白のポロシャツで、清潔感があっていい!
「お願いします」
音響のスタッフがステージ脇にいる私たちに声をかけてきた。
私たちの直前でパフォーマンスをする予定だった岐阜大学のダンスサークルが、急遽出演取りやめとなったそうで、私たちは、ステージに慌てて楽器を運ぶ。
今回はアコースティックバージョンの後にいつものエレキの演奏をするから、運び込む楽器がいつもの倍になっていた。
チヒロと私は先にエレキのギターとベースをステージに運んで、ギタースタンドに立てる。梨香はドラムセットを手早く配置し、箱型のカホーンをドラムセットの前に置いた。チヒロがアコースティック・ギターを持ってステージに出てから、私は傷つけないようにゆっくりとウッドベースを運んで、ステージにスタンバイする。
ステージの前は立ち見の観客でいっぱいになっていた。お父さんやお母さんが動画を撮影しようと正面でケータイを持って構えている。人が多すぎて把握できないが、チヒロや梨香、伊知川くんの家族もきっとどこかにいるのだろう。
小柄な女子高生の私が、大きなウッドベースを持っていてギャップがあるせいか、いつもよりも多くの視線を感じる。
センターでマイクの前に立つ伊知川くんは、やっぱり緊張していた。でも、こういう場を重ねて、コンテストまでに慣れてもらうしかない。
いつものステージならもっと後ろにいて、ドラムセットで隔たれている梨香が、今は私の真横のすぐ近くにいて新鮮だ。
小さなカホーンに股を開いて前かがみに座る梨香は、かわいい。伊知川くんの向こう側にいるチヒロもいつもよりも距離が近いから、演奏中に意思疎通がしやすそうだ。
手短にイントロ部分などのリハーサルを済ませると、チヒロが伊知川くん、私、梨香の目を見る。
「やるぞ」というアイコンタクトだ。
そしてチヒロは音響スタッフに手を上げる。そのスタッフは手を前に出した。「演奏を始めてください」という合図、キューだ。
ついに始まる。
「こんにちは。私たちは地元、大垣の高校生バンド、『水都ラベラー』です! 最初はアコースティックバージョンの『イトとイト』を聴いてください」
曲紹介の後、チヒロの激しいカッティングが会場に響きわたり、私のベースが追いかける。
アコースティックバージョンだというのに、テンポは早いから、シンクロさせるのが大変だ。
でも、このイントロ、いい!
俯いて頭でリズムを取る伊知川くんが、口をマイクに向けた。
──ワッと言ってwhat say? 罵倒して bad time
──二人だと喜怒哀楽のリピート and ヘトヘトtired
──カットしたい縁 どう?ひょっとしてthe end?
──ホント? 上等 問答無用 だけど…can’t do it
──ひとりひとりは異なる意図と繋がる糸があり
──言葉を見落とし認め 人は人を知る @(アット) you
──ひと夜ひと夜に人の気持ちはそっと移りゆくから
──もっとキミの瞳に一人のhistory 刻みたい(キザみたい)
──hit songとhotなラジオで繋がるキミは愛しい人
──10年たってこう思う road to you
伊知川くんの声が会場を飲み込む。
緊張しながらもいつも以上に声量があって、今日の伊知川くんはノッてる。
1番が終わった後に観客スペースを見ると、今までに見たこともないほどの人が立ち止まって聴いてくれていた。
500人はいる。すごい! こんなに注目されるのは初めてだ。
間奏で、チヒロのギターソロに入る。
この次は、私のベースソロだ。今日はウッドベースだから音階を外さないか心配だけど、……やってやる。
チヒロは8小節のソロを終えて、私を見た。伊知川くんも私を見ている。
まずはGから。梨香のリズムとシンクロさせて、右手で太い弦を力いっぱい弾く。
このアコースティックの音色がたまらない。
よし、最後の1小節。3連符でG、B、D、Gを、……決まった!
2番に入ると、会場から自然と手拍子が起こる。
ステージと観客が一体になったこの景色、サイコーだ。
──ひとりひとりは異なる意図と繋がる糸があり
──言葉を見落とし認め 人は人を知る @(アット) you
──ひと夜ひと夜に人の気持ちはそっと移りゆくから
──もっとキミの瞳に一人のhistory 刻みたい(キザみたい)
サビの部分を、伊知川くんが繰り返す。
ついに、最後のアウトロだ。
あ、梨香がアドリブのテンポを入れた! それを聴いて、チヒロも負けじとソロでアドリブを入れる。
私も負けられない。
私は思い切り弦を引っ張って、指板に当てた。これは、スラップ奏法と言われるものだ。ロカビリーみたいな音色でカッコいい。
アドリブを詰め込んだ演奏の最後に、伊知川くんがシャウトして、……これも、決まった!
演奏終了後、一瞬、観客スペースは静まりかえる。そしてその後、喝采が私たちを包み込んだ。
ステージに立った人しか分からない、この快感を伊知川くんも知ってしまった。
みんな笑顔のまま、手早く楽器を代える。
梨香はカホーンをどけて、後ろのドラムセットへ。私はエレキベース、チヒロはエレキギターに持ち替えた。
2曲目は『キララ』だ。新曲だから、コンテストに向けて、ここもしっかりとやり切っておきたい。
すべてのスタンバイが整って、演奏に入ろうとする時、ミズキさんがステージにすり寄ってきているのが目に入った。
「伊知川くんを返して!」
ミズキさんは泣き叫んでいる。まずい。伊知川くんはオロオロして、腕で顔を覆った。
チヒロが手を振って、咄嗟に演奏に入るのを止める。
観客がザワつき始め、「何やってんだ!」という酔っ払いのような男性の怒声も聞こえる。
「そこにいては危ないから、後ろに下がって!」
私はミズキさんに叫ぶが、声が届かない。
すると、音響スタッフの一人が、ミズキさんを無理矢理連れて行った。
演奏はできる状態になったが、伊知川くんは動揺してステージの周りをフラフラと動き回っていた。目の焦点も合っていない。
そして、伊知川くんはもたついて梨香のドラムのハイハットに足をかけ、倒してしまう。
ガシャーン!
けたたましい音が響き、ついに伊知川くんはその場にしゃがみ込む。
「伊知川! 伊知川!」
伊知川くんはチヒロの声にも反応できないでいる。
「大丈夫か?」
山下教頭先生が伊知川くんを担いで、ステージを去った。
すべてが一瞬に起こって、私たちは理解が追いつかない。つい今、初めてのアコースティックバージョンを見事にやり抜いて、多くの人たちから喝采を浴びたばかりなのに。伊知川くんのデビューステージの1曲目で、大成功した直後に、こんな地獄が待っているとは。
観客の視線が痛い。
1曲目終わりまで、温かい目で私たちを見てくれていた観客の人たちは、今、豹変して冷ややかな目になっている。
「ステージを降りるぞ」
チヒロは私と梨香に耳打ちした。
「そんな!」と梨香は声を上げる。
「私も悔しいが、ボーカルがいないんだから、ショーは続かない」とチヒロは諭す。
私も悔しい。やり切りたかった。こんな不様な姿をお父さんやお母さんに見せたくなかったが、……仕方がない。
ステージを降りていく私たちに、拍手はなかった。
ステージはいつもパフォーマーを一瞬で勝者と敗者に切り分けるから恐ろしい。
伊知川くんは、大丈夫だろうか?
初めてのステージでこんな経験をしたら、立ち直れないかもしれない。
いや、伊知川くんだけじゃない。
いい船出を切ったと思い込んでいた、私たちのバンドは、この先、大丈夫だろうか。
チヒロの指示どおり、早めにステージ用の服装に着替えておいてよかった。チヒロと私はいつものようにラフなデニムにTシャツ姿で、梨香は、これもやっぱりいつものとおり、胸元を大きく開けたシャツにミニスカートというセクシーな出で立ちだ。梨香はあの衣装でドラムを叩くから、見えそうになるので困ってしまう。
伊知川くんは、黒のスラックスに白のポロシャツで、清潔感があっていい!
「お願いします」
音響のスタッフがステージ脇にいる私たちに声をかけてきた。
私たちの直前でパフォーマンスをする予定だった岐阜大学のダンスサークルが、急遽出演取りやめとなったそうで、私たちは、ステージに慌てて楽器を運ぶ。
今回はアコースティックバージョンの後にいつものエレキの演奏をするから、運び込む楽器がいつもの倍になっていた。
チヒロと私は先にエレキのギターとベースをステージに運んで、ギタースタンドに立てる。梨香はドラムセットを手早く配置し、箱型のカホーンをドラムセットの前に置いた。チヒロがアコースティック・ギターを持ってステージに出てから、私は傷つけないようにゆっくりとウッドベースを運んで、ステージにスタンバイする。
ステージの前は立ち見の観客でいっぱいになっていた。お父さんやお母さんが動画を撮影しようと正面でケータイを持って構えている。人が多すぎて把握できないが、チヒロや梨香、伊知川くんの家族もきっとどこかにいるのだろう。
小柄な女子高生の私が、大きなウッドベースを持っていてギャップがあるせいか、いつもよりも多くの視線を感じる。
センターでマイクの前に立つ伊知川くんは、やっぱり緊張していた。でも、こういう場を重ねて、コンテストまでに慣れてもらうしかない。
いつものステージならもっと後ろにいて、ドラムセットで隔たれている梨香が、今は私の真横のすぐ近くにいて新鮮だ。
小さなカホーンに股を開いて前かがみに座る梨香は、かわいい。伊知川くんの向こう側にいるチヒロもいつもよりも距離が近いから、演奏中に意思疎通がしやすそうだ。
手短にイントロ部分などのリハーサルを済ませると、チヒロが伊知川くん、私、梨香の目を見る。
「やるぞ」というアイコンタクトだ。
そしてチヒロは音響スタッフに手を上げる。そのスタッフは手を前に出した。「演奏を始めてください」という合図、キューだ。
ついに始まる。
「こんにちは。私たちは地元、大垣の高校生バンド、『水都ラベラー』です! 最初はアコースティックバージョンの『イトとイト』を聴いてください」
曲紹介の後、チヒロの激しいカッティングが会場に響きわたり、私のベースが追いかける。
アコースティックバージョンだというのに、テンポは早いから、シンクロさせるのが大変だ。
でも、このイントロ、いい!
俯いて頭でリズムを取る伊知川くんが、口をマイクに向けた。
──ワッと言ってwhat say? 罵倒して bad time
──二人だと喜怒哀楽のリピート and ヘトヘトtired
──カットしたい縁 どう?ひょっとしてthe end?
──ホント? 上等 問答無用 だけど…can’t do it
──ひとりひとりは異なる意図と繋がる糸があり
──言葉を見落とし認め 人は人を知る @(アット) you
──ひと夜ひと夜に人の気持ちはそっと移りゆくから
──もっとキミの瞳に一人のhistory 刻みたい(キザみたい)
──hit songとhotなラジオで繋がるキミは愛しい人
──10年たってこう思う road to you
伊知川くんの声が会場を飲み込む。
緊張しながらもいつも以上に声量があって、今日の伊知川くんはノッてる。
1番が終わった後に観客スペースを見ると、今までに見たこともないほどの人が立ち止まって聴いてくれていた。
500人はいる。すごい! こんなに注目されるのは初めてだ。
間奏で、チヒロのギターソロに入る。
この次は、私のベースソロだ。今日はウッドベースだから音階を外さないか心配だけど、……やってやる。
チヒロは8小節のソロを終えて、私を見た。伊知川くんも私を見ている。
まずはGから。梨香のリズムとシンクロさせて、右手で太い弦を力いっぱい弾く。
このアコースティックの音色がたまらない。
よし、最後の1小節。3連符でG、B、D、Gを、……決まった!
2番に入ると、会場から自然と手拍子が起こる。
ステージと観客が一体になったこの景色、サイコーだ。
──ひとりひとりは異なる意図と繋がる糸があり
──言葉を見落とし認め 人は人を知る @(アット) you
──ひと夜ひと夜に人の気持ちはそっと移りゆくから
──もっとキミの瞳に一人のhistory 刻みたい(キザみたい)
サビの部分を、伊知川くんが繰り返す。
ついに、最後のアウトロだ。
あ、梨香がアドリブのテンポを入れた! それを聴いて、チヒロも負けじとソロでアドリブを入れる。
私も負けられない。
私は思い切り弦を引っ張って、指板に当てた。これは、スラップ奏法と言われるものだ。ロカビリーみたいな音色でカッコいい。
アドリブを詰め込んだ演奏の最後に、伊知川くんがシャウトして、……これも、決まった!
演奏終了後、一瞬、観客スペースは静まりかえる。そしてその後、喝采が私たちを包み込んだ。
ステージに立った人しか分からない、この快感を伊知川くんも知ってしまった。
みんな笑顔のまま、手早く楽器を代える。
梨香はカホーンをどけて、後ろのドラムセットへ。私はエレキベース、チヒロはエレキギターに持ち替えた。
2曲目は『キララ』だ。新曲だから、コンテストに向けて、ここもしっかりとやり切っておきたい。
すべてのスタンバイが整って、演奏に入ろうとする時、ミズキさんがステージにすり寄ってきているのが目に入った。
「伊知川くんを返して!」
ミズキさんは泣き叫んでいる。まずい。伊知川くんはオロオロして、腕で顔を覆った。
チヒロが手を振って、咄嗟に演奏に入るのを止める。
観客がザワつき始め、「何やってんだ!」という酔っ払いのような男性の怒声も聞こえる。
「そこにいては危ないから、後ろに下がって!」
私はミズキさんに叫ぶが、声が届かない。
すると、音響スタッフの一人が、ミズキさんを無理矢理連れて行った。
演奏はできる状態になったが、伊知川くんは動揺してステージの周りをフラフラと動き回っていた。目の焦点も合っていない。
そして、伊知川くんはもたついて梨香のドラムのハイハットに足をかけ、倒してしまう。
ガシャーン!
けたたましい音が響き、ついに伊知川くんはその場にしゃがみ込む。
「伊知川! 伊知川!」
伊知川くんはチヒロの声にも反応できないでいる。
「大丈夫か?」
山下教頭先生が伊知川くんを担いで、ステージを去った。
すべてが一瞬に起こって、私たちは理解が追いつかない。つい今、初めてのアコースティックバージョンを見事にやり抜いて、多くの人たちから喝采を浴びたばかりなのに。伊知川くんのデビューステージの1曲目で、大成功した直後に、こんな地獄が待っているとは。
観客の視線が痛い。
1曲目終わりまで、温かい目で私たちを見てくれていた観客の人たちは、今、豹変して冷ややかな目になっている。
「ステージを降りるぞ」
チヒロは私と梨香に耳打ちした。
「そんな!」と梨香は声を上げる。
「私も悔しいが、ボーカルがいないんだから、ショーは続かない」とチヒロは諭す。
私も悔しい。やり切りたかった。こんな不様な姿をお父さんやお母さんに見せたくなかったが、……仕方がない。
ステージを降りていく私たちに、拍手はなかった。
ステージはいつもパフォーマーを一瞬で勝者と敗者に切り分けるから恐ろしい。
伊知川くんは、大丈夫だろうか?
初めてのステージでこんな経験をしたら、立ち直れないかもしれない。
いや、伊知川くんだけじゃない。
いい船出を切ったと思い込んでいた、私たちのバンドは、この先、大丈夫だろうか。



