唄うことでしか、ボクはボクになれない

 チヒロと伊知川くんは、強張った表情で私を見る。
 痛い!
 激痛とともに、やっと分かった。
 私のベースの第3弦が切れたのだ。しかも、こんな大切なタイミングで。弦が切れて、その衝動で切れた弦の先が私の右手の甲をえぐったようだ。
 その一瞬、チヒロは演奏を止めようとしたが、私が睨んで弦が切れたまま状態で演奏を続行した。
 止めてたまるか。
 ここまできて、それはない。まだ、私たちは夢の旅へと出発したばかりなんだ。
 とっさのアドリブで、3弦がない部分を2弦と4弦に振り分けて1小節を弾いてみるが、うまくいかない。
 痛みも酷くなり、血は流れ続けた。
 どうすればいい?
 チヒロは心配してずっと私を見ている。
 その時、伊知川くんが私にピックを投げ捨てるようなゼスチャーをした。
 え?
 ピックを捨てろって言うの? 
 ……そうか、3弦がないのにほかの弦で3弦の音を出してカバーしようとするのがいけないんだ。
 まったく違うプレイをすればいい。
 まったく違うプレイ。審査員を驚かすような。
(できるよ)と伊知川くんが、私に唇の動きだけで伝えてきた。
 できるかな? いや、もうここまできたのだから、やってみよう。
 私は、ピックをホールに投げ捨てた。血も一緒に飛び散る。
 ホールの観客からどよめきが起こった。
 その一瞬で、私はチヒロと梨香とアイコンタクトして、一歩前に出る。
 ロックの神様、私に力を!
 私はベースのを顔の近くまで持ち上げ、いつもなら左指で押さえるフレット上の弦を、右手の人差し指で突き刺すように素早く押して離した。すると、押す時と離す時に音が出て、早弾きよりももっと高速のソロとなる。
「ライトハンドだ!」
 観客から声が上がる。
 そのとおり。これは、昔のロッカーがエレキギターでよくやったライトハンドという奏法だ。タッピングと言ったりもする。そもそもエレキギターのように軽くて細い弦だからこそできるプレイをベースでやっているのだから、見ようによっては異常だ。
「ベースでライトハンド? 初めて見たぞ!」と誰かが大声で言って拍手が起こる。
 指先に力を入れ、音階を変えながら1弦を素早く押しては離していく。
 痛い。
 この奏法はケガをしている右手でするにはつらい。
 ベースソロはあと3小節。
 それが済んだら、サビの繰り返しで、この曲は終わりとなる。
 この右手が壊れてでも、諦めない。私たちは全国大会へ行きたいんだ!
 ソロの最後は、ベースを頭よりも高く持ち上げ、血が流れるのをそのままに、右手の人差し指で1弦を引っかいてA(ラ)の音を鳴らした。
 もう痛くて耐えられない。
 でも、ソロが終わった!
 また、拍手が起こる。
 ここからは、また私と伊知川くんのツインボーカルに戻る。最後のサビは、私のボーカルからだ。
 この東海予選のゴールが見える。

 ──風の向くまま進む旅路の道づれに ワタシが捧げる歌は
 ──時代に取り残されそうな 繋がりを信じる愛の伝聞
 ──分かり合えない悲しみに 人は一体何を思う?
 ──届かない、でも届けたいこの歌を それが風に誓ったワタシの言い分

 伊知川くんがシャウトして、最後にチヒロのアウトロのソロが入って、……終わった!
 会場は、しばらくリアクションがないまま静まる。
 そして、誰からともなく拍手が起こり、それがだんだんと大きくなって、盛大な音量となった。
「右手、大丈夫? わ、まだ血が出てる。大変だ」
 誰よりも早く伊知川くんが私に駆け寄ってくる。
「大丈夫だよ。ありがと」
 チヒロと梨香も、心配して後片付けをせずに私の側にきた。
「最後はケガしてるアヤノのことで頭がいっぱいだったよ」と梨香は言う。
「だから、大丈夫だって。ちょっとした切り傷だよ」
「でも、今からでも病院に行った方がいいな」とチヒロは冷静に語った。
「ダメ。結果はみんなと一緒に聞きたい。それまでは病院に行かないもん。チヒロ。それより、私たちのステージ、どう評価されるかな?」
「さあな。やることはやったから、後は祈るだけだ」
 すると、スタッフの人たちがステージに上がってきて、私の右手の応急処置をしてくれた。
「それでは、ここから審査員は控室に一旦退場し、最終結果の集計に入ります。本日の出演バンドは、しばらくホールでお待ちください。結果発表は30分後の予定です」
 久世さんはアナウンスすると、他の審査員とともに控室へ去った。
 幸い、私の右手は止血できた。思ったより傷は深くなさそうだ。痛みは残るが、問題はない。
「キミたちは素晴らしい!」と背後から聞き慣れた声がした。
「島田先生、いたんだ?」と梨香が笑う。その隣には、伊知川くんの特別支援学校の山下教頭先生もいた。
「今日の皆さんのステージには感動した! 伊知川くんもよくやった。伊知川くんは特別支援学校のスターだ」と山下教頭先生は語気を強める。
「ありがとうございます」と伊知川くんは恐縮する。
 そこに、後ろで集まっていたメンバーの親たちが一斉に近づいてきた。チヒロも梨香も伊知川くんも、親から褒められて嬉しそうだ。
 私のお母さんは「今夜、外食する? よくやったから何でも食べさせてあげる」と言ってくれてテンションが上がる。
 私のお父さんは「ケガをしているのに、よく頑張ったな。アヤノはいつと真面目で偉いよ」と泣いていた。
 ごめん、私、本当はそこまで真面目じゃない。お父さんが会場に入る直前に、伊知川くんとキスしちゃった。何だか申し訳ない気持ちになるが、まあ、ずっと秘密にしておこう。
 ひとしきり、それぞれのメンバーと話した親たちは、また、ホールの後ろの方へと戻っていった。
「あのさ、水都ラベラー、すごくよかったよ」
 今度はリョウタくんが他のメンバーと一緒にやってきて、話しかけてきた。
「そうか」と言うチヒロは素っ気ない。
「アヤノさんのライトハンド、あれ、カッコいいよ」
「ありがとう。でも、リョウタくんがあんなにSay-Ryuで築いたサウンドを否定して、大人っぽく仕掛けてくるのにはビックリしたよ。まるで、自由を手に入れた鳥みたいだった」と私が嫌味を言う。
 すると、バツが悪そうに「結果が楽しみだね」とだけ言って他のメンバーと遠ざかっていった。
 そのリョウタくんが立ち去るのを見て、「いよいよだね」と沙希が私たちに話しかけてくる。
「ああ。リョウタのヤロウ、沙希を裏切っておいて、あんないいパフォーマンスをしやがって許せないな」とチヒロはホールの隅にいるリョウタくんを睨んでから沙希に言う。
「そうね。まあ、元々才能はあったけど、私が押し殺していたみたいね」
 沙希は悲しそうに答える。
「沙希は悪くないよ! 勝手なのはリョウタくんだもん」と私が言うと、伊知川くんも「そうですよ」と同調する。
「リョウタのパフォーマンスは出来がよくてちょっと悔しかったけど、もういいわ。新生Say-Ryuは負けるつもりはさらさらないから」
「それは、こっちも同じだ」とチヒロは返す。
 私は、前々から水都ラベラーとSay-Ryuが1位と2位になって全国大会へ行きたいと思っていた。でも、他のバンドもレベルが高く、リョウタくんがあんな意表を突くプレイをしたから、まるで結果が読めない。
「じゃあ、メンバーのところに戻るね」と言って、沙希は黒田くん、伊藤くんのいるところへ向う。
 結果が出るまでの待ち時間は、どのバンドにとっても苦しい。誰もが今日のためにすべてを捧げて、練習をしてきたから、本当は優劣をつけてほしくない。
 でも、高校生の私たちにはもう分かってしまっていた。
 人生のこの先、私たちは否応なくずっと勝者と敗者に分けられ続けるのだ。大学受験も、就職活動も、その先の社会も。
 きっと、この社会は勝者がルールも、価値観も、取り分もすべてを決めている。私たち高校生も、勝たなければ、手に入らない景色が山程ある。
 すべては勝者にならなければ、意味がない。
 負けてもよくやった、と慰めなんかいらない。
 高校生の戦いといっても、キレイごとじゃないんだ。
 勝ちたい。
 沙希にも、リョウタくんにも、ここにいる全バンドメンバーにも勝ちたい。
 しばらくして、久世さんを先頭に審査員が戻ってきて、ステージに立つ。
 結果が出たようだ。
 ホールにいる出演バンドメンバー全員に緊張が走る。
 運命の時がやってきた。