唄うことでしか、ボクはボクになれない

 ずっとステージばかり見ていた私は、疲れてきたので、伊知川くんとロビーに出ることにした。
 もう、今更、細かく他のバンドをチェックする必要はない。それに、せっかくの機会だから、伊知川くんと二人きりで少しでも話したい。
 ロビーには、出演を待つ他のバンドのメンバーや関係者がいて、それなりににぎわっている。
 伊知川くんとベンチに座って、私はペットボトルのお茶を飲む。伊知川くんはメインボーカルなのに、水やお茶を一切飲んでいる場面を見ていないから、私は心配になった。
「伊知川くんは、水、飲まないの?」
「はい」
「そのさ、『はい』っていつも答えるの、嫌だ。『うん』って言ってほしい。それに敬語も使ってほしくない」
「え?」
「メンバーで唯一年下だけど、私にはタメ口にしてほしい」
「あ、はい。……じゃなくて、うん」
 慌てて言い直す伊知川くんを見て、私は笑った。伊知川くんも笑う。
「ボクは、出演する30分くらい前に飲むことにするよ」
「それで大丈夫なの?」
「これまでの経験で、30分くらい前に飲むと調子がいいって分かったから」
 伊知川くんがタメ口を使ってくれると、私を独占してくれているみたいで嬉しい。
「そう」
「今日、うまくいくといいな。だって1位か2位に入れたら、この先アヤノさんが大学に入ってからも一緒に活動できるかもしれないから」
「負けたらどうすんの?」
「その時は、アヤノさんが引退する6月まで部活に参加して、……それで終わりかな」
「何でよ?」
「だって、大垣高校生が誰もいないのに、部外者のボクが軽音部にいられないから」
「終わりっていうのは、私と会うもやめるってこと?」
「そんなつもりはないよ。でも、会う回数は少なくなるかも」
「嫌だ」
「ボクも嫌だよ。ホントはずっと一緒にいたい」
「じゃあ、このコンテストが全部終わったら、結果に関係なくさ……」
「何?」
「……付き合おうよ」
「ホント?」
「うん」
「自閉のボクは、これまでシャコージレーっていうのが分からなくて、いっぱい失敗してきて、その、本当の気持ちが読めなくて、その……」
 伊知川くんが困った顔をした。そうだ、伊知川くんは自閉スペクトラム症で、微妙なニュアンスを理解できない。
「伊知川くんの特性は、私もだいぶん理解できるようになったんだよ。その私が言っているんだから、社交辞令じゃないよ。本当に、付き合ってほしい」
「うん」
「こういう時、あれ、言ってほしい。私から言うのやだ。ほら、あれ」
「『あれ』って? 分からない。どうしよう」
 また、私は抽象的な表現をしてしまった。自閉の人と自閉じゃない人がこういう恋の会話をするのは難しい。でも、私はめげない。
「じゃあ、言い方を変える。私に対して今思っていることを、そのまま言って」
 私もずいぶん大胆なことを言えるようになったものだ。
「ボクが今、アヤノさんに対して思っていることをそのまま……。今日、髪を括っていてかわいい」
「違う。ほかには?」
「えーっと、恥ずかしいな」
「言って」
「髪を括っているから耳とかうなじが見えてドキドキする。唇も潤っていて、それもドキドキする」
「ふーん。そんな風に私を見てたんだ。そういえば私の唇、よく見てるもんね」
「ごめん」
「キスしたいの?」
「……」
 人がたくさんいるけど、もう関係なく私は伊知川くんにぴったりとくっ付いた。いとおしい顔に私は手でふれる。
「それで、まだ私が求めることが言えてないよ」
「え? まだ? うーん」
 気が付けば、伊知川くんのことが好きで好きで仕方がなくなってしまっている。私はどんどん顔を近付けた。
「ほら、今なら人が見てないから、早く言ってよ」
「何だろう。……好きだよ」
 その直後、周りの人が視線を外していることを確認して、私は伊知川くんに素早くキスをした。私はキスのやり方なんて知らない。だから、こんなキスでいいのか分からないけれど、唇をふれた感触はずっと残っている。
「私も、好き。誰にも渡さない」
 伊知川くんは硬直していた。
 その時、ホールのエントランスに私のお父さんとお母さんの姿が見えた。出番が近くなったからやってきたようだ。多分、他のメンバーの親や親族ももうそろそろ来る。
「ヤバ。私の親が来た! 見つからないようにあっちからホールに戻ろう!」
「うん!」
 親が目に入った途端、二人で悪いことをしてしまったような感覚になる。その罪悪感が、嬉しかったりもする。親には内緒だ。
 ホールに戻ると、リョウタくんのThe Linksがセッティングを開始していた。その次が大トリの私たちとなる。
 私たちの出番まで、あと少しだ。

 リョウタくんのバンドは、活動歴がないから未知数で不気味だ。
 ホールで、私と伊知川くんは、チヒロ、梨香と合流する。
「リョウタくん、どうだろうね?」とチヒロに聞く。
「アイツは、多分、かなりのものを仕掛けてくると思う」
「本当に?」
「ああ。そもそも曲づくりだけじゃなくて、アレンジ、ボーカルすべてで沙希よりも才能があるかもしれないからな」
「じゃあ、何でSay-Ryuの時、遠慮していたんですか?」と言う伊知川くんは納得がいかないようだ。
「それは、……沙希が好きだったからじゃないか?」
「それで、チヒロさんもまた好きになってしまうのはおかしいです。ボクはリョウタさんが嫌いです」
 私も嫌いだ。いや、私だけじゃない。チヒロも梨香も嫌いだろう。
「伊知川。私だって納得できないんだけどさ、恋をすると自分でも理屈じゃつじつまが合わないことがいっぱい生まれるんだよ。お前だってそうだろ?」
「……はい」
「リョウタのやってることはゲスいとは思うが、それをアートに変える力も、バンドやロックにはあるのさ」
 悔しいが、チヒロの言うとおりだ。音楽をやっていて、不思議に思う。ロックは憎しみだろうと、悪だろうと何でも、包み込んで心に響くものに仕立て上げてしまう。
「まあまあ、感情は抜きにして、お手並み拝見といこうじゃない」と梨香が二人の間に入った。
 以前のバンドでリョウタくんはベースをしながらバックコーラスも担当していたが、今回、メインボーカルとしてはどうなのだろうか?
 伊知川くんが入る前は私もベースでメインボーカルだったが、この二刀流はなかなか難しい。リズム系楽器はリズムがあるからこそ、メロディーのテンポと合致しないから、相当な練習がいるのだ。それに高校生の技術で、ギターに代わって電子ピアノでアレンジし、バンドとしてのインパクトを持たせるのは難しいはず。リョウタくんはどう音をまとめあげたのか気になる。
 ピアノとドラムのメンバーは、沙希やリョウタくんと同じ大垣南星高校生で、リョウタくんのクラスメイトらしい。まさに即興のバンドかもしれない。
 セッティングが完了した。
 そして、The Linksの演奏が始まった。

 ……ん、イントロの演奏がない。
 いきなり、リョウタくんがアカペラで唄う。

 ──放課後のチャイム 夕暮れの教室
 ──君の影がいつもより 長く伸びていた

 いや、唄うというより、叫んでいるのに近い。何だ、この躍動した存在感のある声は? 
 リョウタくんが経験した恋の終わりを、等身大の言葉で表現している。アカペラだからこそ、切ない。

 ──「またね」って手を振る いつもの交差点
 ──明日からはもう 違う道を歩くんだね

 Aメロの最後をシャウトすると、そのままピアノとドラムが早いビートを刻む。
 このバンド、レベルが、……高い!
 鍵盤を連打するピアノの音色がスイングしている。このピアニストはジャズ経験者だろうか? 歌詞は高校生らしさに満ちているのに、リョウタくんの声やアレンジは大人っぽくて、そのミスマッチがたまらなくいい。前へ飛び出していくピアノとボーカル・ベースを制するように、ドラムのプレーは安定していた。
 こんな能力を持っていたんだ、リョウタくんは。今まで、沙希の陰にずっと隠れていて溜まりたまったものを今、一気に吐き出し、自由を謳歌(おうか)して大空を飛ぶ鳥のようだ。

 ──お揃いで買った スクバのキーホルダー
 ──外すのは少しだけ 勇気がいるけれど
 ──君と過ごした 最高の季節に
 ──嘘はひとつもないから

 ──さよなら、大好きな人
 ──涙で見えなくなる前に 笑ってみせるよ
 ──痛いくらい 恋をしてた
 ──ステップアップする 君の背中にエールを
 ──新しい風が吹く場所で 私も私の恋を見つけるよ

 セツナかっこいい。あの憎いリョウタくんが、ロッカーに変身している。
 このThe Linksのサウンドを聞いて、ロビーにいた人たちが次々とホールに入ってきて、観客であふれた。
 リョウタくんが恐ろしい。
 これじゃ、審査員や見ている人にとって、Say-Ryuよりもインパクトがあるかもしれない。
 すべての演奏が終わって、The Linksは、会場のすべての心を持っていってしまった。
「さあ、行くぞ!」とチヒロはメンバーに声をかけて、ステージの脇へ先に向かった。
「負けるわけにいきません!」と伊知川くんも力強く後を追う。
 そうだ。
 夢のメジャーデビューを掴むんだ。
 私は梨香と顔を見合わせ、無言で頷く。そして、走ってチヒロと伊知川くんを追いかけた。