唄うことでしか、ボクはボクになれない

 昼休みに部室へ行ったのは、チヒロに会いたかったからだ。
 部室に近付くと、エレキギターの音がドアから漏れていた。大音量で演奏しすぎだ。また顧問の島田先生に怒られてしまう。
 このやかましい部屋に入るのに、ノックなど意味がない。私は遠慮せずに、ドアを勢いよく開ける。
 脳をナイフで切り()くような歪んだギターのサウンドが、私を包み込んだ。視線の先には、あぐらをかいてギターを弾くバンドリーダーのチヒロと、その隣でドラムスティックを握ってエアーでドラムを叩く梨香がいた。
 私とチヒロ、梨香は大垣高校の軽音部に所属し、「水都(すいと)ラベラー」というバンドを組んでいる。
 私たちの高校がある岐阜県大垣市は、各地で湧き上がる美味しい水が有名で「水都(すいと)」と呼ばれていて、これとトラベラーを組み合わせてバンド名としていた。
 ピンクのメッシュに髪を染めたチヒロと真っ赤な口紅を塗ったケバケバしい梨香がチラッと私を見る。しかし、演奏は止めようとしない。むしろ、演奏に加われ、と言わんばかりだ。同じバンドのメンバーとは言え、無神経極まりない。
「あのさ!」と叫んでも、その声はチヒロと梨香にはまったく届かない。こうなったら強硬手段に出るしかない。
 私は、アンプスピーカーに接続されているシールド(ケーブル)を引っこ抜いた。
 一気に、部室が静まりかえり、チヒロの弾くギターからはシャンシャン、というかすかな音しか出なくなった。驚いたチヒロは、私がシールドを抜いたことが原因だと知って、睨んでくる。相変わらず、ガラの悪い目つきだ。
「何よ?」
 最初に文句を言ってきたのは、梨香だった。ドラムスティックをいつものように器用に指先でクルクルと回しながら、私を見ている。
「ねえ、梨香。今日はいつにも増して、胸元を露出(ろしゅつ)しすぎじゃない?」
 ブレザーの中に来ているワイシャツをわざわざ胸元まで開けている。
「男なんてここにいないんだから、別にいいでしょ?」
 梨香はふてくされている。
「シールドを抜いて、演奏を止めてまで言いたかったのは、そんなつまらないことか?」
「違うよ。……って、チヒロ、待って!」
 チヒロは、もう一度シールドをアンプスピーカーに差して演奏を再開しようとするから、必死で私は制止する。
「いいボーカル、見つけたの! まるでポール・マッカートニーのような、すごい声の人だよ」
「ボーカル? うちのバンドのボーカルはアヤノがいるじゃないか」
「……私がボーカルじゃ、勝てないよ」
「今更、何言ってんだよ! 私たちはこのメンバーでコンテストを勝ち抜いて、メジャーデビューするって誓ったろ?」
「ねえ、チヒロ。聞いて。私もコンテストで勝ちたい。でも、勝ちたいからこそ、前々から思っていたの。私たちのバンドは演奏力だけならきっと、どこのバンドにも負けない。でも、私のボーカルが足を引っ張ってる」
「そんなこと、やってみないと分からないだろ?」
「そうだよ。コンテストが4カ月後に迫っているタイミングで、こんなこと言うの、卑怯だよ」
 梨香も、黙っていられないようだ。
「ごめん。悪いとは思っているけど、ホントにいいボーカルを見つけたんだ。お願い。まず、その人に会って、声を聴いてほしい」
「誰なの、それ? ここの高校生? 男? 女?」
 梨香は興味を持ったようだ。
「ここの高校生じゃない。しかも、男子」
「男子ぃ?」
 チヒロは、男子がメンバーになることに抵抗があるようだ。
「カッコいいの? ビジュはどうなの?」
 梨香は男子と一緒にやるのが嬉しいのか、表情が明るい。そもそもアイドル好きで、かわいい男子が好きなのはよく知っている。
「うーん、現状はパッとしないけど、かわいいよ。私たちがアレンジすればいいじゃない。ちなみに学年は一つ下だよ」
「年下ぁ。いいね」
「おい、アヤノ。ここの高校生じゃないなら、この部室で一緒に練習できないんじゃないの?」
「顧問の島田先生が動いてくれれば、多分、大丈夫。他校と合同チームを組むことはたくさんあるもん。ねっ、一度会ってみてもいいでしょ、チヒロ」
「うーん。いつ、会えばいい?」
「今日の放課後」
「今日?」
「伊知川くんって言うんだけど、放課後に美登鯉橋(みどりばし)によくいるの」
「楽しみ。どんな男子なんだろ?」
 梨香はワクワクしている。
「まあ、会うだけは会ってやる。でも、その声を聴いて、ダメなら断るからな」
 チヒロは渋々、了解してくれた。
 伊知川くんがボーカルなら、私たちは日本一なれる。女子ばかりのバンドに、年下の男子が1人ボーカルで入るのも話題になりそうで、審査は有利になるかもしれない。
 ただ、伊知川くんが一般的な高校ではなく、高等特別支援学校の生徒であることは、まだチヒロと梨香に話していない。
 でも、わざわざ、そんなことを言う必要はないと私は思っていた。

 その日の放課後、私たちは高校から歩いて伊知川くんのいる美登鯉橋(みどりばし)を目指す。
 私たちの高校は大垣駅のすぐ近くにあり、美登鯉橋(みどりばし)までは10分程度で着く。市街地を流れる水門川に沿って遊歩道を歩いていると、涼しい風が吹き抜けて気持ちよかった。
 目の前に噴水が吹き出す四季の広場が見えてくる。その広場の端に、水門川に架かる美登鯉橋(みどりばし)があった。川沿いの遊歩道にいる私たちの上に橋があり、そこに男子1人が立ち尽くしている。
「いた! 伊知川くん!」
 私が呼び掛けると、伊知川くんは手を振った。
「え? かわいい男子じゃないの」
 梨香は、好印象のようだ。チヒロは怪訝(けげん)な表情で伊知川くんを値踏みしている。
 遊歩道から橋へとつながる階段を上り、私たちは伊知川くんを取り囲んだ。伊知川くんは照れるかな、と思ったが、実際は怯えまくっている。とくにピンク髪で鼻ビアスをしているチヒロが怖いようだ。
「アヤノさん、ボクはどうしたらいいですか?」
 困り果てた伊知川くんを見て、梨香がいきなり手を握った。
「え? えぇ!?」
「私、大垣高校のバンド『水都ラベラー』ドラムの梨香。よろしくね」
 すると、チヒロは梨香の手を伊知川くんから無理矢理引き離して、「ギターのチヒロだ。よろしくな」と声をかける。
「はじめまして、伊知川紘弥です。高等特支一年です」
「特支? ……ってことは特別支援学校の生徒か?」
「はい」
 チヒロは驚く。
「ちょっと、待ってくれ」とチヒロは伊知川くんに言うと、私と梨香の腕を引っ張って、少し離れて、(ささや)く。
(おい、特支の男子と一緒にやるのは無理だろ?)
 チヒロは、私に言う。
(そうね。どこまで伊知川くんって理解できるのかな? ちゃんとコミュニケーション取れるか、不安)
 梨香も、動揺していた。
(とりあえず、唄う声を聴いてよ。判断はそれからでよくない?)
 私がそう言うと、二人は黙った。
「あの! ボクが特支生だから困っていますか? ボクはアヤノさんに迷惑かけたくないです。だから、帰りますね」
 立ち去ろうとする伊知川くんを引き止めようと、私が駆け寄ろうとした瞬間、「おい、待て!」とチヒロが怒鳴った。
「お前の歌が聴きたい。聴かせてほしい」
 チヒロはそう言うと、背中に担いでいたケースからアコースティックギターを取り出し、手早くチューニングし始めた。チヒロは絶対音感があるから、チューナーなしで簡単に音を合わせることができる。
「は、はい」
「何を歌うんだ?」
「じゃあ、ベン・E・キングの『Stand By Me』を……」
「キーは?」
 チヒロは伊知川くんの歌に合わせて演奏しようとしている。
「分からないです。ボクは耳コピしかできないので……」
「原曲は、キーがAだが」とチヒロが話している途中で、伊知川くんは唄いだした。

 ──When the night has come

 その声を聴いて、チヒロは目を見開いている。
 音楽の神様が、また、時間を止めた。この切ないメロディにのせた伊知川くんの声は、私たちの偏見にまみれた心を打ち砕く。
 声を聴いて、無言のまま時間が過ぎていった。
 美しいものは、美しい。
 この感覚に、性別も、貧富の差も、国境も、宗教も、学歴も、一切関係がない。
 伊知川くんは魂の導くままに唄っている。私たちだけでなく、橋を通行する人たちも立ち止まって、伊知川くんを見入っていた。
 曲は2番の歌詞に入ろうとしていて、我に返ったチヒロは慌ててギターで合わせる。
「耳コピだけあって、キーの音程も合っているな」とつぶやいて、コードを伊知川くんの声にかぶせるチヒロ。そのチヒロに合わせて、梨香はドラムスティックで橋の欄干を叩いてリズムを取った。私は即興(そっきょう)で伊知川くんの3度上のメロディをバックコーラスで唄って、ハモらせる。
 気持ち、いい!
 徐々に私たちのセッションが、一体感を増していく。気が付いたら私たちを多くの人が取り囲んでいた。

 ──Stand by me ,oh stand by me

 唄い終わると、今日も夕陽に染まる美登鯉橋(みどりばし)に、喝采(かっさい)が巻き起こる。
 伊知川くんは唄い終わると、またいつものように怯えた表情に戻った。