唄うことでしか、ボクはボクになれない

 ついに、日本最大級の高校生バンドコンテスト「YOKOHAMA WAVE」東海予選の日がやってきた。
 会場は、名古屋市中区にあるライブハウス「サファイアホール」。ステージが豪華で、憧れの場所でもある。
 客が入るステージ前のホールは大きく、オールスタンディングで、何百人でも入れるようになっていた。
 東海各地から9つのバンドがこの大会に出場する。私たちの出演順は最後の9番目。事前のオンラインによる電子くじ引きで、くじ運のいい梨香が引いたのだが、これはかなりのプレッシャーだ。5番目がSay-Ryuで、8番目がリョウタくんのいるThe Links(リンクス)となった。
 出演者は出演予定時間の1時間前に会場入りすればいいのだが、他のバンドを見たいから、私たちは朝の開会式に間に合うように集合する。私たち以外のバンドも、同じようにほぼ朝の時点でメンバーが集まっていた。
 この東海予選は観覧自由なので、出演時間近くになったら家族もやってくる。緊張するから、できれば家族に来てほしくないのだが、そう言うと特にお父さんは寂しそうな顔をするから言えない。
「いよいよだね」と先にホールに入っていた沙希が声をかけてきた。
 リョウタくんの件があったから、チヒロは気まずそうだ。
 黒田くんは「よっ」と片手を上げる。新しく入ったベースの伊藤くんは、頭を礼儀正しく頭を下げた。
「いろいろあったんだね」と沙希に私からふれてみた。
「そう。でも、あんな男、いらない。こっちからお断りだよ」と沙希は強がる。
 ホール内を見渡すと、Say-Ryuのメンバーから離れた隅にThe Linksのメンバーがいた。リョウタくんはチラチラとこっちを見ている。
「知ってると思うけど、チヒロは悪くないからね。どちらかというと被害者だから」と私が言うと「分かってる」と沙希は答えた。
 変にチヒロを逆恨みしていなくて、ホッとする。
「チヒロ。これでむしろ、お互いやりやすくなったんじゃない!」と沙希はチヒロを見据えて言った。
「そうだな」とチヒロは笑う。
「ふふ。The Linksだけには負けたくないね」と梨香も笑う。
「ホントだよ! あなたたちにも負けたくないけど、それ以上にリョウタだけは許さない」
 沙希は離れたところにいるリョウタを睨んだ。するとリョウタは目を背ける。
 そして、「じゃあ、私たちはロビーで打ち合わせしてくるね」と言ってSay-Ryuのメンバー全員、ホールを出て行った。
 ホールの端にある審査員席に、審査員でローカルタレントの久世さんがいる。目が合ったので私が手を振ると、わざわざ近くに来て、「この前はありがとう。ついに、この時が来たね!」と話しかけてくれた。
「楽しみです」と伊知川くんが答える。
「一次審査の動画も見たよ。伊知川くん、進化しているよね? ブルースハープも抜群にいい」
「え? ボクの名前、覚えてくれているんですか?」
 伊知川は褒められていることよりも、久世さんが自分の名前を覚えてくれていることに感動していた。
「当たり前だよ」と久世さんは笑う。
「今回は、あのバンド対決とはまるで審査方法が違う。曲のセンス、技術や歌唱力、完成度などでしか評価しない。伊知川くんは、まったく特別扱いされないぞ」と久世さんが改めて言う。
「よかったです」と伊知川くんが笑った。私も嬉しくなる。
 久世さんと話していたら、スタッフらしき女性がやってきて「久世さん困ります! もう開会式ですよ」と怒っていた。
「ごめん、じゃあ、頑張れよ」と言って、久世さんは審査員席ではなくステージに向かった。
 そして、会場にBGMが流れ、久世さんにスポットライトが当たる。
「いよいよ高校生たちのデビューという夢をかけたバンドコンテスト、『YOKOHAMA WAVE』東海予選が始まります! 今日の司会兼審査員の久世です」
 久世さんがカンペを読みながら、ルールを説明する。
 このコンテストの模様はライブ配信されているらしい。
 大会長の挨拶や審査員の紹介が終わり、最初のバンドがステージでセッティングを始めた。
 そのバンドは、この前バンド対決で会った、三重県四日市市のバンド「Seasons」だ。女子4人組で、ドラムがボーカルをするという珍しさがある。
 最初に出るのは、不利なように思う。しかし、Seasonsのメンバーはトップバッターという緊張をはねのけて、アグレッシブなパフォーマンスを見せた。この人たちも、バンド対決の時より進化している。
 その後に登場した中で、1年生主体のバンドは緊張して失敗する場面も見かけたが、それでも今年の東海予選は、全体的にレベルが高そうだ。どこも闘争心むき出しで、全国大会の切符をつかみ取ろうとする気迫がある。
「どいつもこいつも、ヤバいな」とチヒロは私や梨香に耳打ちした。
「去年よりも、レベルがグッと上がってるよね」と梨香も同意する。
 そして、5番目のSay-Ryuの順番がきた。
「Say-Ryuのステージが始まるよ!」とロビーにいた伊知川くんを私は呼びに行く。
「じゃあ、それは見ます!」
 伊知川くんは他のバンドの演奏を事前に見たくないらしく、朝からロビーで気持ちを落ち着けていたが、Say-Ryuだけはやっぱり見たいのだ。
 私は伊知川くんの腕を掴んで、ホールに入った。伊知川くんの体に触れるのは久しぶりだ。つい、ギュっとしてしまう。
 リョウタくんが抜けた穴を、バンドのメンバー全員でしっかりカバーできるのだろうか? セッティングをしている新ベーシストの伊藤くんは背が高い。ピックを持っているから、リョウタくんと違って、指では弾かないようだ。私は基本、ベースを指で弾くが、楽曲によって使い分ける。伊藤くんはどんなプレイをするのか、同じベーシストとして興味がある。
 昨年、全国大会へ出た経験がある唯一のバンドだから注目度が高く、ホールの観客は一際多い。最前列に大人がたくさんいるが、あれはメンバーの親や親族だろうか?
 あ、沙希がギターを新調している。
 あの新しいエレキギターは、チヒロも欲しがっている有名なギブソンのレスポール。タイプは違うが、B'zの松本さんも使うギターで、フォルムがカッコいい。
 スタンバイが終わって、注目のSay-Ryuの1曲目が始まった。
 イントロでいきなり、伊藤くんのベースソロ。それも、長い。8小節はある。新しく入った伊藤くんって、めちゃくちゃプレーが力強くて、正確だ。この曲は、新曲だと思う。Say-Ryuがベースソロから始める曲を初めて聴いた。沙希がリョウタくんと決別し、新しく生まれ変わったことを表現しているかのようだ。
 ベースソロの終わりにクロスして、沙希の強気な早弾きソロに入る。何て長いイントロだ。
 しかし、観客はこの圧巻のイントロに心を奪われ、今日一番の拍手が起こっている。
 やっと沙希のボーカルが入る、……が、まさかの低音。高音が得意な沙希がわざわざ低音で最初の勝負に出た。低音は音を外しやすいが、まったく外さない。

 ──気付かないフリするのも そろそろ疲れたの
 ──気があることくらい お見通しなのよ
 ──いい加減 認めたらどう?

 ──カワイイ顔するのね
 ──いっぱい恋してきたのに
 ──ウブなフリして油断させるのはズルい ダマされないよ

 ブルースとロックの間のような渋いメロディで、沙希が男を惑わすように唄う。
 さすがだ。低音で唄う沙希は、大人っぽくて、色気がある。意表を突いた演奏で、私たちまで心を持っていかれた。
 サビは得意の高音だ。

 ──悦びが全身(からだ)を巡る
 ──あなたに溺れた私は 楽園を舞う蝶になる
 ──甘い愛の蜜を探し求めて

 サビは、かなりセクシーな歌詞となっている。
 どうしたら、こんな詞が書けるんだろう。
 リョウタくんが抜けて、Say-Ryuは呪縛から解き放たれたように、しなやかに生まれ変わっていた。むしろ、リョウタくんが抜けてよかったのかもしれない。
 間奏のソロも最後のアウトロも完璧のまま終わって、一息も付かず、次の曲へと進む。
 私は、メンバーと顔を見合わせた。このバンドに勝てるか、自信がなくなってくる。
 不安で思わず、私は伊知川くんの手をギュっと握った。伊知川くんも握り返してくれる。
 そして「大丈夫。ボクたちはもっとステージで進化できる」と耳打ちしてくれた。
 そうだよね。
 インパクトのあるSay-Ryuの演奏は、嵐のように瞬く間に終わった。完璧なパフォーマンスだった。
 やっぱり、今年の東海予選の優勝候補だけある。
 拍手と声援が会場を包み込んだ。