男が男に惚れる瞬間ってあるんだなと思った。
俺は星野律、高校2年生。
ごく普通の……いや、普通よりも少々不出来な男子高校生である。
いつも人より一歩遅れて生きてきた。
皆が出来ることは皆より時間をかけないと出来ない。
例えば鉄棒の逆上がり。放課後マメが潰れるほどに練習して、なんとか出来るようになった。
例えば家庭科の裁縫の授業。先生がいつも俺をハラハラと見守っていた。それでも、その時期俺の指には絆創膏が絶えなかった。
「律は本当にマイペースだなぁ」
いつもそう言われてきた。
マイペースとはよく言ったもので、ただ人よりかなり不器用なだけである。
そのことを、俺自身ちゃんと自覚している。
そんな俺だが、最近カフェでアルバイトを始めた。
人生初のアルバイトである。
初めてのバイトになぜカフェを選んだのか。
ずっと憧れていたからだ。カフェの店員に。
何が良いって先ずあの格好だ。
カマーベストにエプロン。
フツメンの俺でもなんか格好良く見える。
制服マジックというやつだ。
それに、元々カフェは好きだった。
初めてひとりでカフェに入ったのは去年。
最初は緊張したけれど、一度入ってしまったらすぐに慣れた。
そしてその雰囲気の虜になった。
コーヒーの良い香り、心地よい程度のざわめき、落ち着いたBGM。
そこで読書や勉強をすると家よりも全然集中出来るのだ。
図書館もいいが、あそこは逆に静かすぎて緊張してしまう。
勿論居心地が良いからと言ってそんなに長時間はいない。お気に入りの店で迷惑客とは思われたくはないからだ。
そんな行きつけのカフェでアルバイト募集の広告を見かけ、俺はすぐに飛びついた。
面接に受かった時には飛び上がるほどに嬉しかった。
先輩も皆優しくて、覚えの悪い俺でもなんとかやってこれている。
――しかし。
その事件が起きたのは、バイトを始めて丁度1ヶ月が経った頃だった。
「いつもお世話になっておりますっ! はい、その案件は私の方で全て、はいっ!」
そんなバカでかい声が店内に響き渡った。
ぎょっとして店内を見渡すと、パソコンに向かってひとり話している二十代後半くらいの男性客がいた。
「カフェでWeb会議するなよ〜」
大学生の先輩が隣でぼそっと呟くのが聞こえた。
周りのお客さんも皆迷惑そうな視線を向けている。
丁度新規のお客さんが途絶えたタイミングでただトレーを拭いていた俺はこういうときどうすれば良いのだろうとハラハラしていた。
と、そんなときだ。
「ごめん、星野くん。ちょっとあの人注意してきてくれない?」
「えっ! 俺ですか!?」
先輩に小声で言われて俺は驚く。
「今、男は星野くんだけだし……お願い!」
手を合わせてお願いされて、俺は腹をくくった。
相手は男性客。しかも遠目から見ても結構体格がいいとわかる。
確かに女性店員が行くよりも男性店員の方が適役だろう。
その間もデカい話し声はずっと続いていて。
他のお客さんの視線を浴び緊張を覚えながらも俺は背筋を伸ばし派手な色のシャツを着たその男性客に近づいていく。
そして話のタイミングを見計らい俺は背後から小さく声をかけた。
「すみません。他のお客様のご迷惑になりますので、店内での通話は……」
「すみません、ちょっと退出します」
そう笑顔で言ったかと思うと、その客はギッとこちらを振り返った。
「見ればわかるだろ? 今、大切な会議中。邪魔しないでくれる?」
「えっ、いえ、その……」
てっきりすぐにやめてくれるだろうと考えていた俺はまさかの返しに激しく動揺した。
そして男は何事もなかったかのようにまた会議を始めてしまう。
「あー、すみません。戻りました。ええと、どこまでお話しましたっけ」
(嘘だろ……また始めた?)
頭が真っ白になりかけるが、勇気を振り絞って俺はもう一度声をかける。
「あ、あの、お客様」
と、男はガタンっと勢いよく椅子から立ち上がると、物凄い形相でこちらを見下ろしてきた。
体格が良い男は背も高かった。
「だーかーらー、今大切なお仕事の話をしてんだよ。お前、高校生? 学生にはわかんないだろうけど会議ってすげぇ大事なわけ。それに喋ってる奴なら他にもいるだろ? なんで俺だけ注意すんだよ。あ?」
心が折れるとはこの事か。
これまでの人生でここまで他人から悪意を向けられたことのなかった俺は、カッコ悪く足が震えてしまっていた。
「そ、その……ですが、店内でのWeb会議は」
「あ!? なんだって!?」
そう更に凄まれた時だった。
「なぁ、さっきから煩いんだけど」
大きくはないのにその場の空気を切り裂くような鋭い声が上がった。
振り返ると、丁度男のすぐ後ろに座る若い男性客が、男の方を睨んでいた。
多分、俺より少し上、大学生だろうか。清潔感のある格好でパッと見かなりのイケメンだ。
「なんだと?」
今度はそちらに身体を向けた男に、そのイケメンは億劫そうに立ち上がった。
イケメンも長身で、目線は男とほぼ変わらなかった。
「ここはカフェで、あんたの仕事場じゃない。あんたのデカい声のせいでみんなが迷惑してんの、わからない?」
「ぐっ」
男はそこではじめて自分に向けられている多くの冷たい視線に気付いたようだった。
イケメンの冷静な声は続く。
「あと、あんたがベラベラと喋ってくれたお陰で、今あんたが話してる相手先の会社名も名前もわかったし、これ以上その大事な会議とやらを続けるつもりなら相手先に電話するから。なぁ、N社の鈴木さん」
「!?」
名指しされた男は流石に青ざめ、イケメンに背を向けるとそそくさとパソコンを閉じバッグに仕舞い始めた。
そしてそのまま逃げるように店を出て行ってしまった。
パチパチと上がる拍手。
「よっ、カッコよかったよ兄ちゃん!」
「素敵だったわー!」
俄かに店内のあちこちからそんなあたたかい歓声が上がった。
俺もそんな彼に慌てて頭を下げた。
「あ、ありがとうございました。助かりました!」
「……」
すると彼は俺の顔をじっと見つめた。
なんだろうと首を傾げると、すっとその視線は外れ彼は席に座り直した。
そして。
「別に。うるさかったので」
そう、クールに答えたのだった。
「ガチでメロかったぁ……」
昼休み。
学校の屋上でいつものメンツと弁当を広げていた俺は、良く晴れた秋空を見上げながら呟いた。
「なんだあれ、二次元か。俺が女だったら確実に惚れてた」
そこまで言ってから俺は視線を友人らに戻した。
「いや、男でも惚れるってあれは」
すると友人らはどっと笑った。
「わかったわかった。お前がそのクールイケメンに惚れたのはよーくわかった」
「大学生だっけか?」
「わからないけど、多分そのくらいだと思う」
「俺も今度お前の店行ってみよっかな。見てみたいわそのイケメン」
「マジで見て欲しい。また来てくれるかなぁ……」
そう言ってもう一度澄んだ青空を見上げたときだった。
「見つけた」
そんな覚えのある声がして見れば、屋上の扉のところに「彼」が立っていた。
「そうそう、丁度あんな感じの……え?」
指差した手が固まる。
……幻覚だろうか。
真っ直ぐにこちらに向かって来る彼が、昨日助けてくれたあのクールイケメンに見える。
でも彼は一年生のネクタイをしていて。
彼は俺の目の前まで来ると、俺を見下ろし言った。
「ちょっと時間いいですか?」
「あ、はい」
思わず、俺はそう呆けたように返事していた。



