大正道楽事件簿

カフェのドアが開き、浮かない顔をした明が入ってきた。

「おや、どうした明。見合いが失敗したのかい?」

読んでいた新聞を畳みながら、九条伯爵家の末息子、晴人《はるひと》は言った。

「……そうじゃない」

「じゃあ、うまくいったのか?」

「そうとも限らないけど……」

自分でも分からないのだと、明は顔を歪めた。いつもの人懐っこい笑顔は見られず、帝都を牛耳る銀行家、田村家の子息という余裕もどこかに消えていた。

「……田村様。お疲れ様でした」

マスターが気を利かせ声を掛ける。

「晴人、なんとなくお前の苦労がわかったような気がするよ」

明は、げんなりしながら晴人の向かいの席に腰を下ろした。

「それはどうも。僕も好きで、伯爵家の子息などやってるんじゃない……と言うことがわかってもらえたようだね」

言う晴人へ、明は力なく頷いている。

「家同士、体面って、なんだよ」

明は、大きく息を吐くとテーブルに突っ伏した。

「まあ、面倒だけどね。慣れるとそれなりどうにかなるものさ」

「どうにかなると言ってもだなぁ!」

明が、愚痴る。

「あら、田村さんずいぶん荒れてるわね」

ドアが開き、こつ、こつ、と細い靴音が店に響く。

女性がまっすぐ晴人と明の席へ向かってくる。

クロッシェの下からのぞく断髪。光沢のあるサテンのワンピースが、歩くたびに細かなプリーツを揺らしている。

「おや、雅子どうしたんだい?」

「ちょっと田村さんのお見合いが気になって……」

雅子は、ふふっと笑うと明をちらりと見た。

「はあ?なんで雅子さんが、俺の見合いのこと知ってんだよ?!」

明はがばりと起き上がると、晴人に食ってかかる。

「あらっ、私たち婚約者だからそれくらい知ってるわよ」

何気に雅子は言うが、明は、

「……筒抜けかよ」

と、晴人を恨めしそうに見た。

「暇だったからな。雅子に話した」

「暇だったからって、晴人!」

「別に構わんだろう?後ろめたいことでもなし……」

「……そうなんだけどな……」

明はそこまで言うと、はあと息をつき頭を抱えた。

「……日曜日に、二人で出かけることになったんだ」

「あらまっ!」

雅子が驚く。

「めでたいじゃないか」

晴人も、どことなく嬉しそうだった。

「二人共、他人事だと思って……」

聞けば、家同士の体面がどうのと、見合い話を進められているらしい。次は二人で出かけてこいと、押しつけられているのだとか。

「見知らぬ令嬢と、どこへ行けって言うんだよ」

明は、ほとほと困っている。

「じゃあ、最近できた帝都庭園へ行ってみたら?アベックに人気なようよ?」

「人気なようよって、なんで田上伯爵家のご令嬢がそんな俗なことまで知ってんですか?雅子さん、深窓の令嬢でしょう!」

「ふふふ、伯爵家の面子ってものがあって、私、田上雅子は、深窓の令嬢ということになってるだけよ」

どの家でもそんなものと、雅子は明を軽くあしらった。

「あーー!また、体面かよっ!」

ほとほと参ったようで、明は、再びテーブルに突っ伏した。

「よし、暇だから、付き合うか」

晴人が、雅子を見る。

「でも、人の恋路を邪魔するのも……どうなの?」

雅子は慎重に言った。

「い、いや!来てくれ!是非に!!二人っきりはもたない!」

明は、がばりと起き上がり、晴人と雅子をすがるような目で交互に見る。

「もしかしたら、二人が来たお陰で相手側も機嫌を損ねるかもしれない!違うか?!晴人!」

そして、明は一人で納得した。

「あら、お見合い、まとめたくないの?田村さん」

雅子が不思議そうに言う。

「君も婚約者がいてもいいと思うのだが?」

晴人も首を傾げている。

「上級軍人の娘なんだよ。そんな家と繋がったら、今みたいな自由はなくなるだろう?」

お硬い家柄の令嬢と縁を結べば、暇だと言ってぶらぶらできなくなると明は青ざめている。

「……なるほど。それは困るな。退屈しのぎの相手がいなくなるのも考えものだ」

ふむ、と晴人は頷く。

「えー、そこなの?!田村さん?!ぶらぶらしたいから、お見合い断るつもり?!」

「いや、雅子さん。そういう訳じゃなくて、なんというか、とにかく、俺には、見合いだ、結婚だなんて早いんだ!」

「えー?!なんなの」

雅子が、明へ突っ込む。

「まあ、雅子、そう言わず。明は、まだ今の生活を守りたいだけなんだろう」

晴人がくすくす笑っている。

「さすが晴人!わかってるじゃないか!」

「何言ってるの?!つまり田村さん?私たちを使って、断られるように、しむけるつもりなのね?」

雅子は半ば呆れながら、明を責めたてた。

「まあ、そうなる。ご機嫌を損ねてもらえれば、断りが入るだろう?」

明は、晴人と雅子へ訴えて来る。

「そう上手くいくものかしら?」

「さあな、相手側というか、家次第じゃないのかい?」

呑気に言う晴人へ明は、はっと息を飲む。

「えー!結局体面ってやつかよ?!」

がっくりと力なく再びテーブルへ突っ伏した明を見て、晴人と雅子は顔を見合わせた。

「でも、面白そうじゃない?ダブルデート」

雅子が晴人に目配せする。

「え?ダブルデートって?」

「あら、田村さん知らないの?」

雅子の問いに明は素直に頷く。

「二組のカップルが一緒にデートすることよ」

四人一緒に出かけるのだと雅子が明に説明してやる。

「へえ、なんたかハイカラというかモダンだな」

「ヨーロッパにいた頃は私もよく誘われたわよ」

雅子はヨーロッパ遊学を懐かしむかのように目を細めた。

「えっ?!雅子さん、晴人の前でそんな話していいのかい?!」

「いや、かまわんよ。雅子の過去は過去。それなりにおてんばなことをやってたんだろう。」

晴人は、別段誰と雅子がデートしていたか気にならないようですましている。

「なんか、二人の関係は良くわからないんだが」

いつものこととはいえ、明は呆れている。

「私たちのことより、田村さん、自分のことでしょう?」

雅子が詰め寄る。

「そうだな……。まずは日曜日のことを決めないと」

晴人が、乗る気になっている。

「そうね、せっかくだもの。色々行きたいわ!」

「……まあ、そこは二人に任せる」

やる気になっている晴人と雅子に押されて明は小さくなった。