大正道楽事件簿

「晴人!なんか、俺、混乱して来た!」

手紙に目を通した明は、困惑を隠しきれない。

「何だよ!これ!」

「まあ、見た通りという訳だ」

晴人は妙にあっさりしている。

「待って!私にはさっぱり分からないんだけど!」

側で雅子が愚痴る。明だけ手紙を読んでいるからだ。

「ああ、雅子、君も知りたいかい?」

「そりゃあ、知りたいわよ!」

すねる雅子に晴人は、

「まあ、してやられたというところかな」

ふっと、何がおかしいのか晴人は微笑む。

「そんな笑う余裕、よくあるなあ」

明の苛つきに、まあな、と晴人は答えるが、マスターにコーヒーを注文した。

「いや、コーヒーなんか!」

じれる明に晴人は、

「ちょっと複雑な話になりそうだし、コーヒー片手に語り合うというのがいいんじゃないのか?」

などと、相変わらず余裕を見せた。

「まあいいわ。じゃあマスター!私もコーヒーのおかわりを!」

雅子は、すっかり話を聞く体制を整えている。

うん、と、晴人は頷くと、ゆっくりと事の顛末を語り始めた。

「……つまり、中村達夫は、彼女の夫の名前で、明と訪ねてた時に出てきた男が、中村達夫本人だったんだ」

「なるほどなあ。って、はあ?俺、まだよく分からないんだけど」

「田村さん、相手からの手紙読んでるんでしょ?」

困り切る明に、雅子が言う。

「……手紙には、夫の名前を借りたと書いてあったな……」

明は、自分なりに整理しようと考え込んでいる。

「そう、彼女、中村達夫の妻は夫のふりをした……理由は、行きがかり上というべきか、俺から手紙が届いたからか……」

「まあ、そこよ。わからないのは。なぜ、夫の手紙を妻が受け取るの?なぜふりをしていたの?」

雅子が身を乗り出す。

「手紙によると、夫に揶揄されたらしい」

「……女だてらに哲学書を読み漁るなどと……らしいぜ?」

明が手紙を読み上げた。

「はあ、なんだかまどろっこしいわね。私にも手紙を見せてよ!」

「ああ、構わんよ」

晴人の一言に、明は雅子へ手紙を渡した。

受け取った雅子は、しばらく黙って手紙に目を通した。

「……なるほどね」

言って、晴人へ手紙を差し出す。

「つまり、夫である中村達夫に、女が哲学書なんてと揶揄された。きっと、口論になったのでしょうね。そして、夫はそんな本が目障りだと言い放つ。よくありそうな話だわ」

やれやれと、雅子も何か思い当たる節があるのか、肩をすくめた。

「……なんだか、彼女の気持ちもわからなくはないわね。その後、仕方なく書物を古本屋に処分した。夫といさかいを起こしたくないものね。でも、好きだったものを取り上げられて、悔しかったでしょうね……」

「そうだろうね。だから、とっさに、本に中村達夫と署名したのかもしれないな……」

晴人はそっと言うとコーヒーを一口飲んだ。

「ねえ!彼女、誰かと繋がり持ちたかったんじゃないの?本には書き込みがされていた。それを見て、気がついてくれる人を探していたんじゃない?」

「それは、雅子、君の考えだろ?真意は分からんよ」

雅子の推理に晴人は即釘を差した。

「ああ……で、思いがけず晴人から手紙が来たもので、引くに引けなくなって、中村達夫の名前で文通してしまったと……」

明も、やっと分かったとコーヒーをすする。

「そういうこと」

文通相手、中村達夫の妻は、まさか晴人が会いたいと言って来るとは思っていなかった。しかも、断ったにも関わらず、家へ押しかけてきた。

とっさに、夫に文通のあらまし、名前をたばかっていた事がバレてはと、晴人たちを追い返そうとしたが、夫が出てきてしまった。

そして、知らぬ存ぜぬで通しきったという訳だ。

「流石に、追い返したままでは気が咎めたのか……こうして種明かしの手紙が届いたという訳だ」

晴人が、話をまとめる。

「なるほどなあ」

明もやっと納得したようだ。

「それで?」

雅子が意味深に晴人を見た。

「あなたどうするの?」

どこか嫌味毛のある笑みを雅子は浮かべていた。

空々しいそれに晴人も気がついたようで、

「……何もしないさ。もう文通も終わったことだし……」

素っ気なく言いながら、懐を弄りタバコを出した。

「……落ち着かないのね?」

ふふふ、と雅子は笑いながら灰皿とマッチを用意してやる。

「別に……」

煮え切らない晴人の返事に明が眉をひそめた。

「……晴人。手紙の最後にも文通は終わりだと書いてある。それに、悪いが、たかだか本についての感想を言い合ってる、それだけだろ?」

と、なぜか強い口調で明は晴人を責め立てる。

「まあ、それを討論というんだけど。ハマるとやめられないわよね?」

雅子は明の口調を追うように、やや、からかい半分で晴人を見た。

「ああ、わかっている!相手は人妻だからね」

晴人は、声をあげる。明と雅子へ抗議するかのように。

「そうだぜ!晴人!誰と文通しようが構わないけど、相手は人妻だ。それも夫を騙してるわけだろ?まずいぜ?」

そこまで言って、明は、晴人をしっかり見た。

「なあ、もし、このことが夫、中村達夫にバレてみろ。何もないとは分かっているが……何か夫に勘ぐられたら……」

「厄介なことになるのは分かっている」

言って、晴人はタバコを咥えると、マッチを擦った。

「雅子さん!」

「わかってるわよ。田村さん。まさか人妻だとは思ってなかったのだから。私は、嫉妬も何もしていないわよ?」

平然と落ち着いている雅子に、明も安心したようで、再び真顔で晴人を見た。

「晴人!とにかく、もう手を切れ!くどいが夫にバレてみろ!」

「そうねえー、姦通罪だなんだって訴えられるかもしれないしね」

雅子が、意地悪く口角を上げる。

「いや!雅子さんっ!」

明が、洒落にならないと慌てた。

「ふふ、冗談よ」

言って雅子は、すました顔でコーヒーを飲んだ。

「……観劇をすっぽかされた事、覚えてる?」

そして、少し上目遣いで雅子は晴人を見る。

「それで、手を打つわ……」

それだけ言うと、素知らぬ顔でまたコーヒーを飲んだ。

「そうだ!そうだ!晴人!雅子さんと観劇へ行け!浅草オペラだ!」

「それは、田村さんと行ったもの」

笑いを堪えながら雅子は首を傾げている。明の動揺が、あまりにもおかしかったのだ。

「……観劇か。それもいいな」

晴人は、灰皿にタバコの灰を落としながらポツリと言う。

「そうしとけ!晴人!悪いことは言わない!」

「あら、観劇って、悪いことなの?」

「いや、そうじゃなくって。雅子さん!!」

返事に困っている明に、雅子は声をあげて笑った。