大正道楽事件簿

「つまり、こちらから押しかけるんだよ」

明は、ニタリと笑った。

仮に嫌われてるなら、会いに行って追い返されても文句はあるまい。単に気後れしてるだけなら、押しかけて行くのも、一つのきっかけになる……。というのが明の言い分だった。

このまま、うやむやにするなと言いたいようで──。

「しかし、強引すぎはしないか?」

「だから俺がいるんだろう?」

気弱なことを言う晴人へ、明が言い返す。

「ちょっと近くまで来たって、押しかけりゃそれでいいのさ。俺がいる。中村とやらもそう強く出れないだろう?」

二人で訪ねれば、相手も下手に出るだろうし、言葉通り、近くまで来たついでにも見えるだろうということらしい。

「そう簡単に……」

晴人が、明を押し留めるが、

「だから、そこまで気にするもんじゃないって」

明は、引かない。

「なんだか、今回は妙に弱気だなぁ」

晴人の煮え切らない態度に明はごちた。

「俺だったら、そうする。とにかく、会ってみるけど?それで、嫌われてるかどうか分かるだろ。少なくとも相手の人となりは分かる」

「まあ……そうかもしれない」

「そうなんだよ!晴人!お前らしくないぞ!」

ああ、と晴人は気のない返事をした。

「そうと決まれば、今度の日曜日、決行だ!早い方がいいだろ?」

日曜日なら、相手も家にいるだろうという明の読みに、晴人も渋々頷いた。

そして──。

晴人と明は、神田旭町の中村達夫の家の前にいる。

とはいえ、番地が分からない二人は、神田旭町の家を一軒一軒見て回った。

やっとのことで、中村達夫の表札を見つけた時には、昼を少し過ぎていた。

「しかし……番地が分からずとは盲点だったな」

明が、息も絶え絶えで言う。

「ああ、神田旭町、中村達夫で、郵便は届いていたし相手も特に番地を記載していなかった」

晴人も、どこか疲れた様子で明へ説明した。

「いやまあ、とにかく見つかったんだ。よかったじゃないか」

はあと、明は息をつくが晴人は黙ったままだった。

「おい、行くぞ。やっと見つけたんだぞ?」

「ああ……」

答える晴人はどこか慎重になっている。

「まさか、帰るとか……」

明が、眉をひそめた。

「いや、ここまで来たのだから……中村君に会って行くよ」

晴人は、玄関にかかる、中村達夫と書かれた表札を仰ぎ見た。

「じゃあ、行くか。わかってるな?偶然通りかかったんだぞ?俺たちは」

念を押す明に、晴人は頷く。

「ごめんください」

晴人は、玄関に近づくと声をあげた。

反応はない。

「ごめんください!」

今度は、軽く玄関の硝子戸を叩いてみる。

すると──。

はあい、という返事と共に「どちら様で?」と女の声がした。

家の奥から人が出てくる気配がして、玄関が開かれた。

細面の色白な婦人が現れる。

「あ、あの、九条と申しますが、中村達夫さんのお宅ですか?」

晴人が、静かに婦人へ問いかける。

「九条……」

そこまで言って婦人は、黙り込む。

「あの、失礼ですが、奥様ですか?ご主人様に九条晴人が来たと取り次いで頂けませんでしょうか?」

晴人は、朗らかに婦人へ取次を頼む。

おそらく、前にいるのは、中村達夫の妻だろと読んだ晴人は、いたく丁重に接したのだが……。

「……失礼ながら、どちらさまですか?」

と、どこか棘のある返事をされてしまう。

「おい、晴人」

明が、晴人を小突く。

「あっ、失礼しました。突然お邪魔して……。ご主人様と文通をしている九条と申しますが……。お取次ぎ願えるとわかるかと……」

しかし、妻だろう婦人はいたく不機嫌で、

「……夫にはそのような知人はおりませんし……あいにく不在です」

と、冷たく言い放った。

そのあまりにもぞんざいな態度に、

「あっ、近くに別の用事があって……それでこちらへ……」

と、明も口出しするほどだった。

どこか不穏な雰囲気に、晴人と明は次の手がないとお手上げ状態になる。

しかし、ここまで来たのだ。何かしら、証のようなものを残したい。

晴人は粘り、

「では、ご伝言を」

と、訴える。

「いえ、その必要はございません。見知らぬお方から何の伝言でしょう……」

か細くはあるが、なかなかキツイひと言に晴人は返す言葉がなかった。

そこへ……。

家の中から、だみ声がして、玄関に男が向かって来た。

四十絡みの厳つい男が、不審そうに晴人と明を睨みつける。

「佳子、なんなんだ?!」

「いえ、何でもありません」

「なんでもないやつが、なんでいるんだ?!」

男は声を荒げ、晴人と明を更に睨む。

「ああ!中村君だね?!九条だ!突然押しかけてきて済まない!」

晴人は、おそらくこの男が文通相手の中村だろうと、顔をほころばしながら呼びかけた。

「九条?なんだ、お前は?押し売りなら帰れ!日曜にまで来やがるのかっ?!」

しかし、返ってきた言葉はあまりにも無作法なものだった。

「あっ!あの!人違いかも!」

とっさに明が言った。

「すみません。神田旭町に、中村さんって他にも?」

明の問いに、中村であろう男は、チッと舌打ちしながら、ああ、と答えた。

「あー、これは失礼しました。中村違いでしたか!」

ははっと笑いかけながら明は、その場を取り繕う。

「人違いなら、さっさと帰ってくれ!」

怒鳴り声に近いダミ声と共に、晴人と明の鼻先で、玄関の硝子戸はピシャリと閉められた。

「おい、晴人」

呆然と立ちすくむ晴人を明が引っ張る。

長居は無用だと言いながら。

「……しかし」

口ごもる晴人に、明も不思議そうにしている。

確かに、表札には中村達夫と書かれてある。

この家に間違いないはずなのに、住人は晴人を知らないと追い払った。

「……どうなってるんだろう?」

晴人は、何が起こった分からないとばかりに、珍しく動揺していた。

「……人違い……なのか?」

明も、どこか納得がいかないようだ。

「ひょっとして、人見知りだから、追い返した?!」

と、言うものの、そんな訳はないと明は、首をひねっている。

「ひとまず……帰ろう。もう、ここにいても仕方ない」

「いや、晴人!他にも中村達夫っているのかも!」

明が言うが、晴人は首を振る。

「ならば、番地なしでどうして手紙のやりとりができる?つまり、神田旭町に中村達夫の家は、一軒しかないということだろう?」

「……やはり、探していた家は、ここか」

うんと、晴人は明へ頷く。

「じゃあ、どうして晴人の事を知らなかった?」

あの様子は本当に知らない相手としか言いようがない。人見知りだからで追い返したのではないだろう。

「……とりあえず帰ろう。いつまでもここにはいられない」

静かに晴人が言った。