大正道楽事件簿

程なくして松林が見えてきた。

その中を抜けると海岸への近道になるのだが、月明かりだけでは足元が悪い。

「しまった、灯りを持ってきていない……」

「そうだ!晴人。何かが足りないと思っていたんだ!」

晴人に追いついた明が、言いながら息を整えている。

「ああ、屋敷から持ってきていなかった……」

大事なことに気がついたと、晴人は立ちすくんでいた。

「いや、そうじゃなくて!だからな、田村家の別荘にも灯りぐらいあるんだがっ!!」

明がヤケになっている。

「いや……そんなに世話になってもいけない。用意できるものは用意しなければ……」

「お前、遠慮してたのか?!」

晴人の呟きに、明は気がついた。持ち込んできた荷物は晴人なりの気遣いだったのだと。

「あのなあ、水くさいぞ!なんでも俺んちのもの使っていいんだよ!」

「……世話になるのに、そこまで甘えられないだろう……」

「ああーー!お前、なんか、面倒くさいなぁ!」

晴人の真意を知った明は、思わず吹き出していた。

どこまで融通が効かない男なのだろうかと……。

「ここまで来て、灯りを取りに戻るのも何だし、月明かりで何とかやり過ごすか!」

どこかしょげている晴人へ明が発破をかける。

「ああ……そうだな……。月明かりがある。しかし、料理人は、足が速いな。姿が見えなくなった」

薄明りでも歩みが速いのは、土地勘があり慣れているからか。そう、晴人が言いかけて黙り込んだ。

先の松林を凝視している。

「おい、どうした?」

「いた……」

晴人の視線をたどるように明も先を臨んだ。

松林の中で人がうずくまっている。

いや、料理人がしゃがみ込み何かをしていた。

「あれ?井上さん、何してんだ?夜釣りじゃなかったのか?」

「……そもそも、料理人は竿を持っていなかった……夜釣りと決めつけたのは短絡的だったな」

晴人は、おい!と料理人へ声をかけ歩み寄る。

「いや、待て、晴人!」

明は、慌てて後を追った。料理人はもう別荘を出ている。いわば自由の身。夜道で何をしようと勝手なのだ。それを主人面して追いかけても良いのか?

明はそんなことを思いつつ、晴人を引き止めようとした。

すると──。

にゃあ。にゃあ。

猫の鳴き声がする。

よくよく見れば、料理人の側には猫がいた。それも何匹も。

「うわっ」

晴人が、驚き歩みを止めた。猫が数匹足元に纏わりついている。

「おっと!」

どこから来ているのか、明の足元にも猫がいた。

「なんたこれ……。猫祭りかよ!」

明が言ったそばから、あっと声がする。

料理人が、二人に気が付きこちらを見ていた。

そして、すぐに立ち上がると、「申し訳ございません!」と、叫びながら頭を下げた。

「えっ?!井上さん?!この猫は?」

どう見ても十匹は下らない。

「……猫が子供を生んで、増えたんです」

料理人は、ポツリと言う。

「あっ、別にさ、構わないんだけど、なんか話が見えてなくて……というか、晴人と夜釣りに出てきただけで別に付けて来たわけじゃないから……」

料理人の神妙さに、明は、しどろもどろになる。

「料理人……」

晴人が、何かに目を留めた。

「いや、晴人!井上さん、猫に餌やってただけだろうがあ!」

「いや、だから、その餌が問題なのだ」

「は?」

晴人に言われ、明は目を凝らした。

風呂敷が広げられ、油紙に包まれた料理の残りらしきものと魚が見えた。

「あ!もしかして魚?!」

「そうだ明。俺が釣ったアジだ!」

晴人のひと言に、料理人は更に頭を下げて、申し訳ないと謝り続ける。

「つい、出来心で。立派なアジでしたので……」

「で、猫の餌に横流ししたってこと?!」

明が、素っ頓狂な声をあげた。

「そうだ。だから計算が合わないと言ったんだ」

晴人は真剣だった。

「いや、晴人、猫も喜んでるしというよりも、こんだけいたら……そりゃアジに目がいくわ」

まずは落ち着け、機嫌を直せと明は晴人を説得する。

「いや、怒ってはいない。ただ計算があわなかったのが不思議だったのだ……。しかし、謎は解けた」

「というか、晴人。お前の言った通り、だったんだな。魚は少なかったんだ」

言って明は笑った。

「本当に申し訳ございませんでした。九条様がお釣りになった魚を勝手に……」

ただ、料理人には罪の意識があるようで、ひたすら謝り続けている。

「……料理人、お前も来い。これから夜釣りだ。魚は連れても明日までは持たない。猫に与えるといい」

「おお、晴人、そりゃいいや。今から釣っても、まさか井上さんに料理も頼めないしな。釣った魚を無駄にするのは惜しい」

うん、と、晴人は頷いて、さっさと歩き出すと海へ向かった。

「あ、明様!」

料理人が、すがるような目つきで明を見た。

「晴人のことは大丈夫だ。あいつは、元々ぶっきらぼうなところがあるからな。あんなもんさ」

何も、誰も怒っていないと、明は料理人を安堵させる。

「あ、ありがとうございます!」

料理人は、めいっぱい頭を下げた。

こうして……。

晴人は夜釣りを堪能し、猫たちは魚を堪能したのだった。

翌日。晴人と明は長谷部が手配した漁船に相乗りしていた。

「いやあ、漁師のおっちゃん。すまねぇな。無理言って乗せてもらって」

明が、漁船の持ち主の機嫌を取る。

「いやあ、田村様にはこの町もお世話になっていますから」

「もし、俺らのせいで水揚げ減ったら、こいつに賠償してもらえばいいからなーー」

明は、おどけて漁師へ笑いかける。

「なにせ伯爵家のご子息だ!」

「ひえぇ、は、伯爵様!!」

漁師は腰を抜かす勢いで驚いている。

「まったく余計なことを……」

晴人は、明の軽口に呆れた。

「しかし、沖釣りというのもいいもんだな」

「そうだろう?まさか船が出せるとは思っていなかった。というか、田村家の底力さ。伯爵家に負けていないだろ?」

「また、馬鹿なことを……」

言いながらも晴人は、ご機嫌だった。

「じゃあ、釣りますか!」

明も晴人の隣で糸を垂らす。

「その竿は?」

「あ?別荘にあった竿。源爺に出してもらった」

「なんだ、一通りの物はあるのか……」

「当たり前だろ?田村家の別荘だぜ?」

明が自慢気に鼻で笑う。

「では聞くが、田村家は今回のことどう処理するつもりだ?」

「……今回のこと?」

「猫だよ」

あれだけの猫。料理人一人の力で世話するのは限界だろう。

だから、晴人が釣った魚が狙われたのも無理はない。

「あっ、それね。源爺に頼むつもりさ」

「管理人に?」

「源爺、将棋も強いけど、釣りの腕も一流なんだ」

長谷部に魚を釣らせて猫に与えれば良いと明は言った。

「そうか……」

「安心したか?」

「いや、俺はただ……」

「猫のことが心配なんだろ?」

明は、にやりとしながら晴人を見る。

「別に……」

晴人はそっけなく答えるが、突然叫んだ。

「明!引いているぞ!大きいぞ!」

「え?!ほ、ほんとだ!これどうしたらいいんだよっ!」

「落ち着け!言う通りにしろっ!」

「おお!晴人!頼んだぞ!!」

明は、竿を握るので精一杯だ。

「うん、これは大きい。猫の餌にもなりそうだな」

晴人は余裕で笑っている。

その隣で、明は、おい、おい、と、晴人に頼るばかりだった。

秋の海風が通り抜けていく。日が二人を優しく照らしていた──。