大正道楽事件簿

約束通り九条伯爵家へ友の晴人《はると》を迎えに行った明は呆然とした。

「おい!晴人!なんでお前も車出しているんだ?!」

三日間、明の家、銀行家田村家所有の別荘で過ごそうというだけなのに……。

晴人は車にギッシリ荷物を積み込んでいる。一体何日滞在するつもりなのだろう。

「この荷物だ。君の車では埒が明かないだろうと思ってね。我が家の車を出すことにした」

晴人は、端正な顔だちにゆるりと笑顔を浮かべている。

「いや、三日だぜ?」

ひと月滞在するのかと明は言いかけたが、晴人はお構いなしで言う。

「君の車に俺は乗るよ。後からこちらの車をついてこさせればいい」

「まあ、そうなんだろうけど……」

それなら現地で落ち合えばよかったのではと明は一瞬思いつつ、仕方なく晴人の提案を受け入れた。

──事の発端は、田村家の茅ヶ崎にある別荘の改修だった。

夏に使ったときに、老朽化を見つけ、ついでだからと客間を洋室へ改装したのだ。

大正も半ばを過ぎると、茅ヶ崎は別荘地として栄えていた。天下の帝都銀行を持つ田村家として、古びた別荘のままでは世間体も悪いということで、手を入れたのだ。

そして、改築後の様子を見に行けと、明が兄に申し付けられた。理由は、一番暇だから──。

こうして、一人では退屈と晴人も誘ったのだが、伯爵家子息のお約束なのか何なのか、晴人は別荘滞在を堪能するために、万全の用意をしていたというわけで……。

たかだか三日のために、車一台分の荷物が発生していたのだった。

「とにかく、お前のおかげで退屈はしないと思う」

車の中で、明は晴人に言う。

「準備は万全だからね。退屈することはなかろう」

晴人は明の隣で不敵な笑みを浮かべている。

「ああ、なんだ。お前がいればどうにか退屈しのぎはできると言う訳だな」

「せっかくの茅ヶ崎だからね。ゴルフでもして楽しもう」

「い、いや、晴人。庭で素振りはできてもだなぁ。そもそも茅ヶ崎にゴルフコースはないぞ?」

「……それは?どういうことだね?」

「どうもこうも。だから、ないんだよ」

「……」

呆然とし固まる晴人へ、明は申し訳なさそうに頷いた。

「ああ、庭があるから……なっ?!」

すぐに明は、黙り込む晴人の機嫌を取った。

「君の別荘の庭はゴルフコース併設なのか?」

「いや、コースほどじゃないけど、ちょっとした広さはあるぞ?素振りにパターの練習ぐらいは余裕でできる!」

「……」

「……だから、機嫌を直してくれよ!っていうか、俺、なんでお前の機嫌とってんだよ!」

「……」

晴人は、黙ったままだった。

「いやまあ、ゴルフができなくても、他にできることはあるはずだし……」

「……では、茅ヶ崎には何があるのだ……」

晴人が弱々しく言った。

「うん!海と松林だ!」

風光明媚だろうと明は言いかけ、ハッとする。

季節は秋。

海水浴の時期は過ぎている。

「あっ!泳げなくても、景色はいいぞ!」

明は懸命に言い訳のような事を言う。

「……海か」

晴人がポツリと言った。

「そう!海だ!海岸を散歩するのも気晴らしになる!」

「……いや、釣りだな」

「え?晴人、釣りも趣味なのか?!」

暇だけがとりえの晴人は何にでも首を突っ込む。それだけに多趣味なのだが、釣りを行うというのは明も初耳だった。

「釣り竿は用意してある」

特注で作らせた一点物だと晴人は言った。

「もちろん。擬餌針もある」

「擬餌針?」

釣りに疎い明は聞き慣れない言葉に聞き返す。

「魚の餌に似せた針だ。いくつか種類を持ってきた」

「なんだか分からんが、用意周到だな」

だからあの荷物量なのかと明は妙に納得する。

「別荘にまで来て暇を持て余すわけにもいかんだろ?」

晴人は真剣に言い張った。

「いやまあ、そうだが、そうなりゃあ、酒盛りでもやればいいだろう?」

「ああ。そうなるかもしれんと思い、ウイスキーも持ってきた」

「……晴人。お前、どんだけ本気なんだよ」

準備万端の晴人に、明は半ば呆れた。

「別荘は辺鄙だからな。帝都と同じ設えではいけないだろう」

晴人なりに考えがあるようで、荷物の多さを正当化し始める。

「ああ、わかったから!」

明が、晴人の言い分を持て余していると、車窓の景色が変わり始めた。

帝都の賑わいを離れ、のどかな風景が広がっていく。

「おい、晴人、もうすぐ茅ヶ崎だな」

明がそう言うと、晴人は窓の外へ目を向けた。

「皆がこちらを見ているのだが?」

確かに。

通行人は、何事かと車を見ている。

「……まあ、二台車が連なって走ってるんだ。目に留まるだろう」

「なるほどな」

晴人は、明の説明をどこ吹く風で聞き流し、窓から景色に見入っている。

車は順調に進み、やがて松林が見えてくる。どこからともなく磯の香りも流れてきた。

波の音が聞こえ、海が見える。

茅ヶ崎に到着したようだ。

「ここまで来たらあと少しだ」

明が言った。

「そうか。海が思いのほか近い」

「だろう?帝都とは大違いさ」

少し驚く晴人に、明は自慢げに答える。

そして、車の速度が落ちていく。

土塀に囲まれた瀟洒な二階建ての建物がある。

「着いたぞ!晴人」

「うん、そうか。立派な別荘だな」

「まあ、お前の家とは違って和式だが、風情はあるってもんだ」

「ああ、そのようだ」

車は、吸い込まれるように敷地内へ入ると、前庭を抜けて玄関前の車寄せに止まった。

「これはこれは。遠路はるばるようこそお越しくださいました」

管理人らしき、少し猫背の老人が出迎えてくれた。