生き神様は籠の鳥

しばらく部屋の中で言葉を交わしていると、渡り廊下の方からギシギシ……と固い床を踏み鳴らす重い足音が近づいてきた。

足音は迷いなくこの部屋の前でぴたりと止まる。

「おぅい、そこに誰かいるのか?」

​固く閉ざされた戸の向こうから、少し低く落ち着いた男の声が響く。

「誰……?」

私が警戒しながら尋ねると、男は少し息を吐きながら答えた。

「俺は今日ここに来た旅の者だ。昼間、生き神の神託を受けたが……」

「あ……あの昼の旅人さん」

「他に誰かいるか?神職達は帰ったようだが……」

「山にマレビトが入ってきた晩は、村の人は誰も山に近づいちゃいけない決まりなんです。山に招かれた大事な客人だからって……」

「……なるほどな」

​旅人は納得したように、少し考える間を置いた。

「じゃあ、俺が山を下りようとして神職達に止められたのは、その決まりのせいか?」

「……多分、そうだと思います」

ガチャガチャ、と外から旅人が戸を開けようとする金属音が響く。

しかし、神職達が外からしっかりと掛けた頑丈な鍵は、ビクともしなかった。

「鍵がかかっているな。なぁ、鍵の場所に心当たりはあるか?」

その問いに私は「いいえ」としか答えられなかった。自分が閉じ込められている部屋の外の鍵の場所なんて知る由(よし)もない。

「鍵の場所は知らないか……」

​旅人は弱り果てたように深くため息をつき、重い戸に背をもたれかけさせた。

「そうだよなー、鍵の場所を知ってたら、とっくに自分で開けてここを出てるはずだもんな。変なこと聞いて悪かったよ」

途方に暮れる旅人の声を聞いていると、何も役に立てない自分の無力さに申し訳ない気持ちで胸がいっぱいになった。

​その時、ポン、と私の足元に小さな手毬(てまり)が転がってきた。

​見れば、いつの間にかカタクリが部屋の隅にあった古い木箱から取り出してきた物のようだ。
色とりどりの糸で編まれた、少し色あせた手毬。

「……?」

​私が首を傾げると、カタクリは何食わぬ顔で、押し戻されてきた手毬をもう一度こちらへ向かって軽く転がした。
​コロコロ……と畳の上を転がる。

​私も同じように手毬をカタクリの方に転がした。

コロコロ、コロコロ……。

​静かな部屋の中に、手毬が畳を転がる小さな音だけが響く。

旅人が戸の外でため息をつく音と、部屋の中で手毬が畳を転がる音が重なり合う。

​​私はカタクリの意図がまったく分からず、また手元に転がってきた手毬を、困惑しながら転がし返した。
彼はいったい何がしたいのだろう。こんな切迫した状況で、昔遊んだ手毬で遊ぶなんて。

カタクリは手毬を静かに畳の上に置くと、和紙を文机に置いて周囲を見渡した。

​そういえば、墨を探しているって言っていたような……。

「墨壺(すみつぼ)に墨は入っていないの?」

「ああ、見事に空だ」

「そうなんだ……」

カタクリはしばらく部屋の中を見渡したあと、ふっと自分の腕に目を向けた。

その視線の意味に気づいた瞬間、私はヒヤリと背筋が凍る。

​(まさか……血で書く、なんて言い出さないよね?)

​あの真剣な目つきは冗談じゃない。本気で腕を傷つけかねない雰囲気に、私は焦って声を張り上げた。

​「な、何か代わりになるもの探すよ!」

​「そうか」

​急いで立ち上がり、文机の引き出しを開けたり、行灯(あんどん)の近くを見てみたり、棚の上を覗き込んでみたりする。

けれど、墨の代わりになりそうな物なんて、そう簡単に見つからなかった。

手当たり次第に棚の奥をまさぐっていると、指先に固く丸い何かがコツンと当たった。

​(これ……何だろう?)

取り出してみると、数個の柑橘の実だった。昨日、カタクリが境内の木から摘んできて放置していたやつだ。
……皮が少ししなびている。

ひとまず手渡すと、カタクリは柑橘の皮を爪で手際よく剥き、中の果汁を絞って空の墨壺へと垂らした。ほんの数滴だが、透明な汁が底に溜まる。

彼は矢立ての細い筆の先にその果汁を浸すと、和紙の上にすらすらと何かを書き始めた。書いたそばから果汁は乾き、紙の上には何も残らない。

​薄っすらと柑橘の香りがするそれを小さく折りたたんで戸のわずかな隙間へと押し込んだ。

​「……ん?なんだこれ」

​外で紙が擦れる音がして、旅人が拾い上げた気配がした。

しばらくの沈黙。

紙を開いて読んでいるのだろう。

「……白紙か?」

「え?」

旅人の思いがけない呟きに、私は「えっ、白紙?」とカタクリをバッと振り返った。何も書かれていない紙を渡してどうするつもりなのだろう。

「炙り出せば良い。火なら石灯籠(いしとうろう)のがある」

「あ、炙り出しか……!」

合点がいった。

​幼い頃、カタクリが柑橘の果汁を使って紙に絵や文字を書き、それを私が当てるという遊びをよくしてくれていた。

​汁で書かれた文字や絵は乾くと透明になり、火にかざして炙り出すまで見ることができないのだ。

​神職達からは何も書かれていない白紙を一人で見つめてウンウンと考え込んでいる不思議な光景に見えていたことだろう。

「炙り出し?確かに柑橘の香りがするが……」

戸の向こうで、旅人がガサゴソと紙を扱う音が聞こえたあと、足音が離れていく気配がした。
おそらく、境内にある石灯籠に炙りに行ったのだろう。

静かになった部屋で、私はふと気になっていたことを尋ねた。

「ねぇカタクリ。さっきの手毬って、どういう意味?」

「特に意味はない」

「あ、意味ないんだ……」

​拍子抜けして肩を落とすと、カタクリは淡々とした口調のまま付け加えた。

「……強いて言えば、手毬を転がしていればお前が罪悪感に押し潰れることもないと思っただけだ。暇つぶしにもなる」

​思いがけない言葉に、胸の奥がぎゅっと熱くなる。

自分の無力さに落ち込んでいた私を、彼は彼なりのやり方で励まそうとしてくれていたのだ。
いつも感情を表に出さないカタクリの不器用な優しさに気づいて、思わず口元がほころむ。

​そんなやり取りをしていると、外から急ぎ足の足音が戻ってきた。

「おいおい……マジかよ」

​戸の向こうから、旅人の感心したような苦笑交じりの声が響いた。

​「火にかざしたら『鍵は拝殿の文机にある』って文字が浮き出てきたぞ。半信半疑で開けてみたら……本当にあった。さすがに悪いことをしているみたいで冷や汗が出たが」

「まぁ、悪いことだろうな」

「カタクリ、しっ!」

カタクリがさらりと返した冷ややかな一言にヒヤヒヤしながら、私は旅人の反応をうかがうように戸を凝視した。

戸の向こうで、ガサゴソと金属が触れ合う音が響く。

​「あれ、開かないな。……ああ、二重鍵か。片方だけじゃ開かない仕組みになってるのか」

​旅人が困惑したように呟く声に、私は「え?」と声を漏らし、カタクリをチラリと見やった。
カタクリは表情一つ変えず、静かに指を二本立てて見せる。

「残りの鍵、どこにあるか知ってる?」

「知らん」

「えっ!?」

​あまりにもあっけらかんとした答えに、私は思わず素(す)っ頓狂(とんきょう)な声を上げてしまった。

「穴に嵌(は)め込む鍵だったのは覚えてる」

「嵌める鍵?」

「ああ」

「嵌める鍵って言ったか?鍵穴に差し込むんじゃなく、何かを嵌め込まないといけないのか?」

​戸の向こうで、旅人がガサガサと鍵束か何かをいじる音が聞こえる。

​カタクリは相変わらず涼しい顔で、自分の発言で私がパニックになりかけていることなど気に留めていないご様子だ。

「知らんって……じゃあ、なんで紙に書けたの!?」

「一つ目の鍵の位置しか知らなかったからな。だが、もう片方も似たような場所にあるはずだろう」

「大雑把すぎるよ……!」

​頭を抱える私を他所(よそ)に、戸の向こうから旅人の困惑したような声が聞こえて来た。

「えーと、つまり、嵌める鍵を見つけたら良いんだな?」

「あ、はい。そうみたいです……」