Embrace it all―夢の続きを描いて―

 梨歩にプロポーズをした日の晩。

 俺は、宿泊先のホテルの部屋でなかなか寝付けずにいた。
 プロポーズが成功した高揚感からだろうか。

 世の男たちは、この瞬間のためにいろいろと下準備やシチュエーション、タイミングを考えて、一世一代と張り切る。

 昔の俺なら、そんなものは必要ないとか、そもそも結婚すら考えていなかった。

 人生、何が起こるかわからないものだな。

 そう思った時だった。

 開けた覚えのない窓の隙間から、夜風が流れ込む。

 そして、夜風に運ばれた桜の花びらが一枚。

 俺のヴァイオリンケースの上に着地した。

 俺が花びらに触れようとした瞬間、白い光に包まれた。

「何だ……?」


   *

 これは、夢か。

 あたりは白一色。

 風が僅かに吹いている。

 そして、桜吹雪。



 遠目に、人影が現れた。

「誰だ」

 返事はないが、徐々に近づいてくる。

 俺と同じ歳くらいの、冴えない男。




――君が、亞紗斗くんか?


 その男は、俺にそういった。

「何故、俺の名を……」

 そう言いかけて、俺は悟った。



「まさか……涼平、なのか?」

――さすが。察しがいいね。

 涼平。
 梨歩の、最後まで忘れられなかった男。
 この男が。



――亞紗斗くん。

「何だ」

――ありがとう。

「何がだ」

――。



「おい」

――ぷっ。

「何故笑う」

――ごめん。あまりに俺とタイプが違いすぎるから。

「それが何だ」

――梨歩が、君を選んだのが不思議だったけど。

 涼平は続ける。


――君だから、選んだんだなって思って。

「どういう意味だ」

――こういう意味だよ。

 涼平は、小さなキャンバスを差し出した。


 そこに描かれていたのは、抱き合う俺と梨歩。

 そして、梨歩の指に光る桜の指輪と、俺が贈った指輪が描かれた絵。



――すごく、かっこ良かった。君のプロポーズ。

「見ていたのか」

――うん。

「それは、いつ描いたんだ」

――見ながらだけど。

「……すごい才能だな」

――ありがとう。

「それで、俺に何の用だ」

――用なら済んだよ。

「なら帰れ」

――え、冷たくない?

「ならそこにいろ」


――まあ、あまり時間ないから長居はできないけど。

「ならとっとと済ませて帰れ」

 一体何がしたいのか、俺には理解できなかった。


――この絵、記念にあげるよ。

「そうか」

――俺からの、結婚祝い。いや、プロポーズ記念か? うーん……

「とりあえず、もらっておく」


――あ、梨歩には秘密にしてくれると助かる。

「何故だ」

――梨歩には一度、死んでから会っているんだ。

「なら別に問題ないだろう」

――あの別れの時の余韻を、無駄にしたくないから。

「何だ、その妙なこだわりは」

――とにかく、これは俺と君の秘密だ。口外したら、化けて出るから。

「好きにしろ」

――ああ、待って! 冗談だから。

「どこからが冗談だ」

――化けて出るってとこ。

「梨歩に今のこのやりとりを話すな、というのは本気か」

――うん、それは本気。

「まあ、お前が本気を出したところで、何も変わらないと思うがな」

――梨歩が騒ぐと思うよ。「涼ちゃんに会ったの!? それいつ? どこで? 何時何分何秒?」って。


「…………確かに、言いそうだな」

 この瞬間、涼平は本当に梨歩の隣で生きてきたのだと悟った。俺の知らない梨歩を、この男は知っている。そう思うと、少しばかり妬けてしまう自分の存在を垣間見る。



――亞紗斗くん。

「何だ」

――俺の指輪まで、受け入れてくれてありがとう。

「別に、お前を受け入れたわけじゃない」

――それでも、ありがとう。

 涼平の体が透け始めた。



――あ、もう時間だ。それじゃ、亞紗斗くん。梨歩のこと、よろしくお願いします。

「ああ」

――末永く、お幸……せ、に……

消えた。




 そして、気がつけばホテルの部屋の中。

 夢、だったのだろうか。

 いや。



 俺の手には、涼平から受け取ったキャンバスが。

「あいつ……」



 すると、急に文字が浮かびだした。

――Happily ever after――




 彼に託された、この夢の続きを。

 今度は俺が、描いていこう。



 俺はそっと、キャンバスをヴァイオリンケースの隣に置いた。