まほろばストレンジ〜あなたの|未来《アヴニール》に介入します〜

翌週、姉さんと一緒に地元に向かっていた。
僕らは年に数回、事件があったあの場所に足を運んで献花(けんか)を手向(たむ)けるようにしている。きっと遺族はそんなこと望んでいない。でも、自分の家族が犯した罪を忘れないためにも姉さんと話し合って毎年続けると決めた。
手を合わせ、目を閉じる。
母さんがまだ生きていたころ、被害者の両親に謝罪に行った日のことを思い出した。
当時、僕らはまだ学生だったし母さん一人で謝罪に行く予定だったが姉さんが頑(かたく)なに拒否した。これは朝比奈家の問題だから家族全員で謝りに行くべきだと。強い意志を持っていた姉さんに負けて家族で謝罪に行ったが会うことはできなかった。
何日も何日も訪問し、何通も手紙を書いてようやく会うことができたのははじめて訪問してから一ヶ月後のことだった。

「息子を返してよ。うちの子が一体何をしたの。ねぇ、返してよ!」

泣き叫ぶ被害者の母親の姿がいまも目に焼きついて離れない。

「わたしたちはあなた方の父親を許すつもりはないし、これからも一生恨み続けるだろう。そうでなければ我々も正気でいられないからね」

凍てついた表情の被害者の父親。その顔はいまも夢に出てくる。
これは後から知ったことだが、被害者の両親はなかなか子供に恵まれなかった。妊活をして五年かけてやっと産まれたのが被害者。だから人一倍愛情を注がれて育てられた鍾愛(しょうあい)の子。
いや、どの親もそうなのかもしれない。自分の子が世界で一番かわいいと思っている。でも僕にはその感覚がわからない。小さいころは毎年旅行に行っていたみたいだけれど、いつしかそれがなくなっていった。
一時期は朝比奈家に生まれ育ったことを憎んだことだってあった。
アニメのように転生できるのならどれだけ良かっただろう。
なんてことのない普通の家庭で育っていたらどうなっていたのだろう。
もう一人の被害者には会うことすら叶わないままいまに至る。
それもそうだよな、自分の愛した人が突然酔っ払いに襲われ亡くなったんだから。
いままでの辛いことが流れ星のように一瞬で過ぎ去っていけばいいのに。なんてそんなことを考えても現実は変わらない。わかってはいてもそう思わないとやっていられないくらい胸の奥がひどく痛む。
家までの帰り道、電車の窓から見えた一つの光景。河川敷近くでキャッチボールをしている親子が見えた。あの事件が起きる前、何度か公園に連れていってもらって父さんとキャッチボールをした記憶がある。べつに野球選手になりたかったわけじゃない。ただ父と息子ならではの強い思い出として記憶に残っていた。本来は良い思い出として懐かしむべきなのに、いまは苦い思い出として刻まれてしまっていることが悔しく苦しい。
父親の残したものは誇りでも強さでもなく身体全身を締めつけるしがらみという名の鎖だった。
僕はそれを背負いながら新しい朝を迎えなければならない。

**

母さんが死んで家族二人きりになってから僕らは生きるため必死に働いた。
音楽家を目指しながら複数のアルバイトをかけもちしている姉さんの力になるため、僕は高校を中退していろいろなところで働いた。スーパー、カフェ、ファストフード、引っ越しなど登録制でできるものはなんでもした。その中には社保つきのバイトの話も提案されたことがあったが断った。
職場で居心地が良くなるのがすごくこわかったから。もしそうなればいつか過去のことを掘り返されるんじゃないか。そしてまた僕のことを遠ざけ、いなくなってしまうんじゃないか。そう思うとこわくてたまらない。
だからどのバイトも長続きしないよう単発で食いつなぐ。もちろんそこに歓(よろこ)びや達成感は存在せず、生きるためにつないでいるロープでしかない。そう思いながらも仕事をしていたらあのときのことを忘れられる。だからクリスマスも年末年始も休まず働いた。
でもたまに思ってしまう。
家族が崩壊してからどこにいても人の目が気になるようになっている自分。
人と目が合うたびにあの日のことを言われている気がして、誰かといるのが辛く感じる。そんなことを唯一忘れさせてくれたのが本の世界だった。
母さんの部屋で読んでいた漫画を読破し、その次に手を出したのが小説だった。はじめは活字だらけで頭が痛くなったが、読み進んでいくうちに文字の中から浮かび上がってくる映像が僕をその世界へと誘(いざな)ってくれた。脳内で広がるアニメーションが想像力を掻(か)き立て夢中にさせる。
百目鬼 瞠(どうめき みはる)。
僕に大きな影響を与えた作家の一人だ。
これまでに出した作品のほとんどが映像化されている人気作家の一人で、彫琢(ちょうたく)された言葉の数々がファンを魅了している。
ただ、その名前と出身地以外すべて不明で、メディアにも一切出ないから一部のネットユーザーからはゴーストライターではないかとの噂すらあり、そのミステリアスな感じがまたコアなファンを生んでいる。
普段引きこもっている僕も外に出るときがある。それはこの作者の本を買いに行くとき。
今日はその百目鬼 瞠が参加している短編集を買いに行く予定だ。
週末や連休の人の多さにはまだ慣れないし、前を向いて歩くことが難しいけれど、人通りの少ない裏路地なら少しだけ前を向くことができる。
この街には知り合いがいない。
僕があの事件の犯人の息子だってことを知っている人はいないだろう。そう思えるだけで気が楽になる。
以前は外に出るたび誰かに会うんじゃないかと不安だったが、この町に来てからはそれが薄まった。ただ、時折知り合いに似ている人を見かけると身体が震えてしまう瞬間があるからイヤホンはマストアイテムだ。現実世界から切り離されるように音楽が流れていれば気が紛れる。こうして一人で外を出歩けるようになったのはもともとそれに尻腰(しっこし)のない僕からすると大きな前進だと思う。
家から本屋に向かうには、大通りをまっすぐ行く最短ルートと、一度裏路地に入ってから再び大通りに出て向かうルートがある。すれ違う人の数を考えれば圧倒的に後者だ。
建物と建物の隙間から夏の光が差し込む細い道を歩く。
目に留まった病葉(わくらば)の樹(き)を見つけて心の中で会話をする。
(おまえも僕と同じで傷だらけだな)
きっといまの僕には錆(さ)びついたプレハブや欠けたタイルとすら会話ができるのかもしれない。そんな心境だ。
少し進むと、道の真ん中あたりで人影が見えた。
ここは狭い道だからどちらかが道を開けないと通れない。だから顔をあげて相手との距離感をはかろうとしてみた直後、後悔した。
身体全身に戦慄(せんりつ)が走り、身動きが取れない。
顔を下に向けるのが精一杯だった。
イヤホン越しからかすかに聴こえてきた声。

「なぁ、あれ朝比奈じゃね?」

「朝比奈って誰だっけ?」

「覚えてねぇのかよ。数年前に起きたあの殺人事件の」

「あぁ、あの殺人鬼の息子か」

「まだ生きてたんだな」

この声はよく覚えている。
地元で有名なヤンキーの先輩たちだった。
喫煙、暴行、いじめなどの非行を繰り返し、僕も何度かからまれたことがある。池に飛び込まされたり、話したこともない女子に告白させられたり。こいつらの行動は影響力があり、あの事件以降オストラシズムに拍車(はくしゃ)をかけ、中退するきっかけの一つとなった。やつらの暇つぶしのためだけに何人もの犠牲者が出た。そのせいで転校や休学を余儀なくされた生徒たちもいた。
しかし、こいつらの親はみな政財界に通じているから大きな問題にならないようコントロールされている。それを知ってかいつも無礼顔(なめがお)で不遜(ふそん)で、嬲(なぶ)る相手を探しては愉(たの)しんでいる。こんなやつらが社会の上にいることが許せないと唇を噛みながらも何もできない自分に腹が立つ。
でもどうしてこんなところに?
からまれたら面倒なので、踵(きびす)を返したそのとき、

「待てよ」

腕をガシッと掴まれ動きを塞(ふさ)がれた。
指先から身体が震えているのがわかる。
どうにか強がろうと試みるも強迫観念は簡単には拭(ぬぐ)えない。

「久しぶりに話そうぜ」

「おまえの親父のこといろいろ聞かせてくれよ」

どうしてそんなことが言えるのだろう。
この人たちは人の痛みとか知らないのだろうか?
こっちは思い出すだけで気が滅入るのに。
人倫(じんりん)に悖(もと)っていることをてんで自覚していないのだろうか?いや、こういうやつらの親が政治家や日本を動かす立場にいるからいまの日本が伸びないのかもしれない。

「なにおまえ、こんな田舎に住んでんの?」

「ここまで来たら全部忘れられるとでも思ってんの?」

「言っとくけど、犯した罪は一生消えねぇからな」

「おいおい、罪を犯したのはこいつの父親だぞ。かわいそうじゃん」

「かわいそうなんて言葉がおまえの口から出るなんてな」

「今日は雨でも降るんじゃね」

ケタケタ笑いながら人を見下している。
いいからその手を離してくれ。
七年経ってもあのときのままの先輩たちに辟易(へきえき)しつつどうやって逃げるかを考えていた。
すると、僕の手を掴んでいたヤンキーのスマホが鳴った。
ポケットから取り出し通知を開くと驚いたような声を出した。
全員がスマホの画面に釘付けになっているその一瞬の隙をつき、全力で走った。呼吸が安定しないまま信号も何もかもを無視してひたすら走った。
背後から「何逃げてんだよ!」という怒気の声がする。僕に対して恨みがあるのではなく、自分たちの暇つぶし相手のペットが逃げたことに対して腹を立てている感じだった。
逃げるのに夢中でどこに向かって走っているのかもわかっていないが、いまは逃げることを最優先するべきだと思った。
入り組んだ道を逃げるもやつらはしつこく追いかけてくる。
無我夢中で走った。とにかく走り続けた。振り向くこともやめて全力で。