それは彼にとって、まさに青天の霹靂だった。
――僕の、大事な娘を。
――あいつが。
神城エディ、四十五歳。
愛娘に彼氏ができたという現実を、絶賛受け入れられずにいた。
「……持っていった……」
「人聞き悪い!」
瑠花のツッコミが、リビングいっぱいに響いた。
「律は何も持っていってないでしょ!」
「持っていったよ!」
「何を!?」
「瑠花を!」
「あたしは物じゃない!」
「だって僕の娘だよ!?」
「だから何!?」
「僕が十八年間、大事に大事に育ててきた娘だよ!?」
「ママも育ててるからね!?」
「エディさん」
若葉が呆れたように口を挟む。
「瑠花は律くんに誘拐されたわけじゃないのよ?」
「分かってるよ!」
「じゃあ、いいじゃない」
「よくない!」
全然よくない。
エディにとっては、娘の人生に突然「彼氏」という新たな存在が加わった、歴史的かつ非常事態だった。
ついこの間まで。
――パパ!
そう言って、小さな手で抱きついてきた娘が。
いつの間にか十八歳になり。
いつの間にか綺麗になり。
そして。
ついに。
男を連れてきた。
いや。
まだ連れてきてはいない。
そもそも律なら、生まれた頃から知っている。
知っているどころではない。
赤ん坊の頃から抱っこしたことだってある。
泣けばあやし、笑えば喜び、成長すれば「いい子だな」と頭を撫でてきた。
その律が。
今や、瑠花の隣に立つ男になった。
「…………」
そこでエディは気づいた。
「……そうだ」
「何?」
「アサくん」
「え?」
エディはスマートフォンを取り出した。
「ちょっとパパ!?」
「アサくんに電話する」
「なんで!?」
「父親同盟、再結成だよ」
「はあ!?」
かつて結成された、父親同盟。
子どもたちを守るため。
父親として互いに協力し合うため。
今こそ。
再び立ち上がるときが来た。
ただし今回は、守るべき娘の隣に、同盟相手の息子がいる。
しかもその息子を、エディ自身が昔から「律なら安心だ」と褒めていた。
なんという裏切り。
いや、裏切っているのは誰だ。
「待ってて、瑠花。パパが必ず――」
「何から守るのよ」
「律から」
「彼氏!」
無情にも通話ボタンを押す。
数回の呼び出し音のあと。
『どうした、エディ』
「アサくん」
『ああ』
「大変なことになった」
『何だ』
「律と瑠花が付き合い始めた」
『知っている』
「…………え?」
エディの動きが止まった。
「知ってるの?」
『律から聞いた』
「いつ!?」
『少し前だ』
「なんで僕には連絡してくれなかったの!?」
『なぜ俺がお前に報告する必要がある』
「父親同盟でしょう!?」
『…………』
一瞬の沈黙。
そして。
『今回は無理だ』
「なんで!?」
『俺は律の父親だ』
「!」
そうだった。
致命的な問題に、今さら気づく。
これまで同じ側に立っていた男が。
今回は。
敵側にいる。
しかも、敵の息子は、エディが信頼してやまない律だった。
「アサくん……」
『何だ』
「裏切るの?」
『裏切っていない』
「裏切りだよ!」
『意味が分からん』
「僕たち、一緒に子どもたちを守ってきたじゃないか!」
『今も守っている』
「その息子が僕の娘を持っていったんだけど!」
『律は瑠花を持っていっていない』
「アサくんまで!」
同じことを言われた。
瑠花は頭を抱え、若葉は笑いを堪えている。
『それに』
電話の向こうで、亞紗斗が淡々と続けた。
『お前は昔から律を気に入っていただろう』
「それとこれとは別!」
『真面目で、優しくて、瑠花を大切にしてくれると言っていた』
「言ったけど!」
『なら何が問題なんだ』
「彼氏になったこと!」
『…………』
「幼なじみの律はいいの! 彼氏の律はダメ!」
『同一人物だ』
「分かってるよ!」
正論が痛い。
ものすごく痛い。
しかも、その正論を言っているのが、かつて肩を並べて子どもたちを守った同盟相手なのだから、逃げ場がない。
『瑠花が選んだ相手だ』
「…………」
『それに、律が瑠花をどれだけ大事に思っているか、お前も知っているだろう』
「……知ってるよ」
知っている。
誰よりも。
律が十歳の頃から瑠花を想い続けていたことも。
五年間、その気持ちが変わらなかったことも。
瑠花に何かあれば、真っ先に駆けつけることも。
瑠花が笑えば、律も嬉しそうに笑うことも。
全部。
知っている。
だからこそ。
「……嫌なんだよ」
『なぜだ』
「本気なの分かってるから」
ぽつり。
エディは呟いた。
遊びなら怒れる。
軽い気持ちなら追い返せる。
娘を泣かせるような男なら、迷うことなく反対できる。
けれど。
律は違う。
あの少年が、どれほど真剣に瑠花を想ってきたのか。
エディは知っていた。
知っているからこそ、律を疑えない。
信頼しているからこそ、簡単に「やめろ」と言えない。
そして、信頼しているからこそ。
律ならいつか、本当に瑠花を自分の隣へ連れていってしまうのだと分かってしまう。
「……いつか、本当に瑠花を連れていきそうだから」
「パパ……」
瑠花が目を丸くする。
「律なら大丈夫だって、ずっと思ってたんだよ。だから余計に困るんだよ!」
「困るの?」
「困るよ! 信頼できるから反対しにくいし、反対しにくいから余計に寂しいし、寂しいのに『律なら任せられる』って思っちゃうし! いつぞやのクソ猿一家より遙かにマシなのは認める! 認めるけど!」
「感情が渋滞してる……」
「パパの中で、父親と元同盟員と律の理解者と、あと寂しいおじさんが全員ケンカしてるんだよ!」
「最後のは自分で言うのね……」
電話の向こうで、亞紗斗がしばらく黙った。
やがて。
『エディ』
「何」
『諦めろ』
「冷たくない!?」
『十五年育てた息子がようやく想いを叶えたんだ。俺は律の味方をする』
「アサくんの裏切り者ぉぉぉ!」
『切るぞ』
「待って! まだ作戦会議が――」
ぷつ。
「切られた……」
「そりゃ切られるでしょ」
父親同盟。
再結成ならず。
かつて肩を並べて子どもたちを守った二人は、今度はそれぞれの子どもの父親として、真っ向から対立することになった。
もっとも。
エディ自身、本当は分かっている。
律以上に、安心して瑠花を任せられる相手などいないことを。
それでも。
それとこれとは、別なのである。
こうして――。
父親同盟は、まさかの決裂。
ここに、父親同士の全面戦争が勃発した。
――僕の、大事な娘を。
――あいつが。
神城エディ、四十五歳。
愛娘に彼氏ができたという現実を、絶賛受け入れられずにいた。
「……持っていった……」
「人聞き悪い!」
瑠花のツッコミが、リビングいっぱいに響いた。
「律は何も持っていってないでしょ!」
「持っていったよ!」
「何を!?」
「瑠花を!」
「あたしは物じゃない!」
「だって僕の娘だよ!?」
「だから何!?」
「僕が十八年間、大事に大事に育ててきた娘だよ!?」
「ママも育ててるからね!?」
「エディさん」
若葉が呆れたように口を挟む。
「瑠花は律くんに誘拐されたわけじゃないのよ?」
「分かってるよ!」
「じゃあ、いいじゃない」
「よくない!」
全然よくない。
エディにとっては、娘の人生に突然「彼氏」という新たな存在が加わった、歴史的かつ非常事態だった。
ついこの間まで。
――パパ!
そう言って、小さな手で抱きついてきた娘が。
いつの間にか十八歳になり。
いつの間にか綺麗になり。
そして。
ついに。
男を連れてきた。
いや。
まだ連れてきてはいない。
そもそも律なら、生まれた頃から知っている。
知っているどころではない。
赤ん坊の頃から抱っこしたことだってある。
泣けばあやし、笑えば喜び、成長すれば「いい子だな」と頭を撫でてきた。
その律が。
今や、瑠花の隣に立つ男になった。
「…………」
そこでエディは気づいた。
「……そうだ」
「何?」
「アサくん」
「え?」
エディはスマートフォンを取り出した。
「ちょっとパパ!?」
「アサくんに電話する」
「なんで!?」
「父親同盟、再結成だよ」
「はあ!?」
かつて結成された、父親同盟。
子どもたちを守るため。
父親として互いに協力し合うため。
今こそ。
再び立ち上がるときが来た。
ただし今回は、守るべき娘の隣に、同盟相手の息子がいる。
しかもその息子を、エディ自身が昔から「律なら安心だ」と褒めていた。
なんという裏切り。
いや、裏切っているのは誰だ。
「待ってて、瑠花。パパが必ず――」
「何から守るのよ」
「律から」
「彼氏!」
無情にも通話ボタンを押す。
数回の呼び出し音のあと。
『どうした、エディ』
「アサくん」
『ああ』
「大変なことになった」
『何だ』
「律と瑠花が付き合い始めた」
『知っている』
「…………え?」
エディの動きが止まった。
「知ってるの?」
『律から聞いた』
「いつ!?」
『少し前だ』
「なんで僕には連絡してくれなかったの!?」
『なぜ俺がお前に報告する必要がある』
「父親同盟でしょう!?」
『…………』
一瞬の沈黙。
そして。
『今回は無理だ』
「なんで!?」
『俺は律の父親だ』
「!」
そうだった。
致命的な問題に、今さら気づく。
これまで同じ側に立っていた男が。
今回は。
敵側にいる。
しかも、敵の息子は、エディが信頼してやまない律だった。
「アサくん……」
『何だ』
「裏切るの?」
『裏切っていない』
「裏切りだよ!」
『意味が分からん』
「僕たち、一緒に子どもたちを守ってきたじゃないか!」
『今も守っている』
「その息子が僕の娘を持っていったんだけど!」
『律は瑠花を持っていっていない』
「アサくんまで!」
同じことを言われた。
瑠花は頭を抱え、若葉は笑いを堪えている。
『それに』
電話の向こうで、亞紗斗が淡々と続けた。
『お前は昔から律を気に入っていただろう』
「それとこれとは別!」
『真面目で、優しくて、瑠花を大切にしてくれると言っていた』
「言ったけど!」
『なら何が問題なんだ』
「彼氏になったこと!」
『…………』
「幼なじみの律はいいの! 彼氏の律はダメ!」
『同一人物だ』
「分かってるよ!」
正論が痛い。
ものすごく痛い。
しかも、その正論を言っているのが、かつて肩を並べて子どもたちを守った同盟相手なのだから、逃げ場がない。
『瑠花が選んだ相手だ』
「…………」
『それに、律が瑠花をどれだけ大事に思っているか、お前も知っているだろう』
「……知ってるよ」
知っている。
誰よりも。
律が十歳の頃から瑠花を想い続けていたことも。
五年間、その気持ちが変わらなかったことも。
瑠花に何かあれば、真っ先に駆けつけることも。
瑠花が笑えば、律も嬉しそうに笑うことも。
全部。
知っている。
だからこそ。
「……嫌なんだよ」
『なぜだ』
「本気なの分かってるから」
ぽつり。
エディは呟いた。
遊びなら怒れる。
軽い気持ちなら追い返せる。
娘を泣かせるような男なら、迷うことなく反対できる。
けれど。
律は違う。
あの少年が、どれほど真剣に瑠花を想ってきたのか。
エディは知っていた。
知っているからこそ、律を疑えない。
信頼しているからこそ、簡単に「やめろ」と言えない。
そして、信頼しているからこそ。
律ならいつか、本当に瑠花を自分の隣へ連れていってしまうのだと分かってしまう。
「……いつか、本当に瑠花を連れていきそうだから」
「パパ……」
瑠花が目を丸くする。
「律なら大丈夫だって、ずっと思ってたんだよ。だから余計に困るんだよ!」
「困るの?」
「困るよ! 信頼できるから反対しにくいし、反対しにくいから余計に寂しいし、寂しいのに『律なら任せられる』って思っちゃうし! いつぞやのクソ猿一家より遙かにマシなのは認める! 認めるけど!」
「感情が渋滞してる……」
「パパの中で、父親と元同盟員と律の理解者と、あと寂しいおじさんが全員ケンカしてるんだよ!」
「最後のは自分で言うのね……」
電話の向こうで、亞紗斗がしばらく黙った。
やがて。
『エディ』
「何」
『諦めろ』
「冷たくない!?」
『十五年育てた息子がようやく想いを叶えたんだ。俺は律の味方をする』
「アサくんの裏切り者ぉぉぉ!」
『切るぞ』
「待って! まだ作戦会議が――」
ぷつ。
「切られた……」
「そりゃ切られるでしょ」
父親同盟。
再結成ならず。
かつて肩を並べて子どもたちを守った二人は、今度はそれぞれの子どもの父親として、真っ向から対立することになった。
もっとも。
エディ自身、本当は分かっている。
律以上に、安心して瑠花を任せられる相手などいないことを。
それでも。
それとこれとは、別なのである。
こうして――。
父親同盟は、まさかの決裂。
ここに、父親同士の全面戦争が勃発した。



